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シューマンの「天使の主題による変奏曲」を聴いて。


年が明けて、初心に帰るというわけではないけれど、シューマンの「天使の主題による変奏曲」のCDを買い求めた。ピアノはアンドラーシュ・シフ。「子どもの情景」や「幻想曲」などが入った2枚組のECM盤だ。

1854年2月27日、43歳のシューマンはこの日、部屋履きの靴のまま自宅を飛び出し、ライン川に身を投げる。その直前まで自室でこの曲の清書をしていた。以後、1856年7月29日にボン郊外エンデニヒの精神病院で息を引き取るまで、パガニーニの奇想曲のピアノ編曲を行った以外なにも作品を残していない。事実上の遺作である。
 
「天使の主題」といわれるのは、身を投げる十日前の夜、彼の夢の中に現れた天使が口ずさんでいたモチーフだからだ。当初は幸福感に酔いしれていたが、翌日には天使は悪魔になり、「お前は罪人だ。地獄に投げ入れるぞ」とシューマンを責め立てたという。だからなのか、「天使の主題」はしばしば「幽霊の主題」ともいわれる。極めてシンプルな変ホ長調の主題と5つの変奏からなる、10分弱の小品だ。

襟を正して聴いてみる。テーマは実に穏やかで平和だ。指摘されているように、ヴァイオリン協奏曲第2楽章のテーマによく似ている。変奏はどれもゆっくりしたテンポで、セオリーどおりに進んでいく。最後の第五変奏だけ、少し雲行きが怪しくなる。和声が揺らぎ、どこか霧の中にいるような浮遊感を伴う。このまま破綻することなく終わってほしいと願わずにはいられない。落としどころのない不安な気持ちのまま、曲は静かに終わる。

これがシューマンの最後の境地。僕らに残されたまごうことなき正気の証だ。

 
シューマンの死後、友人のヴァイオリニスト・ヨアヒムとクララは「その名に傷がつく」との理由で、いくつかの作品の出版を認めなかった。「ヴァイオリン協奏曲」も「ヴァイオリン・ソナタ第3番」もそうで、この「天使の主題による変奏曲」も同じ運命を辿った。

しかし近年、こうした作品が彼の「精神疾患による質の低下」ではなく、「新しい時代の境地を示している」として再評価される動きがある。たしかにそのメロディーや和声のゆがみは、ドビュッシーやラヴェルを彷彿とさせるものがある。

あと十年、発症が抑えられていれば、彼は歴史に残る巨大な作品を書き上げていたかもしれない。そんなことを思わずにはいられない。

 
死の二日前、クララは入院以来初めて夫と面会した。

そのとき、シューマンは「いとしの……わかるよ……」と言ったという。

それをクララは「いとしのクララ、私はお前がわかるよ」と言ったのだと理解した。なのに、このときシューマンが「私は知っている」と、さもブラームスとの関係を揶揄したように口走ったという話がまことしやかに残されている。

クララとブラームスの真実の関係がどのようなものであるかは知らないが、シューマンにはそのことを疑えるほどの能力はもはや残されていなかった。

なんとも悲しいエピソードである。

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