ベテランは若い人に投資をせよ

1)人間の本質

人間の本質は、間であって人ではない。人は、動物界では弱い存在で、トップになれない。人一人では意味を持たない。

間とは何か。それは、社会。社とは、やしろ、宗教上の神様を祭る場所。おそらく、そこで会おうというコミュニティのことが社会なのだろう。

2)オープンイノベーションなど特別の意味は全くない

オープンイノベーションは、余りにつまらない言葉だ。なぜなら、宗教上の神様を祭る場所で技術を共有することなど当たり前のことだ。

いつの間にか、会社ができて、意思決定システムができるようになってオープンイノベーションが例外になり、特許その他の仕組みがいつの間にか原則等になったのだろう。

会社は、自由競争(生態系)の中で優れている独裁制を選ぶ仕組みだ。終身雇用制になり、会社のみがいつの間にかコミュニティになってしまった。チームとしては最良の仕組みだが、会社はそんなに長く存続するものではない。100年生きる社会においては会社の生存期間は短すぎる。

中国などでは、人材流動性が高く、仲間がチームを盛り上げる。いつの間にか違う会社にいったりするので、オープンイノベーションに勝手になってしまっている。下のコミュニティが優先度が高い。これに対して、会社が上位に来ているのが日本ではないか。

もし会社が、オープンイノベーションなどと叫ぶ時間があるのであれば、やるべきことは、コミュニティを軸に会社を再構成するしかない。

3)内発的動機と外形的動機

コミュニティの難しさは、会社のように同一の目的を持ちにくいことだ。ところが、現在逆転現象が起きていることに気づいているだろうか。

内発的動機のない外形的な動機で抑え込もうとするガバナンスが、生産性を落としている。間接的な動機が内発的な動機を欠落させている現実がある。

ガバナンスという形式知が、やりがいを失わせて、ガバナンスという道の抜け道を探すことに専念するか細かいルールベースに従うかのいずれかにさせている現実がある。

内発的動機とは、楽しさ、個人の意識価値観(目的、成長など)を指す。こちらは、コミュニティでは実現しうるが、会社では金銭的な部分、生活維持の部分(外形的な動機)にとらわれて、労働、作業化してしまうジレンマがある。内発的な動機はカルチャーという見えないものを基盤にするが、外形的な動機はキラキラ感など外形的なことが中心になってしまう。

以上はマズローの欲求段階だ。これを見る限り、承認欲求、社会的欲求、生理的な欲求などは下位に位置する。内発的な動機は実現欲求を指すものだろう。

キラキラ感を出そうにも、承認欲求にすぎない。会社が下位の欲求を満たすことだけに集中する限り、生産性は上がることはない。切りがない欲望により会社の生命がすり減るだけだろう。

カルチャーフィットとは、会社を自己実現の場であり文化であるという考えを前提に、その暗黙知を含めて採用の際に決めるものである。

会社は、カルチャーを維持しなければ自己実現の場を失うことになる。自己実現は、幼い時代には何でもチャレンジする遊び場であろう。大人になったのちは、社会では不確実性を前提に様々な工夫をすることで、社会的な貢献を高める場であろう。学者の場合、先行して研究成果を上げることであり、営業の場合、売り上げを工夫してあげることだろう。

過去は、能力ありを中心に見ていた。その理由は、人事部において能力があった場合、それなりの言い訳がたち、減点主義の過去においては便利だったからだ。誰もがやるべきことが明らかな場合能力さえあれば正当化できた。過去のやり方は、会社が軍隊式であり、上司の言うことを聞いていれば良い時代であった。

これに対して、不確実性の時代においては、何をもって能力というか理解できない。その場その場で使うべき力は異なる。上司が理解できない事を自分の言葉で考えて、やりきる場合も必要だ。リーダーがその場その場で変わるくらいの柔軟性が必要になる。

文化に沿って柔軟に成長できるものを取り入れ、優秀でも成長可能性のない人物は採用すべきではない。文化にあわない人間は危険であり、採用をするとすれば、能力なしを採用する方がましである。その理由は離脱しやすいからだ。これに対して、能力があるものは文化を変えてしまうので危険なのだ。自己実現の場を奪ってしまう。

カルチャーフィットする人間が良い人材であり、客観的に優秀な人材が会社に必要なわけではない。

4)コミュニティデザイン

内発的な動機を重視すると、リーダーがコロコロ変わるコミュニティに変化する。上意下達では満足できない人間が増えるだろう。

なぜ、今新規事業が上手くいかないかは容易に想像できる。プロダクトアウトになりがちで、マーケットインで対応できるほど、組織が整っていないからだ。

上意下達では上がマーケットのことを理解しなない限り、利益を得るのは難しい。イメージするものとしてゲームが分かりやすい。

マーケットに近いもの、つまり若い人の方がマーケットのことをわかることが多い。

成長産業はカオスを含むが、成熟した産業はルールベースになりやすい。ベテランは経験を中心にバイアスとルールベースに持ち込んだ方が若手に勝ちやすい。しかし、それをすればするほど、成長と異なるベクトルになる。

ストラクチャーカオスをあえて作らない限り、成長は見込めない。が、ベテランはカオスを基本的に好まない。不透明になると、順応力が必要になり、体力的に若手に負ける場合があるからだ。

ここで、若手+未来力のあるベテランvsベテランの見解の違いが出る。ベテランは、経験が必要という。これに対して、若手は、このヒエラルキーを超えたい。意見の衝突が激しくなる。

権力のあるベテランが勝ってしまう現実もあり、新規事業は出世をあきらめるものがやることになる。その分、信頼を蓄積できるので外に出やすくなる。

こうした紛争は実際には、良い結果によって収束していくので問題はないともいえる。しかし、カルチャーにフィットしないものが居続けることで、その人は成長しないことになる。そして足を引っ張ってしまう現実もある。

とすれば、カルチャーフィットしない人員はやはり不幸になる前に、自分に合った場所に向かう必要がある。

そして、カルチャーフィットする人員は、ベテランが若手に投資するという視点を持つと、対立が起こりにくくなる。若手はより長期的な視点が必要になるのに対して、ベテランはなかなか長期的な視点で考えることができるか、技術的な変化について考えて順応することができるか(コダックがデジタル化できる道を選ぶことができるか)、判断が難しいからだ。

現状維持が敵と判断するには、ベテランは地位が良すぎる。

5)人数が減ったうえでのDX

カルチャーフィットした人員だけになってくると、コミュニケーションがとりやすくなる。そうすると、DXに対応することが容易になる。人件費の予測もでき、投資にお金を回すことが可能になる。

試験的な運用も可能になり、新しい遊びをすることができる。

DXは、本業にとって代わるビジネスモデルの創出である。OMO(online merge offline)において、顧客ベースで何が必要かをデジタル的なアプローチで測り、何度もテストしていくことになる。

6)ベテランは若い人に投資せよ

ベテランは若い人に投資することで、自らの資本を増やすことができると認識すれば、社会のコンフリクトの大半は消えていく。

社会はパイを増やす場であり、ベテランと若い人でパイを争う場ではない。投資をすることでベテランの財と若い人の財が増えることになれば、いがみ合うことはすくない。

人間の本質であるコミュニティベース、内発的動機を考えつつ、スムーズなカニバリズムをすることはどうすればよいのかを考えると、ベテランは若い人に投資することで、働く場を増やすことができるのではないかという仮説ができる。

リクルートのリングはそのような場であるような気がする。


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