見出し画像

仕事とはエンターテイメントである。 儲ける法務その6

仕事とは苦しいものであるという説と、エンターテイメントであるという説がある。

仕事とは、賛否両論が分かれることをして、コミュニティを紡ぐことであるというと分かるだろうか。賛否両論ということは、賛成派がいる。熱量を持つ。その熱量を持たない限り、コミュニティを大きくすることはできない。熱量は大きくなるものではなくて、熱量は初めからあって、それが伝播して熱量が少なくても伝わっていく。

動物と人間の差は、共同幻想を作ることである。貨幣も最初は貝や石であった。共同幻想は、熱量と信用の総和であり、コミュニケーションの源泉ともいうものである。

ゲームについて、すべてが難しくないのであればゲームとして成立しない。難しいところと楽なことと色々な総和がゲームを楽しくしている。つまり、仕事を苦しいものとしているのは、一面でしかない。寧ろ、スパイスであり、仕事は最初は苦しく、途中も苦しい部分があるとしても楽しく、やはり楽しい部分がある。

賛否両論の仕事をやることは、目的がなければ苦しい。なぜ、これをやるのかという、体が勝手に動くほどの原動力がない限りできない。成功の確度があるからやるというのは、ベンチャーにおいて無意味なプロセスだ。

成功の確度が明らかに高ければそれは皆やっている。寧ろ、誰も気づかない独占の可能性が勝負所だ。勿論、TAMは追いかけなければならない。しかし、TAMと数字の鬼になっていた場合、スーパーエリートと競走した際、まずは勝負にならない。この世の中、短距離走を9秒台で走る人がいるのに、あえてそんな競争をするのかということになる。それは他の人に任せた方が良い。仕事は苦しいものだという説の人にやってもらおう。

共同幻想は、買い物の楽しさからきっと貨幣が作られたもので、苦役から作られたものではないと認識している。そして、貨幣は賛否両論でなんで貝殻なんやと思った人もいたはずだが、きっと楽しさから共鳴されて作られ、そして、秦の時代には便宜の観点から貨幣が統一化されたのだろう。

ビットコインは、夢から始まったものだろう。マウントゴックスなど批判にさらされながらも、多くの信用を勝ち取っている。

宗教には、再三にわたる迫害から強い宗教ができる。どうように、宗教的なビジネスも苦しい部分は必ずあるが、楽しそうにすることで実際に楽しくなっていくのであろう。

法務は、その「楽しそうにする人」と「白眼視する人」との間を取り持ち、迫害を最小限のものにしつつ、楽しそうにする人が分裂してもその影響が少ないように工夫する。ルールを決めることで、より共同幻想を強化していく。ルールを守ることが単に形式的で楽しくないものであったら、もはやそのビジネスは伸びないであろう。仕事とはエンタメであるの意味が少しでもくみ取ることができれば嬉しい。

スキ、その他の行為は、元気玉として有効利用させていただきます。皆様のお力を少しでも世の中の改善に使わせていただきます。