鬱病虚無日記(随時修正)

2023年12月11日

心療内科に通院を始める。

12月25日

今の自分の状態が典型的なパニック障害(発作)そのものなんだなと(今さら)知った。自分の場合、糖尿病の低血糖や脱水症状とパニック発作の症状がかなりよく似ているために、自覚が遅れてしまった。二週間前から心療内科で薬はもらっている。ちなみにセルフ認知行動療法というのがあるという。

https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_978.html

12月25日

今まさに「発作への恐怖や不安で行動範囲が狭まっていく」状況の中にある。自分の状態が典型的なものであると知る。先週金曜に仕事で電車で都心に出た時のパニック発作が結構重かったのだった。溝の口→神保町の区間でニ度、電車から降りてしまった。

《パニック発作は繰り返し起こる特徴があり、発作を繰り返していると、"また発作が起きてしまったら"と不安感に襲われるようになります(予期不安)。予期不安が強くなると、発作を予感させる状況や場所そのものが恐怖となり、それを避けるようになります(回避行動)。

例えば、電車に乗っているときにパニック発作を何度か経験すると、"電車に乗ったら、また発作が起こるかもしれない"と考え、電車に乗ろうとしなくなるなど、日常生活に支障を来すようになります。

回避行動が進むと、パニック症のおよそ3分の1に「広場恐怖症」が起こるという調査もあります。広場恐怖症とは、パニック発作が起こっても逃げられない、助けを求められない場所に身を置くことに恐怖を感じることです。飛行機、新幹線、特急列車、高速バスなどの交通機関の中や、エレベーターの中など、見知らぬ人に囲まれる場所が対象になりやすいです。》

12月25日

パニックから意識を逸らすための技法――「大丈夫!」「死なないから!」と自分に言い聞かせるのも逆効果であるらしい。悟りとか、マインドフルネスとかの領域に近いような気もする。

《パニック発作が起きたら、心臓がすごくドキドキします。自分が死ぬんじゃないかと思い、思わず胸に手をあててしまうと思いますし、知らないうちに心臓の鼓動やドキドキに強く気を集中させてしまいがちになってしまします。このような「死なないよね」「ドキドキしていた」「苦しくなったらどうしよう」と確認する行動は、不安に対する無意識の「確認行為」かもしれませんが、パニック障害の場合にはその意識が強く働きすぎて、自分で自分の不安や緊張を高ぶらせすぎてしまう傾向もあるとされています。

つまり、ドキドキしていることを確認すると、余計に心臓のドキドキ感が強くなって不安が止まらなくなってしまうのです。

意識の向け先を作らなければいけません。意識の向け方としては、「声を出さずに頭の中で好きな歌を歌う」「時計の秒針をみて数を数えながら呼吸のペースを一定にする」「指を折って順番に数字を数えてみる」「頭の中で、計算をひたすらする」など…》

2024年1月12日

今の自分は、自律神経失調症→慢性的過呼吸→パニック発作→広場恐怖症、という感じなのだろうか。こんなに苦しくつらいものとは知らなかった。同症状の他人の苦しみに想像力がおよんでなかった。

一月になって、在宅でも過呼吸発作が出るようになってしまった。対策として腹式呼吸の練習をしている。危ないと感じたら、腹式呼吸(難しければ1吸って2吐くだけでも)で発作を軽減する。試行錯誤中。

しかし日常語の「パニック」や「不安」と、パニック発作の時の〈パニック〉や〈不安〉とは、似て非なる何かという感じがする。日常語によって誤解されている面があるのかもしれない。しかしあの感じをうまく言語化できない。

1月13日

それにしても鬱病の神経衰弱で、わずかな間にすっかり生活が一変してしまった。昨年9月10日に脱水で倒れて一段階ラインを越え、その後の電車内パニック障害でもう一段階越え、年が明けて夜の自宅内パニック発作を経験してさらにもう一段階ラインを越えた。

それ以前までは、家族で釣りに行ったり、低山登山や野鳥探索に行ったり、近隣をポケモン探索に行けたりしていたのに。無駄な時間も素晴らしい、とか言いながら。今はまともな外出ばかりか近隣で外食するのも難しい。これだけ心身が衰弱すると、それらが遠い日のように感じられる。この間ほんの数ヶ月のことなのに。それ以前が幸福で退屈な恩寵の時間帯に思える。毎日を何とか生き延びるだけで、すっかり力を使い果たしてしまう。鬱病とは恐ろしい病気だ。

1月13日

どうすれば回復するのか、これという養生の方法がなく(薬の効き目がいまいちわからない)、それもまた不安を強める。頼みの綱がない。確実に無意味ではない行為・行動とは何だろう。腹式呼吸の練習。そしてとにかく小まめに歩こう、歩き続けよう。ウォーキングは糖尿病にも鬱病にも効果的なはず。日光でセロトニンが増えるらしい。ウォーキングにセルフ認知行動療法を混ぜながら。

2年前からの糖尿病の療養では、とにかくウォーキングを大切にし、坂道や階段を織り交ぜながら7000〜1万歩を歩き続けることを日課にしていた。身体にも心にも間違いなく効き目があった。頼みの綱だった。

しかし鬱病で心身が衰弱してからは、4000~5000歩くらい歩くと心臓がバクバクしたりめまいが襲ってきたりするようになった。頼みの綱が奪われ、非常に参っている。なので小刻みに、小まめに、3000〜4000歩くらいを数回に分けて歩くようにしている。大丈夫そうな時は坂道や階段をなるべく織り交ぜていく。焦らずに、少しずつ心身の具合が上向きになっていけばいいなあ、と祈りながら。

1月13日

『不安神経症・パニック障害が昨日より少し良くなる本』によると、

《不安神経症からの回復には、回復したい、回復すればこうなる、という考えを捨て去ることが必要なのだということです。回復したいと考えれば考えるほど、不安は強まります。要するに、私たちはまっすぐ前を向いて、将来のことを考えるのでも過去のことを振り返るのでもなく、今この瞬間を生きなくてはならないのです。不安神経症について考えなくなればなるほど、不安神経症が私たちに与える影響は小さくなります。ただし、それを自分に強要してはいけません。回復したいと考えてはいけない、と自分に強いれば、その考えは消えません。回復、という枠の外で考えれば、回復は自然に訪れます。》

 自分が当事者になる前はこうした考え方は(ネガティブな意味で)スピリチュアルな感じがしたけど、今はこういう考えはじつは実践的=プラグマティックなんだよなと感じる。悟り/マインドフルネス的なメンタルにもっていくこと。いつかきっと治る、と考えてもいけないし、一生治らない、考えてもいけない。しかしやはり難しいことだ…。

1月19日

10日前の1月9日の夜中に自宅で重いパニック発作があった。また5日前の1月14日日曜の夜に重い脱水(おそらく)を経験し、さらに翌日月曜の夜も短めの似たような症状が出た。

それ以来、急性期というのか不安障害/パニック障害が一気に悪化してしまった。日常的にできないことが増えた。ここ10日ほどは本当に地獄というか、あまりにつらく、最悪に苦しい。これがどん底なのかもわからない。

いくつかの本で不安障害/パニック障害について調べたりもしたので、少し落ち着いたら言葉にしてまとめてみようとは思う。こんなに想像以上に苦しいものとは全く知らなかった。せめて今の状態を抜け出したい。いくつかの仕事のイベントも中止とさせて頂いた。申し訳ない。

1月30日

 また10日ほど過ぎた。今月のことを少し振り返ってみる。今月1月9日くらいから自宅でも過呼吸・パニック発作を経験するようになり、また冬のひどい脱水症状もあって、それ以降はパニック障害・不安障害がかなり深刻化した。本当に苦しい日が続いた。

これを急性期、と言うのだろうか。つねに不安と体調不良に襲われていた。近隣に買い物に行ったり、食事や風呂さえままならなかった。睡眠も不安定になった。精神安定の頼みの綱のウォーキングも、神経衰弱で難しくなってしまった。歩く体力すら手元になかった。複式呼吸法やセルフ認知行動療法も試してみたが、効果はよくわからなかった(しかし長期的に見ると、多少の効果はあったような気がする)。

 そして1月17日くらいからは、慢性的な強烈な頭痛に悩まされるようになった。本を読むどころか、スマホを見ることも、テレビを見ることも、歩くこともできないような頭痛。何もできない。ロキソニンを飲んだりもしたが効かない。不安と緊張のため体がガチガチに強張っており、緊張性の頭痛かも知れないと思い、肩甲骨のストレッチ、(半裸で)日光浴などを長時間繰り返した。冬の寒さもダイレクトに心身に堪えるようになった。

1月25日に心療内科で薬を変えてもらい、また長時間の肩甲骨ストレッチが奏功したのか、頭痛が次第に少しずつ緩和されてはきた。ここのところは、在宅での過呼吸・パニック発作も見られなくなった(油断は禁物だが)。お風呂に入れるようにもなった。食欲も少し戻ってきた(1月に入って食欲がなくて2㎏ほど痩せていた)。

相変わらず頭痛はあれど、多少であれば読書ができるようにもなってきた。昨日(29日)の糖尿病内科の定期通院では、諸々の数値も安定していた。ちなみに、国保の健康診断&大腸がん・肺がん検診の結果も出たのだが、再検査の必要などもナシとのことだった。よかった。ちょっと安心した。油断禁物とはいえ、ほんの少しずつ、諸々の事たちがよくなってきている、回復の方へ向かっている、と思いたい。

2月1日

無理せずちょっとずつ日常や仕事に戻れたらいいのにな……と思い、昨日、近所の古びた中華屋さんへラーメン(今時400円)を食べに行けた。次の目標は映画館へ行くことかな……。

2月3日

昨日の夜と今日はまた心身の調子が微妙。そんな簡単にはうまくいかないものだな。数ヶ月(それ以上?)かけて調子を整えていくしかない。焦ってはいけないと思いつつも焦ってしまう。

2月7日

日によって、少し良かったり、少し良くなかったり。気候の影響なんかもあるのだろうか(雪が降る前の午前に、久々に地元の温泉に行けたり。でもその翌日にまた軽い脱水になってしまったり…)。自分では自覚しづらいけれど、螺旋状にゆるゆると回復していっている…のならばよいのだけど…

2月7日

『うつヌケ』を読んでいて、やっぱり自分にはアファーメーション(肯定的自己暗示)が必要なのだろうな、と思う。同書、大槻ケンヂのエピソードは沁みた。自分と同じ不安障害/パニック障害だったんだな。森田療法か…。読んでみようかな…

2月9日

12月頭から通院と服薬がはじまり、1月の急性期の困難な時期を過ぎて、2月に入った辺りから次第に良い方向に向かっているのか、と思いきや――この数日の心身の調子は全体としてまた非常に微妙だった。特に朝、午前中の抑鬱がかなり重い。短い距離の散歩すらできなかった。そんなにうまくはいかないものだ。

2月10日

この十数年は物書きを仕事にしてきた。その限界が来て、ついに鬱病で完全に倒れた。いちど死んだ。ポンコツになってガタガタの身体が悲鳴を上げまくっている。もう無理だと助けを求めている。かわいそうに!そういうことなんだと思う。

この間、わかったのは、仕事(労働すること)と批評(書くこと)という両輪が必要だということだ、50代以降の10年のためには。生の根本的な虚無に耐えるためには。そしてそれを超える生の価値を新しい人たちに伝えていく(というか分かち合えるようになる)ためには。

今の状態からもし回復できるようなら、そういうことを実践していきたいと思う。

2月10日

確認。お前のスキーマ(思考の根源的なフォーマット)とは、自分の仕事=天命についての虚無なのだろう。虚無。必死に本を書いても誰も読まず売れずすぐ消える、という虚無。それを必死に否認しようとしている。しかしその真理をネガティブにではなく能動的に諦め=明らめてよいのだ。そもそもそういうものであると。

しかしお前には誤解がある。お前の書いたものたちは完全に虚無に消えるわけではない。少なくとも歴史に登録される。ささやかな小さなものとして、であるにせよ。それは事実だと、それはお前も認めるだろう。ほとんどの書物はそのような命運をたどるのだ。そのことでそれが文化の腐葉土になるのだ。それでよいと信じてよいのだ。お前がたとえ神のごときものは信じずとも地球の文化の歴史を信じてよい。

お前はつまり他者を信じていない。愛せていない。それが根幹だ。しかしお前は未来の他者を信じてよい。いつか誰かがお前の言葉をささやかに読むだろう。未来の他者を信じて愛することが、この世界を愛することであり、お前がお前を愛することなのではないか。お前がお前を愛するとは「いつか誰かに読まれるかもしれないお前」を愛することなのだ。

お前の無知無能を自己否定しなくてよい。他者の才能と比較しなくてよい。お前の天命と他者の天命は違う、というだけである。お前はお前だけに書ける小さなものを書いてよい。書いたほうがよい。多くの人に売れる、多くの人に読まれることを目的とすることは間違いであり、誤りである、ということをもうお前はとっくにわかっているはずだ。

誰にも読まれないものを書くんだ、とお前はさんざん嘯いてきたが、それは嘘だった。わずかな誰かにいつか届くと信じてよいのだ。たとえ生前のお前がそれを知り得ないとしても。それが歴史の摂理なのだ。

だから、正確に言えば、虚無などないのだ。お前が怖れ、怯える虚無など、最初からありはしなかったのだ。虚無はない、しかし、これからも、虚無へのおそれは消えないだろう。お前は虚無を不安がり続けるだろう。全ては無駄だと。無意味だと。それがお前の不安の正体なのだろう。お前はお前がお前をついに愛せないことを不安がっているのだ。だがそれはお前が他者をほんとうの意味で信じず、愛していないからなのだ。だがお前はありのままのお前、在るが儘のお前を誤解しているだけなのではないか?

2月11日

1月半ばは主にパニック発作や不安障害や頭痛など、ぼろぼろの身体の悲鳴の苦しさだったが、2月は自分の仕事や将来の問題(虚無感)がメインの鬱という感じに変わってきた。もちろんそれらは連続しているはずだが、若干フェーズが変わって、重い抑鬱感やブレインフォグが前面化してきた。

苦しみの質はともあれ、毎日の苦しさの分量はやはりかなり厳しい…。この数日はその日一日を乗り切るのに精一杯。ウォーキングも、体力より気力の問題で、あまり長くは歩けないまま。足が止まってしまう。

意味や不安や虚無に翻弄される自分はひとまず捨て置いて(そのままにして)、眼の前の「作業」をこなそう、今すべきことをしよう、という森田療法っぽい考えは、僕の場合、書き物の仕事がまさに「作業」なのかもしれない。与えられた作業を淡々とこなそうということ。それになんの意味があるのか、なんてことをまだ考えてしまっている。意味のある仕事を選択せねば、という理想を先立たせてしまっている。しかしそれは自縄自縛なんだろう。「そのうえで 成功しても失敗しても その人生はまちがいではない」(大槻ケンヂ)。

2月12日

絶不調が続く。参った。いつか家族とまたドライブや旅行に行きたい。それを夢に見る。

2月13日

『うつヌケ』の田中圭一がもっとも影響を受けたという宮島賢也のうつ本。読んででみたら、自己啓発&親責任本で、ちょっと怪しいけど、田中さんが影響されたポイントは僕にもわかる。

鬱の症状は体が警告(サイン)を発しているのであり、自分の考え方や生き方、人間関係を根本的に変えるためのチャンスでもある。あえてそう考えたほうがよい。鬱は過労や自殺から自分を守っているとも言える。

僕の場合、もっとちゃんとした本を書かないと、まともな仕事をしないと、自分には生きる価値がない、という根源的な自己否定がある。そんなことはない、ということをどうすれば信じられるのか。それが課題。

たとえもうこのあと一冊の本も書かなくても、自分には生きる価値がない、生きる意味がない、なんてことはないんだよ!と思いたい。たとえば(立岩真也が述べたように)花鳥風月を楽しめるだけで良いじゃん。それだけの唯の自分を愛せればよいじゃん。何かを成した自分ではなく、あるがままのこの自分(存在そのもの)を自分で認めてあげられるようになりたい。セルフケアとは、条件付きでなしの、無条件の自己尊重のことだろう。そのうえで、もちろん、書けるならばまた書けばよいわけで…。

……とか書いてみたものの、今日はお昼すぎまでは最悪の最悪の最悪のメンタルだった。家にいるとそれだけで鬱々が深まる。日常のなかで、仕事のできなさや人生の虚無につねに向き合わねばならないのだろう。つねにステータスが状態異常のようなものだ。

思い立って、車でドライブや公園散策などをした。そうすると少し気楽になる。たぶん、それらをしている最中は、日常からちょっと離れて、仕事や意味とは無関係な、あるがままの自分を楽しんで肯定できているからじゃないか。とはいえ、そもそも鬱の症状で身体が弱っているので、いつでもできることではないのだが…。

せめて体力がもっと戻ったらいいのだけれど。(少しでも自己客観化していかないと本当の本当にやばいので、延々とこういうことを書くのを許して下さい)

2月13日

意欲がない、集中力がない、早く目覚めてしまう、食欲がない、性欲が消える、というのは典型的な鬱の症状なんだな。めっちゃ当てはまる。今更だけど。

2月13日

宮島賢也の本で、ハッとしたのはーー今までやってきたことを、死んだつもりになって、休んでもいいときなのかもしれませんね(95頁)、死んだつもりになって、そこから離れてみてはいかがですか(98頁)、というところ。何気なく書いているのかもしれないが、死んだつもりになってーーという部分にハッとしたし、ゾッともした。そうか…。

2月14日

2月にぶち当たったのは、今の自分は人生の目標を完全にロストしているんだなということ。心身の限界が来て、ものを書くという目標から一度離れざるをえなかったので(一度死んだので)、人生の目標がない。何も無い。大学教員や介護労働者でもないので、ダイレクトにそれが来てしまった。虚無への直面。

今のところ、やりたいこと、やっていて楽しいことがほかに何も無い。何をやってもつまらない(ブレインフォグ=濁った寒天で文字が頭に入らない)。退屈であることを贅沢に感じられない。暇がただの圧倒的な虚無として迫ってくる。

逆に言えば、これまではマンガや映画やアニメの視聴すら「意味」のある仕事に紐付けていたのだった。「意味という病」の自縄自縛。そこからどうやって別の道を見出すか。単純だけど、単純ゆえに、非常にこれは難題である。大槻ケンヂが作業的にプラモデルや格闘技をやったというけど、まずはそういう何かが必要なのかもしれない。

しかしこれは割と多くの鬱病者たちが直面する問題なのではないか。やること(やれること)がないので、一日が異様に長すぎる!どうやりすごせばいいのかわからない!という苦しい問題。

2月14日

鬱病の一つの根っこにあるのは(少なくともその一つは)、虚無的な自己嫌悪――自分の人生には何の意味もない、有りの儘の自分を自分で好きになれない――の問題であるというのは、間違いなさそうだ。無意識のうちに、自分を好きになれない。自分が嫌いで仕方ない。

自己嫌悪が体の姿勢とか呼吸とか頭痛とか、認知の歪みや癖とか、たえまない不安や自己否定などの身体症状に変換されてしまっている。それらが積もりに積もってガチガチの心身の負荷になり、泥の鎧のように己を塗り固めてしまっている。

長い間、ものを書き続けることでなんとかそれを誤魔化し、見ないふりをしてきた。しかしアラフィフにして、誤魔化しの限界がついに来た。一気に虚無という真理に直面させられた。それに対しては、認知や思考習慣、フレーム、生き方などを変えていかないと、もうどうにもならないようだ。

ごくごく単純化すると、そういうことなんだろう。もちろん単純化のしすぎだし、具体的にはどうすればよいのかは五里霧中の手探りだが…

2月14日

『うつヌケ』の田中圭一さんは、とにかく肯定的自己暗示(アファメーション)を大事にしている。他人に何気なくちょっと褒められたら何度も何度もそれを反芻するとか。生き延びるためにはもはや恥も外聞もない身なのだから、僕も何でも真似してみよう。

ところで、田中さんは、最も重要な影響を受けたという宮島賢也の本『自分でうつを治した精神科医の方法』からアファメーションを知ったのだけれど、宮島本のオカルト的で成功哲学的なところをうまく躱している。そこは採り入れていない。親の育て方の問題、という話も採り入れていない。薬はいらない、という極端な選択もスルーしている。食事療法/断食法のこととかも。あくまで肯定的自己暗示の技法だけにフォーカスしてるんだよな。

基本的な心構えとしては、科学に基づく投薬も必要だし、プラグマティックな身体技法(腹式呼吸や猫背矯正)やセルフ認知行動療法も必要だし、実存的で自己啓発的でマインドフルネス的な話もどこかで必要だし、自助団体というかピアカウンセリング的なものも必要であって、あとは、個人(このわたし)にとってカスタマイズされた組み合わせのベストなあるいはベターなスタイルを試行錯誤していくことなんだろうな。

パニック障害になって最初に読んだのが、純粋に身体的なアプローチ(呼吸法や姿勢を重視)の小塚高文さんの『パニックくんと不安くん』で、それは結構バランス的に良かったのかなと思った

2月14日

過呼吸〜パニック発作が起こるメカニズムとは、呼吸が浅く早い、おかしい、窒息死する!回避せねば!という脳(扁桃体)の〈誤作動〉が原因であり、そのための緊急回避行動として、心臓のバクバクや「死んでしまうのでは」というほどの強烈な不安が起こるものらしい。

そしてその経験が「またそうなるのでは」という予期不安となり、不安が不安を呼び寄せる悪循環となり、パターン化してしまう。ちょっとしたことが不安のトリガーになりうるために、行動範囲ややれることが狭まっていく(広場恐怖症)。

パニック発作になると、言葉の上で大丈夫だからと言い聞かせても脳の誤作動は解除されない、というのが厄介なポイントなのだろう。意識や意志でどうこうするのではなく、緊張した状態を身体的に解除してあげねばいけない。それがたとえば腹式呼吸だと。(かつては紙袋を口にあてて呼吸するというペーパーバッグ法がよく知られていたが、近年では危険もあり推奨されていないという…)

しかしこれは逆にいえば、生命の危機だと自分の脳が勘違いするほどに、誤作動を起こすほどに、身体が長い間疲れきって、たえまない緊張を強いられていた、ということなのだろう。

そう思うと、自分で自分の身体に申し訳ない。自分の身体が何だかかわいそうだ。そんなに助けてくれと悲鳴をあげていたのに、誰も聴いてくれていなかったとは。何だか泣きそうになった。

パニック障害になって、初めて、そういう(他者としての自分の身体への)労り=ケアの気持ちが湧いてきたのだった。セルフケアとは、他者としての自己の身体に対する配慮であり労りなのだろう、たぶん。

2月14日

小塚高文さんの『パニックくんと不安くん パニック障害・不安障害を自分で治す方法』によると、パニック障害と不安障害は根本は同じもの。体の過度の緊張がある。心に不安があって体が緊張するのではなく、体の慢性的な緊張が原因で、様々な不安を感じるようになるのだと。だから体にアプローチすることが大切になる。

体が緊張して呼吸が浅く、早くなり、心臓の動きも早くなって、精神的に不安定になり、様々な不安が生まれる。予期不安で不安を先回りして、段々何もできなくなる。すると、日常的に呼吸を深く、遅くするのがよい、ということになる。浅い呼吸の原因は普段の姿勢にある。具体的にいうと腹式呼吸(横隔膜が動く呼吸、丹田を意識した呼吸)が大切。腹式呼吸になるには、姿勢を整えるのが大切。要するに、猫背を治すこと!体の姿勢が楽になれば心も楽になるはず!。これ、結論だけみると笑ってしまうけれど、合理的で、理にかなっているのだよな(もちろんそれですべてよくなる、という意味ではない)。

小塚さんによると、禅宗の教えもじつは姿勢を整えることなんだと。座禅とは、体と呼吸が整えば心も整う、という考えのこと。「調身」「調息」「調心」の三調を整えるべしという考えがある。座禅とは、心の煩悩云々ではなく、姿勢がすべてで、だから姿勢が乱れると打たれる。なるほど。

2月15日

何を食べても美味しく感じられず、公園に行ってみても美しいと感じられず、テレビ(息子が好きなポッキーさんのゲーム中継動画とか)を見ても楽しいとも思えず、何の意欲もやる気もわいてこない。一日が苦しいだけでひたすらに長い。まさに教科書どおりの状態ではある。

ということは、時が経てば、教科書どおりに回復していくものだと信じたいが、というかそのくらいの希望なしにはつらすぎるが、どうか。平均的には、ひとまずの回復期は4ヶ月〜6ヶ月頃で、元の状態に戻るのは1年くらいらしいが…(あくまで平均の値で、個人差があるし、再発や波も大きいと言われる)。12月頭に通院を始めたので2月末で3ヶ月になるが…。

2月17日

数日前(14日)の夜に、自分の今の人生が論理的必然的に「詰んでいる」とわかって、鬱の状態も一気にわるくなったように思う。正確に言えば、だいぶ前から自分の人生が「行き詰まり」にあるとわかっていたはずなのに、そこから目を逸らし続けていたことがわかった、というか。

説明すると長い話になるが、よくある退屈でつまらない話でもある。しかしいずれにせよそういうことだったのかと自分の中で腑に落ちたのだった。そしてそれはシンプルゆえに、どうにもならないもの、今までの生き方では乗り越えがたいもので、正直途方に暮れてもいるのだった。

どうしよう?

2月18日

鬱病の調子が全然よくならない、もうだめかもしれない…という気持ちばかりがつのっていく…きびしい…

2月20日

とにかく、今は余計なことは考えずにゆっくり休んで心と体を回復するしかない、というシンプルな結論になる、のだけれど、心身を休めるのがひどく難しくてほぼ不可能であるのが、まさに鬱病の特徴なので(横になってぐっすり眠る、などができない)、どうしてよいかわからない。そういう悪循環があって、頭がおかしくなりそうな日々が続く。食欲も厳しくて、あっという間に体重が4キロ減ってしまった。体力の低下。ウォーキングができない。ただつらい。疲れ切っている。

2月20日

時間が薬、時間が薬…

2月21日

つらい。地獄。

2月22日

ここのところ、鬱病マンガを少し読んでいた。『ツレがうつになりまして。』シリーズ、『うつヌケ』、『マンガでわかる!うつの人が見ている世界』、『うつ病九段』、『今のわたしになるまで』、『わかりやすい鬱病の参考書』、『うつ逃げ』など。相原コージのは怖くてまだ読めない…。

鬱病になると活字がよめない、頭に入らないというのが典型的なのだが、鬱病関連のマンガや本なら読める人たちがいるらしい。僕もそうだった。小説などは全然頭に入らないが、鬱病関係の本だと何とか読める。ふしぎだ。鬱病だけではなく、他の精神疾患関連だと読める、という人もいるようで、ちょっと試してみたい。

鬱病マンガはバラエティも色々。エリート階級男性ものも、意識高い系女性ものも、自分探し系ものも、ちょっとスピリチュアル寄りのものもある。ただ、これらを読むと、やはり今の自分は「何もできない状態」と感じる。そもそも趣味や旅行や外出など、何もできない。いまのところ、『うつヌケ』がいちばん励ましになっている。

2月22日

長い間準備してきて集大成にすべきと考えていた大きな仕事が、残念ながら失敗作であり、使い物にならないゴミだった!虚無だった!とわかってしまった。その衝撃たるや。

しかし無意識のうちにそのことに気付いていたから、真実を回避し、否認して、固執して、鬱病を悪化させた、という面もあるんじゃないかな。これを完全に破棄するか、嘘でも何とかするか。そういう瀬戸際の選択肢まで、やっと、進んできたわけだと思う。それに気付いて、こないだ号泣してしまったのも、そういうことだろう。無念だけど、事実は事実なので、仕方ないということか。

いや、しかしそれだけじゃない。それどころじゃない。もう、書くべき仕事がなくなってしまった。何もなくなってしまった。その衝撃たるや!それも多分だいぶ前に気付いていたんだろう…。空っぽの、虚無の、ゴミになってしまった!自分が!終わってしまった!

…というこうした極端な考え方こそが間違っている、とはわかっているのだけれど。しかし論理的にそれを認めることはできても、実践的にどうすればよいのかわからず、行き詰まり、出口が見えなくなった。それが現状。現在をまずは現状として受け容れねば。

2月23日

今日もつらい。苦しい。ほんとうにつらい。地獄としか言いようがない。一日布団の中にいる。しかし脳はオーバーヒートして眠れない。苦しみ悶えている。神的な何かに祈るしかない。どうか助けてくださいと。南無阿弥陀仏と。

3月3日

しばらく日記も書けなかった。2月半ばから、鬱病の薬が2段階で変わり、その薬が致命的に体に合わず、かなり深刻な状態になってしまっていた。強烈な希死念慮に苦しめられた。思い出すだけでもおそろしい。薬とはほんとうにおそろしいものだ。いつか冷静に振り返って記録できればいいのだけど。

0226月曜に薬をもとに戻して(同じ薬の内容を少し強めて)、少し落ち着いた。ただしひどく眠たいので閉口する。全体的に体調がよいとも言えない。このまま少しは落ち着いてくれたらいいのだけれど…

3月6日

冷たく寒い雨で、迷ったけど、連れ合いと一緒に、バスと電車で二子玉川へ行き、ドラえもんの新作映画を観た。映画は3ヶ月ぶりだったかな。映画館に行けた、というだけで大きい。しかし鬱と薬のせいでずっと眠く、集中力はなく、体力も衰えていたので、ちゃんとは観れなかった。半睡状態。素直に楽しいという感じは得られず。それでもほんの一歩前進、なのかなと思いたい。連れ合いはその後買い物、僕は体力限界で先に帰宅する。

外出後、めちゃくちゃ体調が悪くなってしまった。帰宅後は布団の中から動けない。寒気がとまらない。

家族に申し訳ない、恥ずかしい、という気持ちが消えない。

布団から動けないが、頭の中はオーバーヒートしていて、リラックスからは程遠い、動けないが休めない、というのが鬱病の典型的なパターン

いつか、ふつうに外出したり、家族と旅行したり、友人と食事したりできますように。それを夢見て、日々に耐えていこう。たとえ今日は布団から起き上がれずとも。

情けない。恥ずかしい。また少し泣いてしまった。

特に春から中3になる息子に心配させてしまっていることや負担をかけてしまっていることがつらくてならない。

どんどん泣き言を言葉にすることを自分に許そうと思った

3月7日

昨日の帰宅後から翌日まで、断続的に18時間くらい眠ってしまった。眠くて眠くて仕方ない。鬱病の急性期(1〜3ヶ月)から回復期(4〜6ヶ月)に移ると、異様に眠たくなるという話もあるわけだが……と、都合よく受け止めてみる。そんな都合よくはいかないか。気分や体調の激しい波があるのも回復期の特徴らしい。先ほどウォーキングをしてみたが、思ったより歩けず、4000歩ほどでふらふらになって戻ってきてしまった。

3月7日

あるページによると、

《「眠くて眠くて仕方がない」という状態も、うつ病の「回復期」における特徴的なポイントです。

人によっては10時間以上眠っても眠気が取れず、日中も過眠状態になったり寝込んだりしてしまうこともあります。回復期に入ったとはいえ、急性期のつらい症状によってエネルギーを消耗しきった状態だからです。

しかし、この「眠くて眠くて仕方がない」という時期をすぎると、心身の状態は一気に回復していく傾向にあります。眠いときは心と身体が回復する時期だと考えて、十分に睡眠をとりましょう。》

…「この「眠くて眠くて仕方がない」という時期をすぎると、心身の状態は一気に回復していく傾向にあります」というのは、本当だろうか…。

回復期は、症状に波があるために、「本当に良くなっているのか?」と不安や焦りを感じることが多いらしい。直線的によくなるのではなく、一進一退を繰り返しながら改善に向けて進んでいくのが鬱病的な回復の特徴であるため(三寒四温ともいうらしい)、とにかく焦らないことが大切なのだと。もっとも今のこの自分が本当に回復期に入っているのかは、全くわからないわけだが…ちょっと外出しただけで激しく寝込んでいるわけで……。

3月8日

明け方まで雪模様。天候や気圧のためか、朝、鬱重し。やはり「未来の行き詰まり=虚無」の観念に囚われると鬱が厳しい。なんとかなる、なんとかなる、と布団の中で肯定的自己暗示。気休めであれども。今日も食欲なし。

鬱病の恐ろしさは、何もできないため、一日の時間が恐ろしく長く、苦痛な暇と退屈から逃れられない、ということ……

何を食べても気持ち悪く、娯楽も楽しいと感じられず、眠りもそわそわして安眠はなく、やること(やれること)がなく一日がひたすら長く、苦しいだけで、何を希望にしているかと言うと、少しでも脳が休まってより良く心身が回復してくれることなんだよな…しかしなかなか…焦ってはいけないとはいえ、12月の治療開始から3ヶ月を過ぎて、さすがに疲れと無力感がつのり…いや、もう、とにかく焦ってはいけないのだけど…

鬱病の症状で、食欲がなく、どんどん痩せてしまい、こわい。2ヶ月で6kgは痩せた。なんとか無理にでも食べようとはしているものの、やはり吐き気がして、気持ち悪くなってしまう。なぜかカロリーメイト(固形)なら食べられるので、頻繁に食べている。一箱で400kcal摂取できる。

3月9日

うーん…体調悪い…なんかもうやんなっちゃったな…全然回復なんてしてないやこれ……。

3月に入って(治療4ヶ月目に入って)、ずっと異常に眠たいのと、体がぐったりして何も動けないのと。

3月9日

ちょっとまだ生々しすぎ、トラウマ的に過ぎるのでうまく言語化できないが、2月半ば、薬が合わず、鬱が深刻化して、希死念慮に苦しめられた。危なかった。本当に怖かった。今思い出すのも怖い。恐ろしい。

その時、連れ合い、母親など、家族に対して、助けてほしいと涙ながらに泣き付いた。赤ちゃん返り、幼児化が出た。背中をさすってもらったり、頭を撫でてもらったり、手を握ってもらったりした。ある意味でそれはスキーマ療法的(?)な親子関係の再構築だったのかもしれない。

薬を変えて希死念慮はひとまず治まったけど、赤ちゃん返り、幼児化の問題はけっこう重要な問題として自分の中に残っている。赤ちゃんのように丸ごと全肯定されたい、という気持ちがアラフィフおじさんの自分の中にあったんだな、と。藤子・F・不二雄先生の作品にそういうのがあったけれど…。

3月10日

鬱病の薬を飲んでいるので、お酒ダメ、カフェイン含むコーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶ダメ。何より厳しいのは車の運転が基本ダメなこと…

鬱病についてよく言われる、寒さで体が冷えると、顕著に心身の状態が悪くなるというのは、僕の場合も、かなりはっきりと当てはまりそうだ、とようやく自覚した。寒い中外出したら18時間ずっと寝込んだし、雪模様の日は体調不良だった。体を冷やしてはいけない。

鬱病になると食欲がなく、美味しさの感覚が希薄になるのだけれど(それは多くの人が経験することなのだけれど)、最近食べ(られ)たものの中では、なぜか、お菓子のキャラメルコーンと、モスバーガーのポテトがすごく美味しい!と感じられた。油っぽい食事はできないのに、ポテトチップをちょっと口にしたらそれも美味しかった。不思議です。妊娠中の人の味覚に似た部分があるのだろうか。

3月に入って、とにかく体が疲れていて、また眠たくて仕方がない。夕方買い物して料理、洗い物、などの作業すら難しくなくなってしまっている。明らかに身体の衰弱が深まっている。回復どころではない。困った。ウォーキングもあまり歩けない。どうすればいいんだろう?ここから急に回復があるとは思えない…。体がある程度動かなければ何もできない。ゆっくり休めばそのうち回復して体力が戻る、ということは信じていいんだろうか。わからない。

3月11日

鬱病者の時間意識。過去はすべて無駄だった、取り返しがつかない、もう後の祭りである。未来に何らかの可能性が開かれるとは信じられない、ここが行き詰まりである。そして現在としての今は、時間の流れが遅くなり、絶え間ない苦痛が延々と引き伸ばされていく。一日が地獄のように長くなるが、一ヶ月は瞬く間に過ぎる(日々、具体的な「経験」は何も生じず、何も積み重ならないから)。

3月11日

坂口恭平の躁鬱本を読んで成る程と考えさせられた。

鬱病の人のある部分は、どう考えても自分の限界を超えた不可能なことを目標にしてしまっている。それができなければ人生が無意味で、生まれた甲斐がないと。他方で、そのほかにやりたいこと、やれることを何も見つけられない。それら他のことでは物足りないと感じているから。本当に素晴らしい人生を求め、それ以外では満たされないと感じ、そのために燃え尽きるのはやむないとじつは鬱になってさえも未だに信じ込んでしまっている。

問題は、こうした欲望とは、棄て去るべき「間違い」なのか、それでも突き詰めるべきものなのか、である。

ほとんどの鬱本は諦めよ、自らを労れ、等身大に変われ、と説く。しかし坂口はそうでない道を示す。

3月11日

『うつヌケ』によれば、鬱病の原因は、深層的な意味で、「自分で自分をキライになっていること」にある。自分の心が自分の体を嫌いになり、自分の体がそれに反抗する。体が「これ以上ムリするな」と警告を発する。脳がつねに誤作動し、自分で自分を否定し続ける。出口のない自己嫌悪。

意識や考え方を変えればいいとか、自己肯定感が大事とか、そういうレベルではない。どうにもならない脳や身体のレベルにおける自己嫌悪=誤作動なのだから。どんなに反省しても、反省が反省をぐるぐると呼ぶだけで、出口がない。

結局、生き方や働き方そのものをどこかで何かしら変えるしかないのだ(僕の場合、フリーライターの仕事の「先」にこれ以上の未来はない)。しかし、その「変える」というアクションが難しい。簡単に変えられるようなら、そもそも鬱病になってはいないだろうから。その難しさを受け止めたうえで、それでもやはり、「変える」しかない……ということらしい。

さて。どうしよう。本当にどうしよう…

今の自分は、あまりにも絶望的だから認めたくないけれど、アラフィフにして、完全に人生のデッドロックにはまってしまった。今は、日々の苦痛を何とかどうにかやり過ごしながら、回復期を迎えて心身がある程度動けるようになるのをひたすら待つしかない。そしてその先の段階で、どのように生き方、働き方を具体的に変えるかを模索するしかない。どうもそういうことらしい。(本当は「変えたくない」「このままで人生をまっとうしたい」にもかかわらず!)

結局のところ、認めざるを得ないのは、「大学の先生をやりながら批評を書く」「介護の仕事を続けながら物書きをする」「別の仕事をしながら書き続ける」という努力を避けてしまったこと、批評家一本で押し切ろうとしたこと、それが致命的な失敗だったということだろう。そのツケを鬱病として支払っている。単純化すればそういう話になる。

3月11日

薬や体調でまた変化するのだろうけれど、ここのところ、夕食後の薬を飲んでから寝る直前までの数時間の間に、平穏な、静謐な、安楽な時間帯が恩寵のように訪れる。スマホをいじったりマンガを読んだりするだけだが。一日の中で、ほぼ唯一の安息の時間帯。この安息が永遠に続けばいいのに。けれども眠って目覚めれば、苦痛ばかりの長い鬱病の一日がまたはじまる。

3月11日

鬱病になってみて、僕の病気に理解を示し支えてくれる優しい家族たちへの感謝が本当に身に沁みたという思いと(この病気にならなかったらそれを知らないままだったかもしれない)、だからこそ、自分の存在が家族の活動の負担や足手まといになってしまっていることへの口惜しさと。両方の思いがある。

3月12日

雨天荒天で散歩や買物などもできず、低気圧で体調も悪く、何もできず、時間が遅々と流れず、布団の中で悶々と身悶えし続けるしかない、という鬱病的に非常に過酷な一日でした。何の意味もない苦痛だけの一日。なんとか耐え抜いたというだけでヨシとさせて下さい。

3月14日

昨日(13日)は割と動けた日だったのだが、皆が言う通り、鬱はその日毎の体調ガチャであり、アンコントローラブルであり、今日は活動日和の好天なのに、朝から動けず、少し動いては布団に戻ってしまう。寝すぎて頭が痛いのに。外へ出て散歩もしてみたが、たったの1200歩ですぐに疲れて戻ってしまった。情けないと思っちゃいけない、と分かっていながら、情けないと思ってしまう。ああ、外はよい天気だ。

3月15日

結局昨日(14日)は最悪に苦しい一日だったが、その前日(13日)は、体調がよくてウォーキング7000歩+6000歩歩けて、食事も三食ちゃんと食べられて、久々に3時間ほど仕事のようなことができて、とても快調な一日だったのだった。予想はしていたとはいえ、その翌日の、急転直下の体調不良で、心がうまくついていかない。しかし、日によって心身の調子が大きく変動することは、回復期に入ったサインという話もある(だからこそアンコントローラブルで苦労するということのようだが)。もちろん油断は禁物で、本当に回復しているのかわからないけれど、あまり暗いことばかりは考えないようにしよう。

3月15日

鬱病の薬のせいで車の運転ができない、という問題。子どもの通院や車検など、今まで分担していたことを連れ合いに負担させてしまっている。じわじわと罪悪感、申し訳無さになってきた。テレビで北陸新幹線関連の番組などを見ると、自分はもう旅行へも行けず、子どもを何処へも連れていけないのではないか、という暗い気持ちになる。最近は旅番組から目を背けるようになった。金銭的問題の不安を含めて。いや、暗い未来を考えすぎてはいけないのだけれど…。

3月17日

治療4ヶ月目に入って(眠さは回復期の兆候ともいうので)回復期に入ったのかなと期待していたら、とんでもない、全然ダメみたい(通常4ヶ月目〜6ヶ月目が回復期とされる)。たまたま調子の良い日が一日あっただけで、基本散歩は全然距離を歩けないし、食欲も戻ってこない。文字が頭に入らない。ずっと疲れていて、ほとんど何も動けない。買い物と食事作りさえもなかなか難しい。ソワソワにずっと苦しめられる。焦ってはいけないのはわかっているけど…あまりにも回復の兆候がなさすぎる…つらい…きびしい…

3月21日

心療内科の通院日(10日ぶり)。最近はずっと眠くて、ずっと疲れていて、ひきこもりのような生活で、調子が悪いと一日中布団の中にいたりして、暇で退屈なのが苦痛で苦痛で困っているんですけれど……と言ったら、それはなかなかいい状態なんじゃないですか(引きこもって、十分に眠って、暇なくらいが今は理想、という意味らしい)、とドクターに言われた。

そう考えていいのか、少しだけほっとしたような。でもよくわからない。本当だろうか。つらいものはつらいので…。

通院から4ヶ月目で、そろそろ、なかなか体調がよくならないなあ、という焦りというか、無力感を感じているのですが……と言うと、あまり焦らないでくださいね、焦りが出る時期ですから、と。薬の内容などは変わらず。次回は2週間後。

帰り道、気分転換にと、久々にドトールでお茶を飲んだ。

3月22日

調子が良くなかった。明らかに過眠で頭がひどく重いのに、布団からあまり出られなかった。散歩も体力なく、二度に分けて3000歩+3500歩がやっと。頭がずっと重い。何もできない。

3月23日

今日も過眠(寝すぎ)なのに異様に眠たい。寝過ぎてつらいのに起きていることもできない。午後、小雨の中、夕飯の具材を買いにスーパーへ3000歩歩いただけでへとへと。再び布団に入る。それにしても、あまりにも何もできないので、脳みそが腐って溶けていくかのようだ…

本当に少しでも体力が回復していく日が来るのだろうか…治療開始からもうすぐまる四ヶ月になるのに、ちっともよくならないな…

3月24日

今日も一日、過眠地獄に苦しむ。過眠なのに疲れていて、布団から出て活動できない。ひたすらつらい。

つらいつらいつらい。ひたすらもう、つらいだけ。ただつらい。鬱病、おそるべし…

もうだめだ、と言葉にしてしまうと、歯止めがきかなくなりそうなので、なんとか耐えている(と、言葉にしてしまったけど)。われながら、こんなんでよく耐えられているなあ、と思う。

でも正直、もうだめなんじゃね?というくらい、慢性的に疲れ果てている。安楽な時間がほとんど訪れない。ひたすらつらい。

3月25日

12月から治療を始めて、丸4ヶ月が経とうとしていますが、回復(期)の兆しはありません。どんなにやり過ごそうとしても、ただ苦しく、何とか日々を生き長らえているだけで、「生きている」という感覚が全くありません。鬱病は恐ろしい病気だと思います。皆様の心身が健康でありますように。

人生の中で色々と浮き沈みがありましたが、自分にとっては、疑いなく鬱病発症後の現在がもっとも苦しく、つらい日々です。鬱病になりやすい性格や環境、鬱病の兆候などについては様々な情報があります。それらをチェックし、どうか皆様が全力で鬱病を回避し、そこから逃れられますように。

人生をやり直したいですか、という問いに対してやり直したいと感じたことは特になかったけど、もしやり直せるならば鬱病にならないような人生を送りたかったと今では思う、全てが後の祭り=祭りの後に感じられているからこそ

3月26日

疲れた。ただただ、疲れ果ててしまっている。明日も無限に長い苦しみしかないのに、容赦なく明日がやってくる。その絶望感。わずかでも安楽がありますように。

3月26日

今いちばん夢見るのは、安楽生です

3月27日

「鬱病で何もできない」「未来が見えない」「新しい生き方を探らねばならないが年齢的に手遅れ」ということそれ自体がうつ病の理由や原因になってしまっているので、虚無の悪循環という出口の無さがある。例え体調が回復するとしても虚無問題は別問題なのだろう……

それらは要するに再就職問題、生活費問題、障害者雇用問題などの話ではあるものの、それだけでもない特殊な厄介さがありそうに思う(自分の場合、この十数年フリーライター=批評家だったという特殊事情ゆえに…)。自分の仕事と存在が虚無だと気付いてしまった、がゆえの未来の虚無。さて困った。本当に困った。

3月27日

希死念慮とはちょっと違うんだけど、鬱病が本格的に発症する前に人生が終わってくれていたら、安楽で美しかったのに(虚無に気付かずにすんだのに)、という気持ちはどうしようもなく正直ある。家族旅行や友人との食事、仕事のイベントなどが全て不透過な膜の先の、戻らない美しい幻想に感じられる

3月27日

鬱病者の時間には、安楽で平穏な退屈はなく、苛烈な焦燥に満ちた苦痛な暇の痛みだけがたえまなく襲ってくる。蝶番の外れた時間による拷問。しかしそれもまた経験の貧困であり、何かを本質的に学び知る経験は積み重ならない。一日は永遠に永く、一ヶ月は瞬時に飛び去る。

3月27日

暇潰しというとネガティブなイメージがあるけれど、鬱病者にとって、安楽生のための暇潰しの方法は、本当に藁にもすがるほどに欲しいものなのだった…この暇を潰せるのなら!しかもそこに安息と安楽があるのなら!

3月28日

家族が鬱病について理解してくれて優しいということと、それでも申し訳なく情けなく、「居た堪れない」ということは両立してしまう。うつになると自分の〈存在〉がそのものとして苦痛と煩悶になるので、他者と一緒の空間に居ることじたいが居た堪れない。しかしそれでも他者の存在が力になっているのだ

3月28日

低気圧と雨天のためだと思うが、朝から全く起き上がれない。まもなく1400だが布団の中にいる。存在論的な無力感の中に沈んでいる。仕方ない、労わろう、セルフケアを、だけではすまない無力感がある。重力にすら押し潰されているような…

今日もただただただただつらいつらい苦しみばかりの一日でした…

この4ヶ月を言い表すなら、とにかく疲れた、もう疲れ切った、ひたすらつらい、苦しすぎる、安息がほしい、安楽がほしい、日常を取り戻したい、ということに尽きる…

寝る前の、服薬し、歯を磨き、お風呂に入り、着替え、肌にクリームを塗るなどの日常的メンテナンスが途方もなく疲れてしまう…特にシャワーやお風呂がきつい…強い意志がいる…

3月29日

京都の出版社の友人が地元に会いに来てくれた。あいにくの強風だが、近隣の駅まで出向いた。1時間半ほど雑談。鬱病の話ばかりで「生産的」な内容は話せず、申し訳なかったが、ありがたかった。またいつか会えることを祈りながら。

鬱病について考えていくとどうしてもスピリチュアルな領域に近付いていく。安楽を求めることは不可避に安楽死的な言説を呼び寄せる(それが嫌で安楽生と言っています)。死にたくないが消えたい、というよくあるフレーズも、生の安楽性へ向けた祈りであると思える。

鬱病の回復期に転じる時に、それを確かに実感した、という声を何人からも聞いた。苦痛の底が抜ける、凪が来る、云々。一進一退(三寒四温)のうつ病において不思議に思えるが、経験者にはそれが「論理的」なのだろう、と想像してみる。マインドフルネスも経験を振り返れば「論理的」なのかもしれない

パニック障害/不安障害に対する呼吸法(腹式呼吸)や認知行動療法のようなプラグマティックな対処に対して、マインドフルネスは「治そうと意志してはいけないし、治らないと考えてもいけない」という禅問答的なことを主張するが、経験を振り返るとそれが「論理的」なんだろうか…(と、想像してみる)

この生の無限の苦痛が消えてほしいと祈ることは、イコール死を望むことではなく、安楽な生という奇蹟を待ち望むことである…神(回復)を待ち望むように

3月30日

うつ状態において、自分の現状と他の人の達成とを何一つ比較しないこと。他の人の仕事や趣味を目にして焦らないこと。今の自分と過去の自分をも比較しないこと。虚無の中に浮かんでいる今の自分の痛苦のみで「十分」であると思い知ること。

せめて本がふつうに読めるようになればな…せめて…本が読めるように…

われわれ精神障害者にとって自由とは何か(そしてその前に安楽安息とは何か…)

病気として焦ってはいけないという気持ちと、残りの寿命の計算と、老い衰えゆく生活費の問題と…なんてことも、今は考えないほうがよいんだろうけれども。

フリーのアラフィフで鬱病という絶望的な状況なのに、人生のハードルをまだ自分で上げてしまっている気がする。もうこの程度のぼろぼろの無能な人間がそれでもなんとかかんとか生きていける道を探してみるしかない。そんな道がそう容易くあるとは思えない、というのがこの国の人間の不幸だとしても…

今日は家族で銭湯に行った。近くのスーパーでお弁当を買ってみんなで食べた。テレビをぼんやり眺めた。スーパーでも銭湯でも不安や鬱はつきまとったけれど、行けて良かった。こういう日常のささやかな幸福を、忘れずに覚えておこう。全てがいつ崩れて消えるか、それは誰にもわからない。

明日が来るのがいつも怖い。何も出来ず、何もすることがなく、布団の中で動けず、時間が流れず、頭がぐるぐるオーバーフローし続ける〈暇〉な明日が来るのが怖い。どうやっていつも耐えられているのか自分でもわからない。薬が効いて眠る前の夜の穏やかで静謐な時間帯、この時に時間が静止してほしい

3月31日

案の定、今日は朝から夕方まで布団から起きれず、過酷なつらい一日になった。過眠ゆえリラックスも難しい。そして暑い。死体が息しているようなもの。無為と無力。何のために生きなきゃいけないんだろう、とどうしても考えてしまう。

多くの当事者が言う通り、鬱と不安と苦痛に耐えてただ〈今〉を生きのびているだけでも偉い、と信じるしかないんだと思います。生の苦痛の中に回復がきっと内在しているから。ゆっくりと、ゆっくりと。きっと。尊厳生としての安楽生が、きっと。

今の夢。家族で旅行に行きたい。いつか行けるだろうか。焦らずに。

4月1日

午前中、寝たきり。昼過ぎに近隣のスーパーまで食料の買い物(往復3000歩)。昼食後、また動けなくなり、布団で横になる。早くも日が暮れてきた。これでも生きているんだ、と言いたい。

いや、生きているとは言えないな。もうだめかもしれない。つらすぎるな。

そういえば低気圧の影響もあるか。外は雨が降ってきた。

何も出来ず、寝てばかりで、申し訳ない。家族に申し訳ない。ごめんなさい。恥ずかしい。情けない。この虚無のループから、いつ抜け出せるんだろう。焦ってしまう。焦ってはいけない。でも回復してほしい。少しでも。というデフォルトの自己否定がぐるぐる渦巻くのだった。

もうだめなんじゃないかという諦め、深い深い疲弊がいちばん厄介なのかもしれない。しかし客観的に言えば、通院4ヶ月足らずはまだ「鬱病初心者」の段階と言える。それでもすっかり疲れきってしまった。もうだめだ、と諦めかけてしまうほどに。

通院開始から4ヶ月目になれば、教科書的に(都合よく)いけば、回復期に入ってくれるのでは、と期待していたことも、焦りや疲れという意味では、よくなかったのかもしれない。そんなに都合よくいくとは限らないのに。

それにしても、つくづく、返す返すも、しみじみと、鬱病とは、こんなにも恐ろしい病気だったんだなあ。それを乗り越えてきた人々、闘病中の人々、再発と戦っている人々、みんなみんなすごいなあ。大勢のそうした人たち、素直にリスペクトする。苦しすぎるもの。もちろん途中で力尽きてしまった人々も…

とはいえ他方で、自分の鬱病が軽いのか重いのか中程度なのか、まだ急性期なのかそこから少しは抜けたのか、云々がよくわからないので(熟練?の当事者から見るとどう見えますか?)、過度な一般化はあまりよくないのかもしれないけれど…

鬱病の治療には脳心身をとにかく休ませよう、リラックスしよう、ぼーっとしよう、と言われるが、自分はそれがまさに苦手で、だから回復が遅れているのかもしれない。リラックスが本当の本当に不得意。漫画や映画も「仕事」に結び付けてしまう。鬱病実況ツイートはリラックスではないけど暇潰しにはよい

鬱病の恐ろしさは何もできない、何もすることがなくなるという純粋暇時間であり、だから暇潰しが大事だと考えてきたが、やはり暇潰しではなくリラックスでないとだめなんだろう。しかしそうすると自分には絶望的に感じられる。リラックスってどうすればよいんでしょう?

今、基本的にロラゼパムとスルピリドという薬を飲んでいるのだけど、スルピリドは食欲増進作用があり太ると言われているが、自分は逆にどんどん痩せてしまう。この数ヶ月で7〜8kgは痩せてしまい、ちょっと怖い。とにかく食欲がない。気持ち悪い。料理する気力がない。

4月2日

今日も午前中、布団から起きられず。食料の買い物含め4000歩。たったそれだけで疲れ果ててしまう。また布団の中に戻る。情けない。

ああ、リラックスできないな…苦しい…ひたすら苦しい…どうすればいいんだろう

どうしてもリラックスできない。散歩も体力的につらく、読書もだめ、音楽もだめ、映画もだめ、ゲームもだめ、漫画がかろうじて。しかし漫画もだめな時があり、そうするともう打つ手がない。ひたすら苦しい。ただ苦しい。どうすればよいのかわからない。

なんとか無理してさらに2000歩ほど歩いてみたが、へろへろになってしまう。

奇跡のような安楽よ、来たれ、そう祈るしかない

(ごく簡単な)夕食の準備をし、家族と食べ、洗い物その他をした。もうそれで今日一日はよしとして下さい。

4月3日

鬱病は「闘病」という言葉がしっくりする。例えば鬱病の人たちがお風呂を「倒す」と表現するのは、成る程と。うつが重くなると食事、トイレ、着替え、料理などのハードルが著しくあがるが、確かにシャワーやお風呂は特に難敵。倒さねばならない相手という感じがする。

結局、今日も一日、うつにより布団からほぼ出られず、寝たきりだった。何日目だろう。自分の心と体はどうなってしまうんだろう。もうだめなんだろうか。いつか起き上がれるという気がしない。雨が優しく降っている。

しかしたとえ寝たきりでも、どんなに無為で無力でも、夕方にシャワーを浴びられたのだから本日は100点だと生を自己祝福すること、それが鬱病者の勇気であり、うつ病の倫理学(エチカ)であるのだろう…

しかしうつ病でほぼ寝たきりになって3年、4年、それ以上、という経験をした人々もいるわけだよな。50代目前の自分がそうなったら、人生詰む、というか、家族生活や経済状態が完全に破綻するだろうな…そういう可能性もあるのか…

4月4日

意味のある生はすでに終わってしまった、なのに事実としての生存が続いている、なぜか生き続けねばならない、その不思議な過酷さをどうにもできない。身動きすらできない。そうした実存感覚がある。それがたとえ鬱病ゆえの脳の誤作動だとしても。

鬱病実況をはじめてから、様々な鬱病・双極性障害の経験者の方々が声をかけてくれる。もちろん具体的に何が変わるわけではないけど、励ましを受ける。何より、その人たちが今、社会に出て様々に活動できている、という端的な事実に励まされる。自分もいつか、と思える。

鬱病の特性は脳機能低下なので、この社会の脳中心的な能力主義の暴力性をあぶり出すとも言える。文字が頭に入らず、お風呂や食事や着替えにも苦労するようになり、つねに異様に疲れてしまう。無能力者としてのうつ病者。常日頃から求められてきた能力のハードルがいかに高いかということでもあるのか

心療内科の通院日(往復5000歩)。この2週間、ずっと布団に寝たきりになってしまった、と話す。それも回復期へ向かう過程ですねと説明される。過眠による睡眠障害のため、薬が一種類増えた。

通院で疲れたらしく、夕方からまた寝込んでいます。布団や衣服の温度調整が難しい季節になってきた。

4月6日

うつ病は気持ちの落ち込みの問題というのみならず、脳疲労というのか、異様な疲れやすさが特徴で、布団から出て座っていることもできないほど疲れてしまう。近隣のコンビニやスーパーがやたら遠く感じる。ちょっとした低気圧で寝たきりになる。お風呂がキツいのも、体力を奪われるためなのかも。
抑鬱や不安に脳神経のリソースを奪われているので(脳機能が低下しているので)、ほかの日常行為にエネルギーを回す余裕がなく、ゆえにお布団がお友達になる、という感じなのだろうか。

鬱病は誰にもありうる典型的な症状で、そこに特異な意味はたぶんない。深堀りしても何も出てこない。というか何にでも意味を求める態度が鬱の原因の一つとも言える。ある種の極度の抽象的な貧しさが鬱病にはある。けれどもそこから意味を絞り出そうとしている。耐えられないから。暇-過剰だから。

夜、寝る前の時間帯にしばしば空腹を感じる。お腹が鳴る。なのに、翌朝起きると食欲はどこかに消え去り、食べるのは気持ち悪い、つらいと感じる。ふしぎだ。たまに夜中や明け方にお腹が痛くなりトイレに行くようになった。今まで経験がない。これもふしぎだ。睡眠や食欲、排泄の時間帯が錯乱している

鬱病それ自体は徹底的に無意味で虚無な病気なので、その過酷さを受け入れるしかなく、そこから回復/寛解するときに、自分の人生にとっての意味や価値観、世界観をいかに変革できるかがきっと大事なんだろうな、とは予感している。そのための代償があまりに大きすぎるけれど

というかよく言われるように、このままだとお前の人生は燃え尽きるぞ、別の生き方を探しなさい、と身体が教え諭してくれている(そして脳と身体が内戦状態にある)のがうつ病なんだろう、今は休め、とにかく死んでも休め、と。ここがお前の人生の終だ、という意味でもあるかもしれないが。

4月7日

異様に眠く、今日もほとんど寝たきりだった。恥ずかしい。情けない。ごめんなさい。申し訳ありません。ゆるしてください。という罪悪感がとめどなく湧き出てくる。それらが間違った罪悪感だとはわかっているのだけれど。根深いな、と思う。

うつ病の時はとにかく心身を休めるしかないのだが、しかしうつが悪化すると心身を休めること自体が困難になる、というパラドックス。布団で寝ていても頭はオーバーヒートし、過眠や過剰な暇やそわそわに絶え間なく苦しめられる。そして「心身を休めるスキルが無いのも自己責任」になってしまう…

資本主義の荒波によって鬱病になり、働けなかったり寝たきりになった親がその子どもたちのメンタルに与える影響とはどういうものだろう。ヤングケアラーとも少し違う話か。しかしZ世代はSNSの影響などもあり彼ら自体がメンタルヘルスを病みがちと言われる。メンヘル的世代循環があるのか。

鬱病は徹底的に無意味な苦しみと虚無しか与えてくれないのだとしても、それに対峙する精神は、虚無に陥らない生き方、能力主義とは別の価値観、他者を過労に追い詰めない緩さと優しさを学び知ることができるのかもしれない。長い苦痛と大きな代価を支払ってでも。

4月8日

うつにおいて、日中であっても過眠気味であっても、いつなんどきでも、眠れているという状態は無条件に「よいこと」と見なしてしまってよいだろうか。罪悪感など抱かないで。

最近、過去の外出や旅先の夢を見ることが多く、ふと目が覚めた瞬間に、自分が今鬱病であるという現実がなかったことになっていて、しかし次の瞬間、その現実を思い出して、まさかと愕然とする、今この現実の方が全て悪い夢ではないかと感じられる、ということを何度か経験した。悲しかった。悲しい。

ふしぎと鬱病になってからも悪夢はほとんど見ないな。見ない。ふしぎだ。

4月9日

思えばこのところ一日15時間近く眠っている。2400に寝て(中途覚醒あり)、朝一度起きて食事と薬、その後またお昼まで眠る。午後から夕方も数時間眠る。必要があって脳心身を休めている、という感覚がそこにはある。過眠は回復期のサインという話もあるが、まだよくわからない

シャワーは2日に一回しかやっつけられない…やはりつらい

今夜は久々に鬱が重い。治療開始4ヶ月も経つのにこの調子じゃもうだめだ、こんなの耐えるの無理に決まってる、早く終わりにしてほしい。そう感じてしまっている。弱ったな。一過的なものだと思うけど。たぶん。

洗い物や歯磨きがあるけど布団から起き上がれない。お風呂は今日は無理っぽい

しにたい、消えたい、終わりにしたい、もうむりだ、みたいな気持ちを完全に抑圧して、なかったことにするのも微妙に違うんだろうな。そういう気持ちが存在することを認めつつ、宥めすかして、懐柔して、うまくつきあっていく技法が必要なのだろう、鬱病の場合は。

日常の当たり前のことができなくなって悔しいという〈悔しさ〉の気持ちや、こんなに徹底的に追い込まれて寝たきりになるほど悪いことしてなくない?理不尽すぎない?という〈怒り〉の気持ちもあるな、うつ病に対しては。割と真面目に頑張って生きてきたつもりだが、まさにそれが病気の原因とはね。あーあ、悔しいな!

4月10日

一応書いておきます。鬱病の症状とは関わりなく(厳密に言えば関わるのだけど)、自分の人生は「詰んだ」。物書きとして生活費を稼ごうとしてきたけど、もう書けることがなくなってしまった。大学の教員や介護の仕事などをしながら物書きをする、という努力を怠ってしまった。だから自業自得である。

たとえ鬱病が回復/寛解しても、人生的に「詰んだ」という根本の問題は何も変わらない。それを自分は「虚無」としか表現し得ない。どうすればいいんだろう。しかしその事を考え始めると鬱が悪化するので、根本問題をあまりちゃんと考えられない、ということも今のジレンマになっている。

結論としては、鬱病をちゃんと治療して何か別の仕事を探すとか、障害者雇用の道を探るとか、そういう感じになるのだろうか。しかし現時点ではそうした人生について、全く想像がつかないのだった。アラフィフにして何の技能もない。介護福祉士の資格はあるが…。

鬱病を発症する前に、根本の虚無に直面する前に、人生が終わりになっていたなら、その方がずっと良かったのに。今はそのようにしか考えられない。非常に身勝手だけど、それが今の正直な思いであるということ。今の思いを正直に記しておくとそうなるのだった。

鬱病になったから詰んだのか、詰んだゆえに鬱病を発症したのか、鬱病になったから詰んだとしか考えられなくなっているのか、鬱病とは無関係に人生の詰みは端的に詰みであるのか。

たとえ人生をかけたゲームが詰んだとしても、人生そのものは続く。続いてしまう。それは残酷で苛酷なことでもあり、未知の希望でもあるのだろうか。わからない。今は想像もできない。どうして終わってくれなかったんだ、という祈りが滑稽化する時が来るのか。耐え難きを耐え、回復を待ち望むならば。

4月11日

うつ病では確かに「世界」(人々が共同で参加し動かしている世界)そのものから置いてきぼりにされ、切り離され、どんどん取り残されていくような焦慮と孤独感がある(家族に対してすら)、そしてその置き去りの距離は二度と埋めることも追いつくこともできないのでは、と。

「世界」が異次元に遠ざかるのに対し、自分の「生存(生きているという事実)」そのものの重みは堪え難いほどに増していく。主に苦痛という形で。「生存」そのものに閉じ込められ、その虜囚になってしまう。自室と布団が牢獄となる。そこで恩寵=変化を待ち望むしかない。

何らかの恩寵=変化を待ち望む、という時に、「待つ」とは外側からの身体の変化を受動的に待つことだが、一点、「望む」という主体の能動的な側面がふくまれる。根本的に無力で何もできないがゆえの、変化を望むという欲望。それは時間の牢獄(もう取り返しがつかない非世界的な今の時間)の外を欲望することなのか。

過眠で頭が痛いのに、眠たくて眠たくて仕方がない

今日の体調もよくなかったな…。通院開始から昨日で4ヶ月が経つのに未だにほぼ寝たきりとはな…焦るなとは言え…どうなっちゃうんだろう…

しかし思えば、一ヶ月前は布団に横たわっても頭のオーバーヒートやそわそわで眠れなかったけど、今は過眠というほどに眠れているのだから、それは回復へ向けた半歩前進なのかもしれないな(と思ってみることにする)。

4月12日

投薬のせいでお酒が飲めないので、四ヶ月ぶりにキンキンに冷えたノンアルコールビールを飲んでみたら、ほんとに『カイジ』みたいに、涙が出るほど美味しかったです。

うつ病は食べ物の美味しさがわからなくなり、食欲が減退するので(薬の副作用で逆に過食で太る場合も)、ノンアルコールビールを飲んで「涙が出るほど美味しい」と感じられたことは、結構、重要な体験のような気がするのだった。

これはマジメにこっそりと教えてほしいんですが、うつ病関係の薬を飲んでいる人は、車の運転は基本的にアウトと言われると思うんですが、実際のところ、仕事や生活の必要から運転しちゃったりしているものなんでしょうか?どうなんでしょうか?みんなどうしているんだろう?

うつ病のために日々の時間があまりに虚無なので、悔しくて、せめてもの抵抗というか引っ掻き傷のような(「意味」ではなく)痕跡を残そうと、Twitter(X)に日々の思考を記録しているけど、病気にとってそれが良いことなのか悪影響があるのかは正直よくわからない。どちらでもなくそれもまた虚無か

まいった。今日の通院で処方されたミルタザピンという薬を寝る前に飲んだら、逆に全く眠れない。手などが妙にむずむずして気持ち悪い。これまでの薬では中途覚醒はあっても不眠はなかったのだが、これは弱ったな。

3時。まだ眠れる気配が一向にない。入眠のための薬で不眠とは。これだからメンタル関係の薬は怖い。

4月13日

昨晩の新しい薬の副作用のアカシジア(手などの極めて不快なむずむず感)と不眠のせいで、今日の調子はひどいもので、回復期の兆候など微塵も見られずに、ずっと苦しんでいるのだった(アカシジア自体は朝には消えていたけど)。本当に生が耐え難い。この生に安楽と安息がほしい。

今欲しいものというと、幸福とか快楽であるより、安楽、安寧、安息、安眠などの言葉がしっくりくる。安。安らぎ。逆に言えば、鬱病の苦痛とは、生の安らぎを延々と剥奪されていること。一刻も安らげない。安らぎたい。安らかでいたい(やはりある意味で死の安息に近付いていく)

ああ、困ったな。夕方、久々に(2月半ば以来)、希死念慮に襲われた。頓服(クロチアゼパム)を飲んだ。ロラゼパムも前倒しで飲んだ。前回も新しい薬を処方された時だった。まいった。

どうもロラゼパム+スルピリド+頓服クロチアゼパム体制を動かそうとすると、希死念慮が出てくるような。困ったなあ。怖い。希死念慮、怖い。

希死念慮って、よくわからないけど、心や気持ちの面で「しにたい」というよりも、脳が強制的に「しぬしかない」という命令を出しているような、心が憑依されているような感覚があって、だから怖い。本当に怖い。

へとへとでぼろぼろだな。どうすればいいんだか。

憂鬱だなという気持ちとうつ病(様々な脳や身体症状の詰め合わせ)が別物であるように、死を思う気持ちと希死念慮(強制的な憑依や脳の誤作動的命令)はなんとなく別物であるような気がする。

明日が来るのが怖い

どうか安らぎを。どうか

4月14日

鬱病者の時間の過剰な無為(できることが何も無い)は、やはり、退屈(何もしなくて良い)とも暇(やることが何も無い)とも違うのだろうと思った。そして無為を遊び=リラックスの非意味的な時間に変えるのが肝要なのだろう、とも。鬱病日記は私の遊び。当たり前の結論に戻ってきただけだけども。

眠くて疲れていて、すぐ体を横たえてしまう。努力して起き上がっても、すること、できることが何もなく、あまりの無為ゆえに打ちのめされてしまう。懶惰な鈍い頭痛が強まっていく。体をまた横たえる。もうこの状態から抜け出すすべは無く、ずっとこのままなのではないか、という無力感が強くなっていく。

〈もうだめだ〉という感覚。「このまま回復などしない」「この状態がずっと続くに違いない」「きっと少しも良くなんてなっていない」という無力感。うつ病のせいでそう思い込んでいるのだとしても、それだけではない気がする。実際に現実的にこの状態が何年も十数年も続く可能性はあるのだから…。

アラフィフにしてうつ病のまま社会的にひきこもりになり、金銭的にも家事その他的にも、家族の負担になり、重荷になり、ひたすら迷惑をかけてしまう、という暗澹たる恐怖。おそらくそうした考えは誤っている。しかし葛藤はやはりある。内なる優生思想を身近に感じる。

自転車で買い物をし、ごくごく簡単な家族の夕食を作るだけで、へとへとに。今日やれたのは他に布団干しだけ。それで一日が終わる。何もしてない。いや、そういう風にネガティヴに考えてはいけないんだけど。やれたことをポジティブに数えよ。それもわかってるけど。でも疲れたな…。生に疲れた…

症状は千差万別であれ、うつ病者が日本だけで100万人もいるなんてヤバいというかすごいことだな。逃れられないこんな苦痛の中を何年も何十年も生き延びてきた人々はすごいよ。あなたたちはすごいです。尊敬します。

何でも「自分はできていない」と考えてしまうネガティヴなマンネリ/ワンパターンを受動的に反復するようになるのが、うつ病者の思考の特性であると。なるほど。同一の思考を反復しながら身体や生活が徐々に変化していきうる(それに応じて思考も変化する)のが回復の過程なのかしら…

我々うつ病者が繰り返す「できない」とは何なのだろう。仕事ができない。社会が要求する能力の基準を満たせない。健康だった自分と比較して能率が落ちている。どうもそれだけではなく、そもそも物事が「〜ない」(為し得ない、美味しくない、楽しくない)という自己否定として経験されているのではないか。

仕事ができなくて罪悪感や自己否定感を抱えてしまうように、食事の味が感じられないとかテレビの面白さが感じられないことなどにまで、つねにすでに、ネガティヴな自己否定(自分は○○できないんだ)を感じているような気がする

生きていることに安息や安楽を感じられないのも、脳のバッテリー劣化・異常による慢性的なエネルギー不足のみならず、何もかもが自己否定(自分は○○できない、もうだめだ)として経験されてしまう、という側面があるのかもしれないな。いや、これも例の完璧主義の呪いというワンパターン思考か…

できていることはできている(たとえスローでも、へとへとでも、数は少なくても)とちゃんと自己認知して、日常的行為に張り巡らされた完璧主義(もうだめだという自己否定)に捕われず、ありのままの自分を自己受容してあげることがやはり大事なんだろうな、たとえワンパターンの結論であれ…

うつ病による苦しみ(なにもできない、しにたい、きえたい、もうだめだ)を否定できるものとは考えず、しかし安楽死や尊厳死の方へもいかずに、忍耐強く安楽生・尊厳生を待ち望んで擁護する……そうした生き方を貫けるだろうか。

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