医療従事者として働いていた時 3
総合病院でのこと、自己免疫疾患を併発していた80代の女性の方の話、疾患名は失念したが、非常に珍しい病気だったように記憶している。
治療法も定まらず、取り敢えず効くであろう治療を行なっていた。
その中で血漿交換療法が選択されたか何かで、血液浄化部にいた我々のところに話が来た次第だ。
血漿交換療法とは文字通り血液の血漿部分を交換する療法だ。
この治療を行うにはかなりの血液の出し入れが必要となる為普通ならダブルルーメンと言われる針?を大血管に留置して行うことが多いのだが、この患者さんはシャントをすでに持っていた方だったのでそれを使って治療を始めることになった。
最初に医師がそのシャントに穿刺を試みたのだがなかなかうまくいかず、その日は鼠蹊部の静脈に穿刺して施行したように覚えている。
私も治療前にシャントの確認をしたのだが、難しそうな血管だなとの感想は持った。
その後私といえば針を刺して治療が開始されるまでは何もすることがないので患者さんの開いてる方の手を握って励ますことくらいしかしていなかった。そしてなかなかうまくいかない穿刺を見ているだけだった。
その日はなんとか療法も終わったのだが担当医師に次は僕で良ければやりましょうかと提案した。失敗続きで苦痛に耐える患者さんを見てられないのがあったからだ。無論穿刺には自信があるしその医師も私にある程度の信頼はあったのは確かだからお願いされることになった。
こんな大言を吐いたからには失敗はできないなと次の血漿交換療法の時そんな心持ちで患者さんに向かった。その日はなんとか失敗もせずに針が刺せた。それからはその患者さんが退院するまで私が対応することになった。
ま、自慢みたいになったが、この患者さんはきつい治療をひたすら耐えていたから、針を刺すことくらいは耐えなくても済むようにとの思いで提案、施行しただけのことだ。
辛い治療が終わった後、また、退院される時ありがとうね、と自分の辛さを置いてまで言ってくれるからこっちも頑張れるというものだ。
治療する、そんな中で生きていくというのを改めて考えさせられた患者さんだった。
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