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グアム

'190226

 何年、何十年経っても、このことは忘れない思うけど、いろいろあり過ぎるため、細部を忘れないためにメモ、という名の旅日記。

 23日、卒業旅行でグアムに来ていた私たちは飛行機に乗って帰るはずだった。でも台風が来て欠航になった。カウンターで24日の便に変えてもらって、延泊手続きをした。これで帰れると思っていた。でも、予約確認メールが来なくてそれにおかしいと友達が気付いてくれた。電話した。5人分の登録がされてなかった。(10人が多すぎて5人5人のグループに分けて予約していた)そして登録できている5人分の便も欠航だと言われた。また便を変更することになったが、25日はもう空きがないと。仕方なく26日の朝一の便にした。その時泊まっていたところがもう延泊できなかったため、違うホテルを急いで予約した。1泊分が前の滞在先の20倍した。しかもキャンセル不可だった。さようなら諭吉。

 24日、私たちが欠航だと聞かされた便は運行していた。台風のせいなのか、航空会社の手配ミスなのか分からないが、とにかく意味がわからなかった。直接カウンターに行って問い合わせることにし、滞在先を出た。カウンターでは、欠航が相次いだため、臨時便が出るかもしれないとの情報が入った。変更後より1日早い25日に帰れるかもしれなかった。その連絡を待った。半分諦めていた。でも、友達のお母さんが臨時便の情報を見つけてわざわざ連絡してくれて、友達がすぐにカウンターに行ってくれて、10人分の席を確保できた。さらに、ホテルに事情を説明したら、1泊分のキャンセル代もなしにしてもらえた。やっと帰れると思い、全力で楽しんだ。部屋からの景色も最高だった。ベッドもふかふかだった。でもシャンプーはあんまり泡立たなかった。

 25日、朝の6時頃空港に向かうと、人で溢れていた。私たちの便を確認すると、「on time」の表示がなかった。また飛ばないのか、と思った。嫌な予感がした。でもまずはチェックインを済ませて飛ぶまで待つことになった。今回は紙媒体で控えを貰っていたため、確実に全員乗れると思った。順次チェックインを済ませていく。だが、「情報がありません」という画面が機械に表示される。1人だけ。そんなはずはなかった。その1人がカウンターまで行って、私たち全員のチケットを手配してくれた張本人だったから。違う機械でチェックインしてもらうと、チケットは発行できた。でも、座席番号がなかった。スタッフに聞くと、「乗れるか分からない、搭乗ゲートに行って聞いてほしい」と言われた。そこで、座席番号がチケットに書いてない友達が何人かいることに気づいた。またか、と思った。一緒に予約したのに?その時はみんな確実に乗れると言われて、実際に公式サイトにもスタンバイリストには誰も名前がなかったのに?意味がわからない。

 搭乗ゲートには日本語を話せる人がいるらしいため、まず保安検査場へ向かった。列に並んでいる途中スタッフに行き先を聞かれ、答えると「on timeだ、急いで」と言われた。じゃあその表示を掲示板に載せてくれよと思ったが、逃すわけにはいかない。検査トレイに自分の荷物をほぼ投げ、靴も投げ捨て、荷物と自分共々検査を急いで通過した。

 私が一番最後に並んでいたから、余計急いだ。ゲートはほぼ隅。最悪。ここ数年で一番走った。とにかく走った。走っている間にも自分の名前が呼ばれていた。分かってるから待ってくれ。途中でチケットを落としたことに気づき、引き返す。見つかる。また走る。ゲートに着いた時には、座席番号が書いてなかった友達たちが一生懸命話をしていた。とにかく全員乗れて欲しいと思いながら、スタッフに急かされながら、リュックのファスナーを開いたままにしながら(後から気づいた)、搭乗券を見せて機体に乗り込んだ。全体を見渡すと、座席に空きがあった。これで乗れなきゃおかしいと思いながら、残りの友達を待った。すごく長く感じた。最後の最後に乗ってくる人がいた。友達だった。本当に良かった。しかもビジネスクラス。ちょっと羨ましい。いや、それよりも本当に良かった。これでやっと帰れる。着いてもし何かあっても、もう次のフィールドは日本。十分戦える。トラブル対処能力のHP1000は確実に上がった。

 台風に見舞われながら、どこの航空会社とは言わないけど、絶対言わないけど、ユナイテッド航空(仮名)の最低すぎる対応力に見舞われながら、OverDrive4年一同は無事日本に帰国しました。一生忘れられない思い出ができました。みんなと一緒に1週間いられて本当に良かった。こんな旅行もう二度とできない気がする。みんなまた旅行しよう。どこでも行こう。