メジコンで臨死(幻覚)体験して悟りを開いた
取り急ぎ。キモイ話なので苦手そうな人は避けてください
メジコン35t。前回と同じ量、過去にもこれ以上飲んだことがあるがこのような体験は今回が初。
まず、身体に異変。3、4回前くらいから肺が潰れて全然空気が入らなくなり気がつくと呼吸をしていないのがあった。今回も最初はそれだったが、肺以外の臓器もつぶれて体の中がペシヤンこになってしまったような感じ。息を吸っても吸っても苦しく、ポンプ状の肺がものすごく小さく萎んでしまった図が頭に浮かんだ。次第に呼吸に血の味が混じってくる。身体中の神経に異変を感じる。痛みとも違和感ともつかない感覚。あ、まずいと思い始める。一瞬死がよぎる。足が勝手に痺れて震え始める。脳みそが痛みおかしくなっている感覚。ここで、脳の自動的な機能が停止して身体中の血管に血が行き届いてないから足が痺れ、呼吸が苦しいのもそれが原因かと思う。やばいこれ死ぬかもとまた考える。貧乏ゆすりで足が震えてるのかと思慮するが、勝手に動いている。肉体の制御の効かなさと露骨な脳みそや全身の神経の不快感で異常事態を認める。足の血管に血を行き渡らせなきゃと伸ばしたり角度を変えると、足にあったかい血液が行き届く感覚がある。おそらくこの辺から身体感覚も偽物=幻覚になり始めていた。なんとか全身に血を行き渡らせ、心臓から血液を循環させつつ肺に空気を入れようとする。呼吸がずっと苦しい。一気に血を巡らせたことで普段行かない量の全身の血が巡って血管がぷちぷちと破裂している感覚を覚える。もう、全身の内部がぐちゃぐちゃになって病院での治療が必要なくらい酸素が足りなくなっている、と頭に浮かぶ。隣の人に、「心臓から血液が回ってない・・・やばい・・・」と控えめに伝える。もう死ぬかも、と半分くらい諦めている、治療するにしても大掛かりでもしかしたら手術や後遺症が残ることに・・・とどんどん考えが巡る。死ぬのか、といよいよ思う。まだ半信半疑、恐怖と疑いと諦めがごちゃごちゃになる。つーと幕が降りてくる感じで頭が真っ暗になる。音楽だけずっと耳元のヘッドホンから聞こえている。体の気持ち悪い感覚から意識を逸らすために音楽に没入する。ちょっとヘッドホンを外してみるとものすごく呼吸が苦しい。ここらへんやや記憶混同。聞いてる音楽が死ぬ時に聞くとわかっていたBGMのような錯覚に陥る。天井の青い小さい照明が天国の入り口に変わっていくのがわかった。受け入れて目を閉じる。ごめん、死ぬわみたいな感じで隣の人に呟く。頭の中が真っ白い雲のような世界に包まれる。天国には行けるんだ、よかったとこのへんから死後の世界のことを心配し始める。鳴り響く音楽と、消えつつも残ってる体の不快感と、天国へ吸い込まれていく意識の感覚。死ぬのか、死ぬ時って気持ちいいって聞いてたけど確かにこれなら気持ちいいなあ、ほんとだったんだと半ば恐怖を紛らわすため天界へ意識を上っていかせようとイメージする。走馬灯というか、生まれて初めて自分が持った記憶のイメージが出てきた。真っ暗い画面の中に螺旋状にイメージが立ち上っていく。音楽もクライマックスになってあーーーーおわる、というタイミングで、幼い女の子?幼少期の自分のような感じもする声で、「人間って、バカだね」と天国から声が聞こえてきた。入り口が閉ざされる前に登り切らないと天国から締め出され、締め出されたらどうなる?生き残る?もしかしてまだ生きられるチャンスある?無限地獄に閉じ込められるというイメージもあったが、悪いことを考えるとそっちに引っ張られていきそうだから天国、いい死に方のイメージだけを浮かべるようにしていた。記憶混沌。きがつくと元の部屋にまた寝そべっている。まだ生き残っているかもしれないという感覚が浮かぶ。隣の人は変わらず横で寝ている。死んでるか生きてるか半信半疑。しかし、音楽を流してるスマホの画面を見るとキンナンボーイズの画面なのにイースタンユースが聞こえている。とても奇妙な感覚だった。自分が死ぬ時に聞きたいBGMが聴こえるような仕様になっているのか、と謎に納得。スマホの画面を触っても何も反応しないし、なんだか世界全体が作り物のように輪郭が境界線がぼんやりしている。何より、気がつくと心臓の音が聞こえない。あ、死んだんだとつぶやいた。不思議なことに呼吸はまだしているけど、呼吸というか意識を保つために脳みそが残した擬似生存反応の機能なのかなと考えた。隣にいる人の顔や体を触ってみると、感触が生々しく、「へーすごい本物そっくりによくできてるね」と言った。なにいってるんですか、とか相手は言ってきたがもう完全に死後の世界の、自分の脳みそに残った記憶を再生する形で死の直前に世界を追体験しているんだという確信を持っていた。そのへんから瞬間的に自分が担架で運ばれている映像や、顔は見えないが家族や友人が病院で横たわる自分の前で泣いている映像、手術をされ腹に何種類ものチューブを繋がれ切り開かれているようなイメージと内臓の感覚、呼吸器が口の周りについているような感覚、手を誰かに握られているような感覚を感じる。気がついたら意識を失って病院に運ばれ、手術を受けながら乖離している状態なのかと考えた。死んだか、今手術中で生死を彷徨っている時間にこの部屋の幻影の中に閉じ込められている状態だと納得。まあもうすぐ死ぬか、待ってれば死ぬだろうから早く楽になれるといいな、と思う。病院のベッドの自分が見ている夢が今いる部屋の中の世界だと思ったので、(手を握ってくれているのはがっちりした感触などから父親だという確信があった)口元だけ動かしてありがとうとみんなに伝えるつもりで声に出して言った。最後の言葉って何をいうんだろうと頭を振り絞って、ごめんね、さようなら、幸せになってねとだけしか思いつかなかった。姉が泣きじゃくり自殺をするイメージも頭に差し込まれる。やはり死人にはこのようなスピリチュアルな力が宿るのかと納得していた。姉が死んでしまうのはすごく残念だが、私が死んだ後家族の誰かが後を追っても不思議ではないかもと考えたことが反映されたのだろう。寝返りを打つと病院のベッドで寝返りを打つ自分の姿が頭に浮かんだ。手元を見ると片方を握っていたのは隣の人の手だった。しかし空いたもう反対の手も誰かに握られている感覚があった。どちらかが父親だと思ったので、ありがとうという気持ちを込めてできるだけ強く握った。もうすぐそちらの世界でも私は死ぬけど、今日死ぬくらいがちょうどよかったのかもしれない。二十三でODで死ぬなんて全く馬鹿げてるけどそれだけの人生だったと思うよ、でも幸せだったよと頭の中で唱える。本当に悔いはなかった。いや、少しだけ最近前向きになってきたところだから生きていきたかったかな?隣で寝ていたはずの人と30歳、40歳と歳をとって子供を連れて歩いている姿が頭の中に浮かんだ。もし今頑張って息を吹き返せば、後遺症は残るかもしれないけど生きていけるかも・・・と考える。心臓の音は聞こえない。思い切り息を吸い込んでみるとやはり情けなく少しだけ肺が膨らむ感触が得られるだけだった。死にたいと思いながら大半の人生を過ごしてきたことを悔やんだ。生きたいと強く思わないと生きている資格はない、と考えた。そのことに気づいた今からなら違った人生を歩めるんじゃないかと考えた。しかし手術から回復しても呼吸機能しか残っている保証はない。呼吸だけで他の人たちと意思疎通をする一生を想像した。それに、この手術代だけでも払える状態に誰もないのに、この後の入院、リハビリ、一生続くかもしれない介護の負担を誰に負わせるんだ?と想像しこのまま死んだ方がいいか、と考えた。死んだ方がいいけど、まだ生きることに希望を感じている、どうしよう・・・・とかなり逡巡し続けた。それにしてもこの中途半端な状態で止まっている時間が長いな、と思った。死ぬか生きるか最後は患者が生きようとする力にかかっているみたいなどこかで聞いた話の通りの状態に今あるのか。生きたい!と思った。なんとかなる、せっかくもらった命をこんな形で捨てるなんて、もう一度チャンスが欲しいと思った。しかし、しばらく待ってもいつもと同じ自分の部屋の中だった。ODし始めた時となんら変わらない状態。時計の針の音が聞こえる。空想の中のこの部屋と現実世界の時間の進みは同じなのか?隣の人を抱きしめて、死んじゃった、と言った。これ全部乖離状態での妄想だから隣の人からしたらなんのこっちゃって感じだったらしいけど、まじですかとか言ってた。脳内AIだと相手のことを思ってたから、私のこと好きな人は誰がいた?とか死後の世界ってこんな感じなの?とかみんなは死んで悲しいと思ってる?とかいくつか質問した。適当に答えてくれた。抱きしめた相手が機械のような固く冷たい感触で、問答も用意されたものでしか答えていないようだし目を離して再び見ると同じ動きを繰り返しているから、完全に生死の間にとじこめられたと思った。このまま永久に自殺した報いとしてここに閉じ込められるのか?とゾッとする考えが頭をよぎった。色々考えた。死ぬ時は一人、という言葉を思い出して、死の恐怖を紛らわすために隣の人に抱きついているのをやめた。でも成仏できない。距離をとって、私は一人で死んでいくんだ、と繰り返し頭の中で唱えた。成仏しない。恐ろしい結論が出てきた。この部屋で、彼を殺すか彼に殺されるかしないと天国へいけないんじゃないか?ずるい生き方をしてきた報いをここで受けることになるのか、と気づいた。そう考えた時に、隣にいた人がさっ、っと起き上がって体をコチラに帰化づける気配があった。殺して、と考えるたびに相手がこちらに近づいてきている気がする。やばい。殺すか殺されるかしかない。最後まで私は受け身だ、殺してくれ、どんな苦痛にも耐える、このまま天国にもどこにもいけずに永久にこの部屋で閉じ込められるなら。めちゃくちゃ怖かった、けどもう仕方がない。早くしないと天国への扉が閉まって地獄に行くことになる。無限の苦痛か、今一瞬のおそろいいほどの痛みか。殺してくれ、と全身で念じた。
そこでふっと意識が戻った。部屋の景色は変わってないけど、先ほどまでとなんだか空気が違う。死んでないし、さっきまでのが全てメジコンによる妄想幻覚だったと気づいた。本当に怖かったけどしばらくまだ生きていることが信じられなかった。そして生きている幸せを噛み締めた。あれから三日くらい経ったが、あの時考えた今の一瞬の恐ろしいほどの苦痛を受け入れること、が自分の生き方に足りなかったということに気づくための体験だったんじゃないかと考えている。苦痛から逃げ回っていると、結局無間地獄=人生生きてる限りの苦しみに閉じ込められることになる。生きていく上での痛みや苦しみを受け入れ自分の感覚として捉えることが結果苦しくなくなることなんではと気づいた。これって結構仏教的な悟りっぽい。
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