~ノースライト~

私は死ぬとき悔いなく死ねるのだろうか。

私は母のお腹から誕生して8年後に、学生生活全てを捧げるものに出会ったのだ。

そう、それはフィギュアスケート。

自分は何をしている時が楽しいのか。そんなこと考えることもなくフィギュアスケートに明け暮れていた。とにかく毎日練習練習。振り返ってみると辛いことがほとんどだったが、滑る楽しさは常に感じていた。

しかし、大学では滑る楽しさも薄れていき、続けること自体が辛かった。何故途中で辞めなかったのか。多分自分に負けたくなかったのだろう。この頃には、自分がシングル競技に向いているか向いていないかは明確だった。

向いていないと分かりつつも、毎日同じことを続けることほど息苦しいことはないだろう。それでも4年間コーチや親に感謝の気持ちを忘れず続けた。

引退試合は感無量の涙を流すこともなかった。

あーようやく解放される。

ただただそう感じていた。

悔いなく引退できたかと言えばNO。

さて現在社会人として日々働いているが、仕事にやりがいを持って働いているかと問われれば、これもNO。

このような日々を過ごしている中で「ノースライト」に出会った。私は本屋の店頭にドンっと見やすく置かれている本を手に取りがちなのだ。ノースライトも誰もが目につく場所に置かれていた。帯のコメントに「感動」という文字。感動する動画や音楽、ストーリーが大好きな私はこれをスルーできなかった。フィギュアスケートをしていたときも、技術も大切だが「人の心を動かせるような演技を」と心掛けていたほど。

物語の後半になるにつれて、本に没頭していることが自分でも分かるほど引き込まれた。素晴らしかった。途中涙しそうになった。

自分の人生とは?

今までの大半をフィギュアスケートに捧げてきた自分はこれからの人生をどうしていきたいのか。大金持ちになって毎日華やかな生活を送りたいわけではない。やりたいことは決まっている。

たくさんの人と出会うこと。そして自分の周りの人達を笑顔にさせたい。海外旅行に行きたい。もっと本を読みたい。自分にしかない「何か」で人の心を動かしたい。結婚もしたい。子供も欲しい。親孝行をしたい。

やりたいことはいくらでも出てくる。それが人生ではないか。しかし、人はいつ死ぬかわからない。もうすぐ大震災がやってきて、やりたいことが1つも叶えられないまま死ぬかもしれない。それはいくらなんでも悲しすぎる。

できることは今すぐ始めるべきだ。そんなことは分かっている。でも、ノースライトに出会い、前よりも深刻に考えるようになった。自分は「何者」で何がしたいのか。そういえば「何者」という本もあったな。映画化までされていたな。それだけたくさんの人が悩んでいるということなのではないだろうか。私もその中の1人。

そろそろ考えているだけではなくて行動に移していくべきだ。コロナが落ち着いたら行動しようと思う。自分が思い描く理想像に少しでも近づけるために。

このように思わせてくれた横山秀夫さん、ありがとうございます。

私はまだまだ悔いしかない。これからでもまだ遅くはない。少しづつでもいいから動き出そうじゃないか…

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