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横浜は他人の街

noteを開いたら、2014年に当時の恋人と交換日記をつけようとしていた準備があり、もう2019年なのだと突きつけられた。来年のカレンダー製造を進めていても、2020年なんてほんとうに、と実感のないままデザイン案に「かわいすぎる」と呟いている。

例えば、2014年のことを思い起こしたくても、もう何度も思いだしたことがあることしか思い出せない。そんなふうに過去はどんどん遠のいていく。

愛おしい日々である(と将来思う)ためにも、まずは、いいことだけでも残しておこう。残すことは網羅的でなくていい、自分で選んでいいのだ。

7月31日(水)
昔から「水曜日」が好き。土曜日も自由でいいのだけれど、じゃあ週末という響きのほうがうれしい感じがする。曜日でいうなら水曜日。

夜、芸術劇場で芝居「お気に召すまま」を観る。客席をふんだんに行き来する演出と、独特なユーモア。エンディングで満島ひかりが「エンディングが大事でしょう?」と客席の「男子」「女子」に直接語りかけるのが記憶に残る。ウディ・アレン映画のようだった。

帰り道、神楽坂で一杯だけ飲んで帰る。オリジナルのビール、お通しのお豆腐、春菊のサラダ、タン刺し。おいしくて、居心地もよくて、来週の夜も予約する。

8月1日(木)
小説の打合せはいつも面白い。この時代に、何を書くべきで、それをどう物語に落とし込むのか。小説は「退屈なメディア」に乗せられているからこそ、そこにどう体感のある体験を入れられるか。前回の新書が作品づくりの共通認識になっている。

これからの問題意識として、20代の読者にまで読者層を広げるには、という話題が度々出る。その度に、人それぞれ救われるものが違うのだと、いつも新鮮なきもちで驚く。ゲーム障害という単語を初めて知る。

夜、こどもが花火に行くも「はなび こわかった」と言って、30分くらいで帰ってくる。お風呂で『決壊』の緊迫したシーンを読んでいたので、こどもが帰ってきた現実の物音にドキッとする。

8月2日(金)
こどもが2歳をすこし過ぎたころから、日中の保育園だけでは体力が有り余るようになった。以前は21時前には眠っていたのに、このごろは、23時を過ぎてしまうこともある。せっかくがんばって入ったお風呂の効力を蹴散らすように、ベッドの上をジャンプしたり、電車に乗る遊びをしたりしている。それでも、その入浴後運動のおかげで、いつもぐっすりだ。

だけれど昨夜は違った。ようやく寝付いたはずが、夜通しうなされていて、朝起きてみると、やはり熱を出していた。90分だけ出社して、お昼は買って済ませて、こどもは家で遊び、私は家で仕事をする。

夜は『魔女の宅急便』を一緒に観る。録画している数少ない映画のひとつで、こどもと観るのは二度目(もうひとつだけ録画している映画あって、『誰も知らない』)。以前よりも集中して観ることができている。

この映画を観ると、糸井重里さんのコピー「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」をタイトルにつけていたブログを思い出す。フランスに留学していた女性のブログで、本当にこの映画のように、間違いなく心細そうなのに、生活を気に入りのものにするための工夫と、日々のいいこともさみしいことも惜しまず愛おしく味わおうとする人に見えた。2日、3日に1度更新されるブログが朝日みたいにいつもきれいで新しかった。いつごろだったろう、と思って検索してみたら、2008年から2010年の更新だった。インターネットの海に今も浮かぶものたち。

8月3日(土)
体調を崩しているこどもと寝坊ぎみに起きて、ピラティスに。スタジオの中でもハードな動きと語彙豊かな指導が人気なクラスだが、人生で「怠惰」と何度も言われる機会は、このレッスン中だけだといい。

都内で最も好きな本屋、日比谷シャンテの書店で小説を三冊買う。『82年生まれ、キム・ジヨン』『アンダー、サンダー、テンダー』『窓の外を見てください』。このごろ韓国文学が面白いなとひっそり思っていたら、ちょうど書店でも韓国フェアが催されていたのでうれしい。天に溜まる埃も、私が見つけだして読むぞ、という気分にさせてくれる。

午後は横浜大桟橋の布博に。2時間半たっぷり見て、イヤリングと、トモタケさんのコースターとハンカチを持ち帰る。昔から、なんとも言えない青色に弱くて、今回のフライヤーがすごく好きだった。会場を出てふりかえって上に眺めた、おおきなおおきな青色の淡い染め布が美しかった。

8月4日(日)
本調子でないこどもと遊びに父が来てくれる。一緒に横須賀のせなけいこ展を見にいこうと言っていたけれど、来週に持ち越し。こどもも父のことが好きで好きで、父がくると私の影はひたすらに薄くなるので、私は『決壊』をひたすらに読み進める。

『決壊』は以前一度読んだきりだったけれど、今読み返せば、登場人物の話すことに理解ができ、ところどころに書かれている単語が平野作品に通じていることが明確にわかる。文章は変わらないのに、時間の経過によって、読み方、そこに読む内容が変化することが面白い。それも含めて小説なのだと思う。一方で、以前読んだときと同様、作品構造の他、畳み掛けるようなセリフに、足場が揺らぐ感覚、まさに言い当てられたような感覚を覚えてすこし怖くなる。残すは、八章 “permanent fatal errors”。

夜は、Mr. CHEESECAKEの田村さんが紹介されていた料理を、蛸ではなくイカで真似してみる。ロジックはわからないのだけれど、おいしい。日曜日の夜の締めくくりとして、自分のつくった夕食がおいしいというのは、とてもいいな。

オリーブオイルにニンニクとアンチョビと鷹の爪。そこに茹でたブロッコリーとタコを入れてアサリの出汁で仕上げる。ここまでは一般的ですが、これにワカメと春菊を入れます。仕上げにサフランと白胡椒も。この辺の香りのロジック分かると料理はめちゃくちゃ楽しくなる。春菊ワカメサフラン。

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