正しい教育論とは 富裕層

このあたり、マーケットのセグメントが分かっていないと難しい。誰を対象にしているのかを想定しておく必要がありそうだ。

まず以下の図を見てほしい。

教育論

厳しく、正しくすれば、子供はすくすく育つようなイメージがある。

しかし、この正しくと間違ったの曖昧な言葉が非常に危険だ。

1.子供は、教育の対象か。

子供は、部分最適の塊である。全体をつかめている子供はいない。部分を見るから、いじめ、優越感、その他の小さな争いをする。同調圧力がかかりやすい存在である。

その意味では、全体最適の目を開かせるためには、確かに教え込む必要がありそうだ。そして、全体最適を見極めるためには基礎的なコンテンツ、コミュニケーションツールは必要になる。

これに対して、時代の変化に対応する必要もある。時代の変化に対応する際、現代の大人たちのルールを真っ向から否定しなければならない。これを世代間のパラダイム転換という。もし、この転換についていけない場合、情報弱者として、生きていくしかなくなる。

相反したニーズで、子供に適宜戦うことができる情報を共有し、知的好奇心を高めていく必要がある。つまり、いずれの時代においても、自主性というキーワードは一貫して重要であり、自主性を奪いかねない厳しい教育は、原則間違った教育になってしまう。教えると徐々に間違った教育になるという矛盾をはらむのが、現代の教育のこわさだ。原則間違っていることを認識しつつ教え、それは子供の自主性、自律性につながるような仕組みにもっていくことが必要になる。

厳しくという点について、親と子供の信頼関係が必要になる。もし、子供が親の愛情にこたえなければならないという理由で、厳しさを受容した場合、その愛情は条件的なものになる可能性がある。心理的な安全性を確保することが、ゾーンをもたらすという効果があることに着目するのであれば、愛情は決して条件的であってはならない。少なくても、結果的に心理的な安全性があったと大きくなった時点で感じる必要性はある。

子供の適性を知らずに、徒に厳しくすれば、子供を追い込むことになる。原則として正しい教育というものがないという立場によれば、例外的な場合とは専門家のバックアップがあったらよい。つまり、身体の変調その他が予期される場合に、自己の判断を信用せず、適切に専門家に判断を仰ぐこと、これが親子の心理状況の健全性を維持するうえで大切なことだ。

結論から言えば、子供のあるべき状況は、自律性及び自主性、好奇心の尊重と他者の尊重(全体最適感)。その全体最適は、大人が実際にもっているとは限らないので、一緒に学ぶ姿勢(共育)、自律性自主性に対しては自己の鍛錬が必要なのでその必要性を自らによって示す(共育)。厳しくは、自らが厳しく律すること、それ以外納得感はない。その限りでの、教育であれば、問題は少ないように思われる。

援助論と同じで、継続的な教育ではなくて、結果的にフェードアウトする教育(必要とされない形に変わる)が望ましい。

2.セグメントの話

安定的なオーナーの事業と、生え抜きの不安定な会社の経営者とは、まったく育て方は異なる。

前者は、人格的に問題がない、よりコミュニティに入り込むべき人材が輩出されることが望ましい。お金持ちがお金持ちを支えるのは、必然であり、この点はいつでも変わらない。

それに対して不安定な会社の経営者は、練度の高い一人でも対応できる人間にしていかなければならない。いつ何時落ちても、自ら這い上がってくる人間でなければ、いけない。とすれば、厳しくやろうという傾向は予想しやすい。リスクが非常に高いセグメントだ。

弁護士、国家公務員、その他エリートといわれるセグメントはこのゾーンにいる。

3.コントロールできることとできないこと

これからの時代においては知的好奇心と情熱が一番の武器になる。もし、価値観を恥ずかしい、皆と同じというラインで物事を考えると、コモディティ化が著しい。それを避けることが生存戦略上生きやすい。

知的好奇心と情熱は、子供に相伝しにくい知識だ。つまり、コントロールしにくいエリアだ。

実は、今から教えるべき事項は、マーケティングとセールスではないかと思っている。古来社会には、宗教があり、教義という形のないプロダクトをマーケティングとセールスを駆使して、販売をしていた。古来から今に継続するものとはセールスとマーケティングだと思われる。それ以外の部分は時代によって最適化されてしまう。

コントロールすべきは、マーケティングとセールス。自分が何を売っていくべきかを常に考えて、基礎体力をつけていく。そういう考える力を、今の子供は必要としており、知識という魚だけでは役に立たなくなっているのだろう。いかに知識という魚をえるための、魚の取り方を教える。これが現代の教育論の在り方と理解している。

4.放置にならないようにする。

強制にもならない手法としては、放置にならない手法を考えないといけない。

教育はゲームフィケーション。この辺がうまくやれると確かに伸びるだろう。

5.サイクルとしては次の図になるのではないだろうか。

教育論



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