お世話になった街の話

誰かに届いたらいいなと願いながらも、自分のための文章になるので気楽に書こうと思います。




2022年1月5日。



窮屈で寂しくて身動きが取れなかった。
誰にもぶつけようのない不安が背中に付き纏って、進むも下がるも地獄でとても後ろを向けない。
すぐに終わるだろうと思えば思うほど長引いて、すっかり間延びしてしまった毎日。



決して自分が暮らしている街が冷たい顔をしていたわけではない。と思いたい。

それでも、SixTONESという街に訪れると故郷さえも忘れる”あたたかさ”を感じ取ってしまった。


名前しか知らない駅で、1人ぽつんと路頭に迷う私を家に上げてくれるらしい。
何もかもどうでもよくなって静かな夜道を辿ると街頭の他に、唯一明かりが灯る家があって、私に「おかえり」と言ってくれた。
何人押しかけても大丈夫!なとても広々とした玄関だった。わぁ〜綺麗な家!と心の中で羨ましがりながらも実際は泣き疲れてよく覚えていない。
拾ってもらったにも関わらず、平然と乗り込んだあと正座をする私に「まぁ、とりあえず荷物下ろしたら?」って。優しいなぁ。

荷物も心も解いてくれる人がたまたま住んでいて、どんな訳か聞かないまま私を迎えてくれた華やかな豪邸が第2の実家になった。あの瞬間だけは。









CITYというアルバムは時間をなぞるように曲を楽しんで、1日のシーンに有り得る気持ちを持ち込んで。
矛盾さえも少々乱暴で、仮定を無視した”私”にも寄り添ってくれるアルバムなんだと。
会いに行くんだ!と何かしらの想いを詰め込む日もある。今日の私じゃ何も持てないや...って落ち込む日もあった。




休まったのかはさておき。一息つけた帰り際、毛布をかけてくれた恩人の『俺らと会うのに必要なものは、忘れるくらいでちょうどいいんだよ』って見えない声を背中で受け取った気がしたんだ。

そうか、私、今まで全部をまとめて捨てるなんてこと出来たことなかったじゃん。




あーあ、忘れた。

減ってもないし増えてもない、私はもう忘れたの。










結局、何ヶ月ぶりか実家の最寄り駅に着いてしまった。改札を通る行為がこんなに勇気がいるとは思わなかったね。そりゃあ、覚悟を決めるのに時間は掛かったし赤いシートに慣れてきたから、真っ昼間に青いシートに座るだけでドキドキしちゃうよ。太陽によって温められた窓に頭が吸い寄せられてハッとした。
何よかしこまっちゃって、知ってる家で顔見せに行くだけじゃない。あれ、鍵忘れてないよね。
あ、もし今度があればあの家で大の字になって昼寝させてください。暗い足元照らしてもらったから今日も生きれてるの、許してよ。って泣けてくるじゃんか。






ちゃんと忘れ物、取って帰るね。

そうしたら、またあなたに会える予感がするから。

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