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おひとりさま四十路を謳歌している私の話|#02 物語の主人公を放棄していた私のこと

さて、思ったよりも早く二回目となります今回は、四十路になってやっと気づいたとても大事なことについて書いてみたいと思います。
どうぞ最後までおつきあいください。


他人にお任せしていた人生

自分で言うのもなんですが、私って他人*から「凛としていてかっこいい」「自分をしっかり持ってる」「仕事ができる」とか言われることが多いんです。いえ、決して自慢したいわけじゃないんです。この「他人から言われる」が超絶やっかいなんです、という話です。
ちょっと言ってること分かんない、とイラつくことなかれ。これからそれをじっくり説明していきます。
*この記事では、自分以外の全員を他人と定義します

この記事を読んでくださっている方は、他人から「あなたは○○〇〇な人だね」と言われたことはないですか?褒められたり、ディスられたりも含めて。そして、それに一喜一憂したことはないですか?私は、つい最近まで一喜一憂しまくりの人生を送っていました。
最初は、小さな頃のほんの些細なことからだったと思うのです(全然憶えてないけど)。ちょっと頑張ったら(作文を上手に書けたから学校代表でコンクールに応募したとかそんな程度のもの。私の地元は一学年一クラスの小さな小学校だったので楽勝です)ものすごく褒められて、そこに酔いしれて、そして、もっと褒められたくてまた頑張る。逆に、評価が低かったりダメ出しされたら、自分はダメなんだと落ち込んではみるものの、それはそれで何クソ精神でまた頑張る。その頑張る姿を褒められて、さらに頑張る。そういう思考と習慣で生きていました。もう書いてるだけで吐きそう…。

一言で言えば「他人軸の権化」です。自分の価値は他人が決めるものと認識してしまったんですね。超他人任せです。

その結果、何をしても他人からの「お褒め」がないと満足できない、常に他人からの評価が気になる、しまいには頭の中で勝手に他人からの評価を想像しては自己否定する始末。どれだけ自分を信じられないにでしょうか。本当にかわいそうです。

こんなふうに、ほんの2、3年前までの私は「自分の評価は自分が決めることじゃない。他人が認めてくれて初めて高く評価されるものだ」と本気で信じ込んでいました。(それも間違いではないのですけどね、一部は。)
でも、この考え方って自分を置き去りにし過ぎてやしませんか?って話なんですよね。他人、つまり、自分以外の誰かの基準で生きることになるんですよ。まるで奴隷です。そして、自分の人生に対して無責任です。よくよく考えたら怖いことです。

でも、私はある日「あれ…なんか違うかも、この人生」と気づいたんです。そして、このことがマンションを買う決意へと繋がっていきます。

空しさと、自問自答と、パンデミックと

他人軸で生きている自覚もないまま、30代も終盤を迎えていました。結婚もしてないし恋人もいないので、力を注ぐ先は仕事と趣味くらいでした。2019年の後半は、仕事がとてつもなく忙しい時期でした。でも、仕事が好きだし、やりがいも感じて愉しんでいました。休日も趣味に明け暮れていました。一見すると充実している毎日でした。

でも、どこか空しい。そして、いつまでも満たされない。

その原因は探せばいくらでもありました。誰それさんと違って「パートナーがいない私」「子供がいない私」「出世してない私」「貯金のない私」。ない、ない、ない、ないづくしの私。
だから何だって話なのですが、この奥底に眠っていたのが「全然かっこ良いと思われないじゃん、私」だったのです。そう、勝手に他人からの評価を想像して、自分をジャッジしていたのです。これが私の空しさの根源でした。
でも、ここに気づくのは、まだ先のことです。

ただただ空しさを感じていた頃、世の中には得体の知れないウィルスが蔓延していきました。いつの間にか仕事は完全リモート制に切り替わり、趣味のための外出もできなくなり、リアルに人と会うことはめっきり減りました。
でも、このことが良かったのです、今、思えば。荒療治的な感じでね。
それまで人の目を気にし過ぎていたことに、物理的に気づかされたのです。
通勤していた頃は、好きでもないオフィスカジュアルな服に身をまとい、ちょっとでも綺麗に見られたくてお化粧をし、髪を整え、アクセサリーを付け、いざ出陣!みたいな感じで玄関を飛び出していました。
でも、リモートワークになった途端、何ということでしょう!そんなもの全く必要なくなりました。そりゃそうです、人に会わないんだからそんな鎧は一つもいらないんです。ということは、これまで毎日、他人から良く見られたいがために、朝の貴重な一時間を準備に充てていたわけです。

ちょ、待てよ私。
それでいいのか、私?
それで心地良いのか、私?
それで私のためになってんのか、私?
私のためってなんだ、私?

余計分からなくなってきました…。

心地良さを訪ねて三千里

不毛な自問自答が始まってしまった私。それでも毎日は過ぎていくわけで。悶々とした中で、否が応でも繰り返される毎日。仕事して、食事して、入浴して、眠って…そのほとんどを狭いワンルーム(もちろん賃貸ですよ)で過ごす毎日。
これまでは、寝られればいい、雨風が防げればいい、お風呂に入れればいい、くらいにしか思ってなかった家での時間が、私の時間の大部分を占めていきました。

一つ気づくと、また一つ気づくわけです。
え…
この部屋での暮らし全然心地良くない!
私の生活スタイルに全然合ってない!!
間取りも雰囲気も場所も全然好きくない!!!
お気に入りポイントが全然ない!!!!
私のための場所に全然なってない!!!!!

そう、これが私の出発点。
「暮らす場所を見直す」「居場所を整える」「私のための空間を確保する」ことが、自分軸へのターニングポイントでした。

こうなったら早い(フットワークの軽さだけは自信アリ)。
パンデミックで混乱する世の中を脇目に、どんどん、ぐんぐん動きました。私が私らしくいられる暮らし探しをスタートするのです。と言っても、今の世の中って超便利なもので、インターネットさえ繋がってれば物理的に移動しなくても何でもできる。まずは、物件検索サイトをポチポチしまくるわけです。指しか動かしてないのに目の前の世界は広がるばかりです。

さて、こうして私の自分軸獲得への道が少しずつ開いていくのでした。
具体的にどう動き出したのか。
それはまた次回にいたします。

最後に一曲ご紹介。
私もあなたも、物語の、人生の「主人公」なのです。


第二回目の記事、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回。
徒然なるままに。

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