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母も人であるという点についてお知らせ

「子育ては洗脳である」というのは誰の言葉か知りませんが、自分が親になって本当にその通りだと思うのです。

「大学に行くのじゃ」「男女平等な仕事に就くのじゃ」「特に教師なら なお良し」と小学生のころから言われ続けると、「まぁそうだな」という気がしてくるものです(私の例)。

その後「若いうちに子どもを産むのじゃ」「2人は産むのじゃ」「男の子ならなお良し」とか、「母になったら自分の夢は捨てるのじゃ」「仕事なんかするんじゃない」「具合が悪くても飯は作れ」とか、洗脳というか、呪い?

はじめのうちは洗脳もなかなか解けませんでした。
「あー、あの言葉に影響されているな」とか分かっているくせに「母をがっかりさせたくないな」とか「自分ができなかったことを託したいんだろうな」と思うことも多くありました。
幼いころから良い子で育つと妙な思いやりも出てくるものです。

そんな時、幼稚園に通い始めた私の娘の考え方や言動が気になりました。
「……私と酷似している。というか私だ。」

気質や考え方が私に似ているのなら、娘も見事に洗脳されてちゃうんじゃないの?と考えたのです。
でも、私は娘に自由に生きてほしい。
歌が好きならその分野に進んだっていいし、お医者さんになりたいならお母さんお仕事頑張って学費稼ぐ。

そう強く思ったので、まずは私も徐々に自由になることにしました。
必然的に息子も巻き添え。

まずは仕事をしてみました。「みんなが好きなことをたくさんできるように、家族で旅行に行けるように、お母さんも働くね」と。

それから料理嫌いについて暴露。
「毎日料理は私がしているけれど、本当は苦手。実際、毎日ご飯は作りたくない。そもそも私も仕事しているのに、お母さんがご飯を作るって誰が決めたんだろ。」と言ってみました。すると、ちょこちょこ手伝ってくれるように。
今までも「やってみたい、お手伝いする」とか言ってましたが、それは自分がやりたい気分だから。楽しそうだから。という点にスポットが当たっていたように思います。

でも家族のために家事をすることは、自分の好きな時に好きなことをやるだけでは成り立ちませんよね。
みんなが快適に過ごせるように、特に共有部分はきれいにしよう、食事はできる人が作ろう、そういった心が持てることは大切です。

今回の在宅生活では、「お母さんは召使いじゃない」キャンペーンをしました。まず、料理が好きじゃないから食事作りが負担、普段から家で仕事をしているから子どもたちがいると仕事が進まない、この点は強く主張。
丸付けや音読は午前10時から昼までの間に頼む、というのも後々追加しました。自分の都合で事が進むと思うなかれ。
ブーブー人間臭いことばかり言う私を見て「つらいのは自分たちだけではないのだ」「おかーさんも人間なんだ」というところを分かってもらえたような気がします。

自分のことは自分で。人のせいにしない。(だから自分で課題をやれ)
家族で共有することは分担で。お母さんが担当というわけではない。
男女の差別なし。お父さんが偉いわけじゃない。

このあたり、これからはすごく大事になってくると思います。
特に男子(息子)。
でも女子(娘)も私の母のような考えに洗脳されていては「家事は私がやらなくては」みたいになって自滅するし、DVとかしそうな旦那を見つけそうなので、より自由に、本当にやりたいことをやってほしい。悔いのない人生を送ってほしい、と切に思うのです。

娘と二人で夕飯とかなら、缶詰でもいいかも(さすがに続くとイヤかな)。

記事を読んでいただき、ありがとうございます。