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タピオカ時代

着想・太宰治「正義と微笑」を読んで 「タピオカ飲みたーい」 4月の終わり、6限目が終わって間もなくシミズが大きな独り言を言った。 特に誰からの反応もなかったが、彼女はそれが大丈夫な人間だった。 シミズも5秒後には自分の発言を忘れたように帰りの支度を始めた。 私は彼女の斜め前の席に座っていたので、上半身だけ後ろ向いてシミズに「タピオカってなんで流行ってるん」と言ったところ、放課後一緒にタピることになった。 近鉄電車の上本町行き準急。普段は降りるはずの自宅の最寄駅を通過したと

    • 「君の名は。」を見た当時に感想として描いた漫画です。

      • 大阪万博

        1958年10月29日、北村悦子は奈良県十津川村に生まれた。 口を利くのは遅く3つになった頃で、いつも物静かにしていた。 運動は苦手であったが、植物や人の似顔絵を描くことを好み、その一点だけは親族から褒められた。 小学校に上がると、近所に住む多田春江と仲良くなった。二人は毎日のように一緒に絵を描いて遊んだ。 この頃、悦子は漫画というものに出会った。 心踊るときめきを、人生で初めて覚えた瞬間だった。 それから悦子は漫画を描くようになった。 悦子の頭の中にはいつも物語

        • 21歳のぼく

          初めて夢子に会ったのは、僕がまだ21の時だった。 真っ黒な長い髪、眉の少し下で揃えられた前髪。気怠そうなのに、人を殺したそうな鋭い目にドキリとしたのを覚えている。 その時の夢子は真っ赤なキャミソールのワンピースに白いパーカーを羽織っていて、ワンピースの下からは無造作に生々しい足が2本生えていた。足元はビーチサンダル。 風俗嬢の私服みたいだなと思った。 自分の身体の価値は知ってるけど、執着はない、そんな感じ。ある日、怪しげなポケットティッシュを持っていたのを、僕は知っている。

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        記事

          県展に入選できない女

          愛されたいと思ったことはない。 自分に愛されるだけの価値がないことを、 また、愛に応える力がないことを 知っているからだ。 その点、恋は良い。 想うだけなら自由だ。 高校に入学して、隣のクラスの担任に一目惚れをした。美術の先生だった。 名を、寛田先生。 いつもレトロ柄のネクタイをしていて、 古いメガネをかけていて、 かわいいと思った。 選択科目、音楽・書道・美術。 迷わず寛田先生の美術を選択した。 私は美術が一番好きだ。 だけど美術を選んだことは後に少し後悔した。

          県展に入選できない女

          佐和子は美しかった

          佐和子は美しかった。 白い肌、すらっと伸びた手足、細くて真っ黒な髪。見た目に美しいのはもちろん、いつだって優しい笑顔で、この世の全てを受容するような人だった。 中学時代は校則通りのスカート丈すら美しく穿いて魅せた。 佐和子は人に全てを納得させる力を持っていた。 噂では、佐和子は複雑な家庭環境にいた。 確か生まれてすぐに父親が蒸発し、佐和子が小2の時に母親が再婚するも、間もなく母親が病死して、今は血の繋がらない祖父母と暮らしているらしい。 私が知っているのはただの噂話

          佐和子は美しかった

          美術の時間とモカちゃんの話

          「作業興奮」という言葉があるらしい。 渋々やり始めた作業でも、やっているうちに徐々にやる気が出てきて、いつの間にか夢中になっていることをいう。 「作業興奮」の力は作業の後半から終盤にかけて発揮されるんだとか。 今まさに、クラス全体が「作業興奮」状態になっている。 ざわついていた美術室から徐々に雑談の声が消え、今は静まり返って、誰もが「想像する自由な植物」を描くことに打ち込んでいる。 私は美術が好きで、序盤から「想像する自由な植物」を描くことに打ち込んでいたため、皆の作

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          真奈美は腹式呼吸ができない

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