感謝の経済(スマートシティ、SDGsとこれからの会社)DX その34
1.SDGsが好きになれなかった
SDGsでバッチをつける会社も沢山います。私の方は、CSRのときから色々と会社の社会的責任について考えており、SDGsについてはその延長線と考えていたので、なぜかピンとこなかったのです。
SDGsって何?結果的にCSRと同じくらい沈むのではないかと。CSR部は、どちらかといえば会社の主流を外しやすいエリアにありましたね。同じように如何に会社の隠れ蓑的な存在になるのではないかと。
2.気づいたこと(贈与経済、地球の限界とコロナの閉そく感)
ずっと、学び続け、社会にとって何が良いのか考え続けました。ある一定の領域になってハタと、SDGsって世間一般の人にとって大きな気づきなのではないかと、大きな潮流なのではないかと気づきました。
しかし、まだモヤモヤ感は残ります。やはり、バッチオジサンがつけているけど、売り上げ売り上げと、地球を汚して、しかも、貧困家庭についてなおざりにしていることを知っているので。
SDGsを言いつつ、GoogleやAmazonを抜かせと、車の会社などが言いつつ、実際にはテスラに束になっても時価総額では勝てません。未来志向の会社には、現実志向の会社に勝てないのです。夢は経営者の夢ですか、それとも生まれてくる子供たちの夢ですか?
悲しいかな、今は経営者の夢を会社に語らせており、社会のステーク(関係者)の声など傾けていない。コロナになって、右往左往するのは当たり前です。コロナまでは、上意下達で思い通りに動く組織だったのが、テレコミュニケーションになって勝手が違う。思いが一緒にならない。なぜなのか?
そこには、贈与経済と地球の限界の認識というものがありました。
3.贈与経済とは
贈与経済とは、貨幣がない時代から脈々と続いておりました。人間の心理としては返報性の理論というものがありまして、物を贈与したら、相手方も返したいという気持ちになるわけです。
人はなぜ幸せになるかといえば、贈与で感謝の気持ちを発生させ、返報性で帰ってくることでまた感謝の気持ちになる繰り返しで信頼を熟成させるからです。
都市を作る際、様々な宗教が成り立ちました。一神教としてはゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教などがありますね。ローマ時代キリスト教が徐々に浸透してきました。聖書はもっとも世界で読まれる書物になっています(活版印刷の力はすごいですね)。
聖書の基本は、お祈りと理解しています。お祈りを形ではなく心からするために、たとえ話をして、自分がコントロールできるエリアとできないエリアを認識させ、かつ、コントロールできないエリアの大きさを認識させることで神に感謝する仕組みです。毎日感謝を繰り返していけば、生理その他苦しい気持ちも和らぎます。ネットフリックスその他の娯楽がない時代に、感謝でペストその他の災害に乗り越えてきたのが西欧の歴史と思われます。
中国だと、治水など大規模な工事をしつつ、天から力を与えられたとして皇帝が力を有し、民衆は法があれば対策ありとしてしたたかに生きていったでしょうが、それでも儒教その他で秩序を維持していたことでしょう。
宗教は、感謝という基本から成り立ちます。いつの間にか、コンビニその他が成り立ち貨幣経済によりサービスを提供する側がお金を渡す側よりも感謝する時代になってきました。パン屋はパンを作る能力が高く、希少な小麦を調理して失敗しないものを作成して皆に感謝されていたはずなに、今では誰でも作れると誤認させ、安いパンが入ることを当然と思っています。コンビニではお金を渡す側は当然の対価としてパンを持って帰ります。
いつの間にか、労働においても給与を貰えるものとして働き、働いてもらう側も教育レベルが当然高いものとして所与のサービスを期待しております。上司は偉い、部下は従うものということで、給与を媒介として働いています。
そんな中での、コロナでリモートワークが始まります。リモートワークで管理下から離れた市民たちは、上司に従うものという枠が少しずつ離れていきます。同様に、上司もどのようにコミュニケーションをすればよいのかわからなくなってきています。
テレコミュニケーションは上意下達では対応できず、組織はコミュニティ的になり、対等な立場で尊敬し合いながら仕事をしなければならなくなっています。つまり、感謝を示しながら(感謝を示すスキルを持ちながら)働かなければならない状況になっています。
なぜ、今までの信頼関係を費消しながら働き、疲弊をしているかといえば、この人と一緒に働きたいという意識が少しずつ奪われている状況、副業その他で魅力的な職場が表れている状況と認識しても良いと思います。
贈与経済は、対価がある無しに関係なく、まず相手のために何かしたいという気持ちから成立します。雑談、喫煙所などで円滑なコミュニケーションがあるから、仕事がスムーズにいくことが沢山あります。今は、その喫煙所みたいなものがなく、機能的な仕事に傾きすぎている。それが、双方の心配に繋がっていると思われます。
なぜ、これに気づいたかといえば、田舎のエリアでは、畑を自分用と貨幣経済用とを分けます。貨幣経済用はJAなどで換金する、お客様用は、農薬を入れて、均整な野菜をつくり売りさばくよその経済圏になります。これに対して、自分用は村の他の人たちに配るために作るわけです。実は後者の方が生きるために必要なものであり、信頼関係を作るために必須のものだったりします。
子供は年齢に関係なく働きます。ワイン、その他の作物を作るために、自分の畑だけではなく、他の人達のために無償で働きます。なぜかといえば、この社会で生きていくためです。バイクその他は無償で貸してもらえます。なぜなら、信頼社会で成り立っているから。
税金を納めなくても、経済が成り立つ仕組みを作ることで、国家が介入することができない場合でも成立する町を作っているわけです。
2000年前より邑はあり、そうした村が沢山ありました。実はこちらの方が本流であり、大きな邑が始皇帝のような人間により、貨幣を作り、度量衡を作り、経済をより活発化させていきました。贈与経済>貨幣経済と、昔から本流はこちらにあったわけです。
貨幣経済と大量生産経済により、限界を感じ、かつ富の差を感じる時代になったことについて次に記載します。
4.地球の限界
0.8%の人間が80億人以上の人口の富の50%を支える時代において、大きな地球の限界に近づいてきています。
実際には、モヘンジョダロにしてもどこの都市にしても大きな文明は自然資源の枯渇によって衰退していることが明らかになっています。つまり、現代社会は歴史上、大きな地球村の自然資源により枯渇することが明らかになってきています。
大量に生産し、大量に使うことはもともと継続不可能で、都市が衰退する一つの形態になることを認識するべきです。
そして、富が一極集中すると、不満が高まり、社会が転覆するということも歴史上明らかです。社会が転覆すると、カオスになり人々をより不幸にして、女子供が一番不幸なレイヤーになることも歴史上で導きさだれています(ゲルマン流入など)。
追い詰められた人間は、理性を失うわけですから当然の結果です。
貨幣経済の原理に従えば、大量生産、販売、使用、廃棄は当然の流れですが、田舎では廃棄物が多くなれば幸せになる状況はなく、例えばそうした0.8%の人間が乗り込んで自治体を取り仕切ってしまうと、不幸になってしまいます。贈与経済が崩され、奴隷化されてしまうからです。
贈与経済はある意味で、SDGsと近しく、自分のできるレベルでお互いに貢献し合う仕組みであり、社会的弱者をなるべく排除しない仕組みをある意味で作りやすいです。しかし、ある意味としたのは、村は排除の仕組みがあり、信頼できない人間を受け入れない仕組みを併せ持っているからです。村の論理に従わなければ、生きていけない。それは如何なるお金を持っていたとしても、関係はありません。
大金持ちがアフリカに行ってうまくビジネスできるかといえば搾取されて失敗するのが落ちです。なぜなら、信頼関係が構築されず、搾取の依存関係のみが成立するからです。
村は限られた資源の上で限られた人間しか生きていけない場所でもあります。
地球は村ではありますが、あまりに多様すぎて、まとめ切れるものではありません。その上でSDGsという村のおきてを作ろうとしているのがヨーロッパで、それにより資本主義を修正しようとしているのが現実です。
5.閉塞感の上で成り立つ、新たな社会
0.8%で成立する社会が固定すれば、社会的な不安が高まり転覆するでしょう。そして、資源がなくなってしまい、循環型の社会は成立せず、暗黒時代が間違いなくやってきます。
ガソリン、エンジンなどが継続できるかとえば、もはやそれは過去の資源であり、今ある太陽その他の継続可能な自然エネルギーのみでやっていくこと、それのみしか地球は維持することはできません。
そして、その限界を知ること以外に世の中をかえることはできません。そして、その限界を世の中に知ってもらうために、スマートシティ構想はあると考えるとスッキリします。限界はあるが、知でつながった社会が知恵を出し合い、無理のない社会変革を行っていく。その方向性にそった会社に投資が向かい、それ以外の会社は限界を理解していないため危険視され、村八分にされます。
知でつながるということは、村が再構成されているということです。かつて義務教育が村の知的レベルを上げていきました。そうした社会インフラに感謝せず、会社は安い賃金で使い、大量生産をしてきました。擦り切れて、感謝どころか、現在ブラック企業とされつつあります。
義務教育は、均質な教育のためには必要ですが、しかし、変化する社会においては常識が邪魔をして新しいことをできない環境に落とし込みます。既存の力ある企業が社会を進化をさせないようにして搾取をしてしまう場合もあります。教育は業績が悪い時一番最初に削られる場所です。そしてそれは会社だけではなく国家であっても同じです。それが民意かといえば、それは0.8%の資本家の意思と答えた方が良いです。
サステイナブルを考える上では教育は必須のものですが、今の社会で必須の教育とはなにか再定義できる人はどれだけいるでしょうか。
それは未来から逆算するしかありません。未来の逆算から考えていくと答えは簡単で、0.8%の幸せではなく、50%以上の多数の幸せをとることです。そして、その50%の幸せの意味は、20代以下の人間たちが如何に幸せな状況今日にするかということであり、年齢層が低い人たちが将来希望を持てる状況をつくることだったりします。
VR、人工知能、その他は、人を不幸にも幸せにもします。しかし、それを理解し使いこなす人間を沢山作り、再現性を高め、かつ、アート(再現性がなく、人類未踏のエリアに行く気概)を身に着ける必要があります。
そうしたものを若い人だけに押し付けるのではなく、自分たちも身に着けて、自然への配慮を踏まえた社会を自らが模範として作っていく必要があります。
確かに、富の偏在は大きな問題です。それを強制して修正するのではなく、大きな富を持つことの不幸せさを理解し、共有し、分散させる仕組みを作る必要があります。ジンバブエは富の偏在を強制的に排除しましたが、うまく世の中が回っていくものではありませんでした。それは単に大統領をはじめとする利権に結びつき、シンガポールのように未来からの逆算を考えることができなかったからと理解しています。
6.DXは未来逆算から始まる。
漸く本題であるDXのことが書けます。DXは必須の社会変革であり、それなしには日本は立ち遅れます。すべての資源は他国にむしり取られて、将来の子供たちは飢えに苦しむことになります。
限界ある自然資源とDXはそこで結びつきます。そして、過去のレガシー、例えば運転能力などにとらわれず、新しい社会を過去の延長線を乗り越えて新しいゲームで作るちからが必要です。
感謝は無限に可能です。人間は、幻想によって幻想社会を作ってきました。テスラが、自動車産業の会社を超えるのは、幻想として新しい社会を作ることができると認識されるからです。
循環社会、運転手が不要になる社会、スマートフォン化する便利な機器がシェアリングエコノミーとして使える時代そうしたものを感じて、この会社は生き残れるだろうという期待感が投資に向かわせるのです。
閉塞感は、変化の兆しであり、限界へのあらたなルールメイキングへの機会です。シングルマザー、子供たちの希望をつくるために、新たな贈与経済とあらたなルールをビジネスととともに作り上げるために、DXは一から(ビジネスとともに)作り上げる必要があるのです。
スキ、その他の行為は、元気玉として有効利用させていただきます。皆様のお力を少しでも世の中の改善に使わせていただきます。