SNSに限った話ではないが

最近はTwitterとかインスタとか色んなSNSがバカ流行ってて楽しい世の中になってますね。皆さん楽しく生きてますか?
僕は他人のインスタの投稿に顔写真を載せられることが嫌で困っています。


まず自分の顔を見るのが嫌いなので写真撮られること事態が嫌なわけでして、当然のごとく自分のインスタ含めSNSには顔写真を載せ無いんですね。鍵アカとはいえ、限りないネットの海に自分の顔写真を流していくのも怖いですし。

しかし、そんな私の考えなど古いと一蹴するがごとく、他人の顔を平気で自分のインスタに載せる人もいます。別に彼らも私に嫌がらせがしたくてそんなことしてるわけではないと思うのですが、嫌なものは嫌じゃないですか。かといって『おい今すぐさっきの俺が写った投稿を消せ!この肖像権ガン無視野郎!』とか言えるほど気も強くないし黙ってニコニコしてるしかないのですね。


で、この前寝れないなぁとかぼんやりしながら考えていたのですが、自分がインスタなどSNSに顔を載せられて嫌なのは、自分の顔が嫌いという理由だけでは無いことに気づきました。何が嫌かというと、自分が他人によってコンテンツ化されていることです。

世の中の人がSNSをやる目的は様々ですが、コンテンツの公開し合いも含まれていると思います。友達や有名人、同じ趣味をもつ人や全然知らない人などの投稿を楽しみながら、自分をコンテンツ化しそれを評価(いいねなど)されることを楽しむという感じです。
自分自身のコンテンツ化って楽しいんですよ。こういう訳の分からん文章や、旅先の写真、思い付いたネタやらなんやらを投稿して、人に見てもらう。承認欲求の満たされる音がします。自分の顔が嫌じゃなければアホみたいな躍りをする動画とか水色の布団をかぶって『ワンピースのトレーボルの真似!』とかいう画像を載せたりすんの楽しそうだし。何をあげるも自分次第、All made in 俺 という感じですね。英語よく分からんけど。

ただ、他人によってコンテンツ化された自分はそうじゃないわけです。SNSの画面の向こうの人を意識してない写真を載せられたり、訳の分からんドッキリ不意打ちの動画をストーリーに載せられたり。場合によっては自分の作り上げたい社会的な「顔」とは異なるものをネットの大海原に放り投げられるのです。
『多少の粗があっても俺はいけるぜ!』というほどの自己肯定感のある人ならそれは許容なのかもしれませんが、自分にはそんなもの持ち合わせていません。ただでさえ好きでない自分をよく分からん角度から見られてる気持ちになるんですよ。ゾッとするわ。


なんか中学で読まされる退屈な説明文みたいになってきてしまったのですが、つまり言いたいのは、人がコンテンツ化していいのは自分だけだよ!ってことですね。なんだこの文章。
とにかくこの文章を読んだそこの君は人の写真やら創作物やら名前やらを勝手にSNSにあげるのはやめような!自分のことを散々ネタにしてる人がいたとしても、他人にネタにされるのは結構腹立ったりするんだぞ!お兄さんとの約束だぞ!じゃあな!元気に暮らせよ!

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