「ありがとう」ってなんだろう
私は1日にどれくらいありがとうを伝えられているのだろう。
ありがとうってなんだろう。
ありがとうを伝えたい人は誰だろう。
自分の普段の生活や周りの人の話を聞いていると、「ありがとう」より「すみません」をよく耳にする機会が多い。
「お時間いただき、ありがとうございます」
じゃなくて
「お時間いただいてしまい、すみません。」
メールの文面の終わりには、
「すみませんが、よろしくお願いいたします。」
「申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。」
(英語のメールだと”thank you.”で終わったりするよね)
ありがとうを伝えるときでさえ、
「すみません、ありがとうございます。」
…振り返ると、「ありがとう」をいうより「すみません」を言う機会のほうが、思い出しやすいし、実際多い気がする。
語源について調べてみた。
英語のthanksの語源は、thinkの語源とも一緒で「あなたのことを想っている」という意味から感謝の言葉として伝えられるようになったらしい。
…なるほど。相手のことを想ったときに、伝えたい気持ちなのね。
ありがとうの語源は、漢字で書くとわかるように「有難い」が語源。「有る」ことが「難しい」ということで、「めったになく貴重である」という意味とのこと。仏教の生きていることそれ自体が奇跡的で貴重なんだよ、というお話から来ているそうですよ。
…いや、日本語の語源固くないですか?!難しくない?
そうなのよ、そうなのよ。
日本語の「ありがとう」って、その語源のとおり「有り難し」なので、なんか口にするときに、「ありがたい感じ」とか、「めったにない貴重な感じ」で、気軽に口に言葉にしてはいけないんじゃないか、みたいなのが無意識的に発生している感じがするのだ。
逆に「すみません」は、相手のことを思ったときに、自分目線に立つと感謝の気持ちが生まれつつも、その前に相手の目線に立ったときに「こんな私に時間をとってもらい申し訳ない」という気持ちが先にでてきてしまうので「すみません」を言いやすいんだな、とも思う。
なんでもかんでも謝る日本人は、卑屈に見えてあまりよくないんじゃないか、という見方もできるし、でもそれは相手のことを無意識的に想って出る発言だとも捉えることができて、日本人にとっての「thanks」が「すみません」となりやすいのではないだろうか。
でも、私はそれをこえてでも「ありがとう」は好きだし、「ありがとう」を伝えていきたいと思っている。
小学生の頃に亡くなった自分の大好きな父親にはもう直接「ありがとう」を伝えられない。大学生の頃に亡くなった祖父にも、もう直接ありがとうを伝えられない。
自分の大切な人は、いつか死ぬ。そして、自分もいつか、死ぬ。
いま、「ありがとう」を伝えたい相手といっしょの世界を生きていっしょの空気を吸えていることはとても貴重で奇跡的で「ありがたい」ことだ。
「ありがとう」を伝えたい相手に直接「ありがとう」を伝えられるなんて、どれだけありがたいことなんだろうと心の底から思う。
私の家族、友人、職場の人、大切な人、私にかかわってくれるすべての人に、ありがとうを伝えたい。
話を聞いてくれてありがとう。
困ったときに助けてくれてありがとう。
学びになるような情報を提供してくれてありがとう。
いっしょに笑ってくれてありがとう。
いつも笑わせてくれてありがとう。
だめな自分を、そのままで素敵なんだよと教えてくれてありがとう。
私と話をすると元気になるよと言ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。
いろんな人の顔を思い浮かべると、いろんなありがとうが出てくる。
「ありがとう」を伝えよう。
いっつも日曜日に電話をくれる岡山にひとりで暮らしている祖母。
そうだ、おやすみの今日、私から電話をかけて、「いつも電話をかけてくれてありがとう。気にかけてくれてありがとう」と伝えようと思って、電話をかけた。
先日父親の命日からちょうど20年になったこと(祖母にとっての息子が私の父親)、3日前岡山では雪がちらちら降っていたこと、はやく春がきてほしいね、私は仕事をたのしくがんばっているよとお話した。
祖母は「元気な声を聞かせてくれてありがとう」と言った。
私は「こちらこそいつもありがとう」と伝えた。
「ありがとう」を伝えられるって本当に幸せだ。
ありがとう。
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