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「山田孝之のカンヌ映画祭」における芦田愛菜の女神性について

僕は「山田孝之のカンヌ映画祭」にかなり感銘を受けました。

知り合い二人に薦めたんですが、二人ともイマイチハマってなかったので、この番組をどう見るべきなのか書こうとずっと思っていました。

ただいざ書こうとするとなかなか上手いこと書けないまま、2017年の放送終了からもはや3年がたとうとしています。

もう今更も今更なのですが、この番組の解釈について私見を書こうと思います。

以下、ネタバレを含みます。

この番組は何か

山田孝之がカンヌ映画祭目指して、映画をつくるドキュメンタリー番組、というのが一応の説明になります。

たぶんこっちよりも、「山田孝之の東京都北区赤羽」の方が有名だとは思います。

スタッフや雰囲気は一緒ですが、カンヌは赤羽の続編、というわけではないです。

ドキュメンタリーというのは嘘で、正確なジャンルは「モキュメンタリー」というジャンルになるそうです。「ドキュメンタリー風のフィクション」(モック+ドキュメンタリー)で、モキュメンタリー。

とはいえ山田孝之のどこまで本気なのかわからないキャラクターもあって、フィクションなのか本気でやっているのか、見ていてよくわからなくなります。その感じに入っていけないと、見ていて辛いかもしれません。

メインの登場人物とその役割

メインの登場人物は、赤羽のときと同様です。

俳優山田孝之と、映画監督山下敦弘のコンビ。

基本的には山田孝之がめちゃくちゃ言って、山下監督がそれに振り回される、という構図です。

番組の中では異常者山田、常識人山下みたいな関係性に見えますが、山下監督もバリバリの映画監督で、浮世離れした文化人です。

番組は終始、ツッコミ不在のシュールな空気感で流れていきます。ムダにキレイな映像と、豪華なキャスト。笑いどころなのか、本気なのかわからないシーンの連続。

ある意味、山下監督は振り回されているというか、山田の無茶振りに「付き合ってしまう」人というポディションなのかもしれません。

赤羽とカンヌで違うのは、その二人に芦田愛菜が加わることです。

このときの芦田愛菜は小学6年生で、慶応に合格するちょい前の撮影だったっぽいです。
(撮影時期は2016年夏なので)

プロデューサー山田、監督山下、主演芦田愛菜の映画制作がはじまります。

ゴールから入る山田

細かいストーリーは公式サイトなり、解説サイトを見て頂きたいです。ここではただ僕の説明に必要な場面だけを扱います。

番組がはじまって、(なぜか勇者ヨシヒコの衣装のまま)山田がカメラに向かって、

「賞が欲しいんですよ」

と言い出す。相手は山下監督。「俳優としてではなく、プロデューサーとし

「赤羽」の自分探しの結果を知っていると、「カンヌ」はなんか残念なはじまり方でした。「結局そこかよ!」みたいな。しかしつながっていると思わない方がいいのでしょう。

自分も映画を何本も撮って、カンヌの遠さを実感として知っている山下監督は色々その厳しさを説明しますが、

「いやでも、それは真剣にカンヌ目指してなかったからですよね?」

と山田は頑として聞き入れません。

ただの若者が言っていたら、「なんだこいつ」で終わりなんですが、山田孝之はなにせ日本トップクラスの俳優です。次々と自分のコネクションを使って、芦田愛菜や長澤まさみ、河瀬直美(※マジでカンヌとった映画監督)などの大物と接触していきます。

物語の序盤は、「なんかホントにすごいのができちゃうんじゃないか?」みたいなワクワク感があります。合同会社カンヌ(ちょっとふざけすぎ)を設立したり、大学行って映画論を勉強したり、パイロットフィルムを撮影して、それを使ってスポンサーを集めに行ったり、ストーリーづくりに行き詰まったので実際にカンヌを観光に行ったり。

劇中で河瀬直美も指摘していますが、賞をとりたくて映画つくるというのは順序が逆で、映画をつくった結果として賞をとるかとらないかが出てくる、というのが正しい。

けれども、山田孝之のように、ゴールから入る、というのは、現代の若者なら結構あるあるではないでしょうか。本当に映画が好きで、純粋に映画を撮り続けていたらすごい賞を受賞しましたやったー、なんてストーリーが、イマドキそうそうあるでしょうか? すごいモノつくってチヤホヤされるぞ、という打算がない人間なんているのでしょうか?

崩れていく理想

終盤では、実際に映画の撮影がはじまりますが、山田の描いていた「衝撃的な映画を撮る」という目論見は、どんどん崩れていきます。

まず長澤まさみに出演を断られます(これが10話)。山田の中で長澤まさみ並に存在感のある女優が見つからず、なんとオブジェを急遽制作して、それを母親役(さちこ)にすることにします。

巨大オブジェ相手に芦田愛菜がナイフで腹を刺す撮影シーンは、もはやギャグにしか見えませんが、山田孝之はもう完全な独裁モードに入って、他の人のアドバイスは聞き入れません。

更には芦田愛菜が蛇に噛まれるシーンをホンモノの蛇で撮ろうとしたところでストップがかかり、母の浮気男役が火だるまになるシーンも「ホントに燃えるのはさすがに……」と役者から泣きが入ります。

アレもダメ、これもダメとなって、山田のフラストレーションは頂点に達して、ついに山下監督と口論になります。そして山田は山下監督をクビにします。

「今までどおりやればいいんじゃないですか?
 仲いい人たちと楽しんで。
 いいっすよ。もう。大丈夫っす。
 もう、いいです。
 帰ってください。
 いらないです」

山下監督は撮影で使う予定だった爆薬でさちこ人形を爆破して、現場から逃げました。

芦田愛菜の一言

そんな崩壊した現場で、山田孝之はスタッフを集めて、山下監督の代わりに自分が監督を引き継ぐことを説明して、解散とします。芦田愛菜に対して一対一でフォローの言葉を絞り出していたところ、それまでどれだけ山田が無茶を言っても何も反対しなかった彼女が、

「山田さんはなにがやりたいんですか?」

と冷たく言い放ちます。山田はうつむいて、何も答えられなくなります。すぐに芦田は「ごめんなさい」と謝って、去っていきます。謝るところ含めて、すごすぎる。ホントに小6の行動なんでしょうか……?

実力なき独裁者

ストーリー的にはそんな感じで、平たく言えばカンヌの最優秀賞という大きすぎるゴールを掲げて暴走する山田が、結局自分も周りもその理想に追いつけずに破綻して、最後に芦田愛菜がトドメを刺す、というのが番組の大まかな流れですね。

創作に対して、なんらかの経験がある人間だったら、何か感じるものがあるんじゃないかと思います。

どんなに大きい理想を掲げても、結局いざつくってみると全然想像通りにはいかなくて、けどその現実と想像の差が受け入れられなくて、周囲の人間にもイラついて、周りの実力不足や努力不足を責める。実は僕も過去に同じような経験があります。

僕の経験について詳しく書く気はないですが、下記のレビューはとてもいいです。

「山田孝之のカンヌ映画祭」芦田愛菜の死刑宣告、俺も言われたことある

映像作品として

こうしてストーリーを振り返ってみると、刺さる人には刺さるけど、刺さらない人の方が多い作品であるような気もしてきました。

ストーリー・キャストばかり説明してきましたが、個人的に「カンヌ」に魅力を感じるのは、メインストーリーよりも、純粋に映像作品として見れるよになっているところなのかなと感じています。

何気なく挟まれるワンカットが美しく、透明感があります。全体的に明るめの映像が続いて、普通の何気ない風景でも夢の世界みたいな雰囲気があります。

たとえば横浜の合同会社カンヌのオフィスで山田・山下監督・芦田愛菜の三人がダラダラしてるシーンや、オープニングで山田がカンヌの街を闊歩してるだけのシーンは、それだけで絵になります。

また音楽もいいですね。オープニングがフジファブリックで、エンディングがスカートの「ランプトン」。「ランプトン」はめちゃくちゃ好きな曲です。小学生が友達と外で好き勝手遊びまわっているときの、街に流れてくる夕暮れのチャイムみたいな曲です。

このときの芦田愛菜はまだ小学生で、全然子供でしたが、将来ヤバい女優になるかもしれないという雰囲気を感じました。それから三年が経って、世の中が芦田愛菜の子役としてではない魅力に気づいて、バンバン売れはじめましたが、このときはまだテレビ東京の深夜番組に出ていました。

そういうわけで

是非、「山田孝之のカンヌ映画祭」、ご覧ください。以前見たときはAmazonプライムビデオ配信対象だったのですが、今はどうなんでしょう。まあなんらかの手段で視聴してみてください。

(了)

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