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ミナペルホネン

8月20日(火)
コルクで仕事、ヨガをしてから、こどもを迎えに行く。こどもが歩きたがらないので、「お菓子ひとつだけ買おうか」と声をかけると、走り始める。アンパンマンのぺろぺろチョコに決めたはいいものの、キャラクターで悩んで、「まま えらんでいいよ?」と甘えてくるのがかわいい。パッと奥から取ったら、あかちゃんまん。いいのを引いた。

8月21日(水)
せっかくの午前休だけれど、こどもの「ままと いくの」がかわいく、保育園まで送る。自分のこどもに限らず、朝のこどもたちと挨拶したりハイタッチして一日を始められるのは、きもちが充電できるし清潔な感じがして良い。こどもが0歳児のときから預けているので、同じクラスのこどもたちとの付き合いも3年目なのだ。

ヘアサロンの前に、ドーナツ屋・ハリッツ。行列だと覚悟していたけれど、平日は落ち着いていて、スイート65(カカオ分65%のチョコ入り)、おからきなこ、ハニーラテをイートイン。見かけは疑う余地なくふわっとドーナツなのに、かじるともっちり・むっちり。軽めなのに食べ応えがあるのだ。過不足のない、ばっちりのおいしさでうれしい。ヘアサロンでは、ミディアムボブをショートに。軽くて軽くて、自由なきもち。

夜は友人と。行きたかった鰯料理のお店は臨時休業だったけれど、すぐ近くのお刺身(特に白身)がおいしいお店で。骨せんべいが99円という破格で、茶そばのお通し、揚げ銀杏、お刺身盛り合わせ。他にも食べたけれど、日本酒の種類も充実していてよく飲んだので、楽しかったことと、一緒に過ごす安心感だけが記憶に残る。

8月22日(木)
平野啓一郎さんの新聞連載について情報解禁を迎えて、お祭り騒ぎ。仕事である前に、一読者としてリアルタイムで新作を読めることが心からうれしい。読者の方の反響も熱く、9月からの連載、一緒にたのしみましょうね、とひとりひとり手を取りたくなる。でもそれは現実的ではないので、エゴサーチをしては、きもちを込めての「いいね」に励む。

夜は、江國香織さん、片岡義男さん、佐々木敦さんのトークイベント。7月に予約をしてから、ずっとずっと楽しみにしていた。江國さんに会えたのは、2016年2月以来。3年前は、青山ブックセンターでの、江國香織さん、松家仁之さん、湯川豊さん『新しい須賀敦子』刊行記念トークイベントだった。あのとき、「こどもの時から、どこかに行かないといけないと思っていました」という江國さんの言葉に、それはもう強く頷いたことを実感として覚えている。

江國さんの小説(及び登場人物)は自由だと言われることが多いけれど、江國さんは人一倍、清潔な「正確さ」を尊んでいる。その圧倒性があるからこそ、それ以外は自由(に見える)のかもしれない。言葉に対しても「清潔に、正確に扱いたい」という決意が危険なほど徹底的だと感じる。それゆえに、実際のトークイベントでは、言い直すこと・具体例の重ねが多いことに気づく。今夜も言葉を尽くして、「片岡さんが書く小説は正確としか言いようがなくて、片岡さんが書くと正解になってしまう。もろろん、ある場面、小説、ひとにとっての正解という意味だけれど。だからこそ、片岡さんの小説は、ストーリーの論理が無傷なのだと思う」とお話されていた。江國さんの「上手い」小説家に対する評価軸は一貫している。

ご自身の小説についての「行くべきところ、選ぶべきことがあって、それを観察しながら書いている。赤い服を着ているのか青い服を着ているのか、そういうことだけでも物語は変わってしまって、自分の都合で変えたくない。作者だからといって物語を邪魔しない」というのも、江國さんらしく、好きな話だ。まっすぐ観客席を見据えて話を聞き、話す片岡さん、聞くときは話者をじっと見つめ、話すときは伏し目がちに言葉を探りながら手振りも交えて話す江國さん、滑らかな言葉で緩やかにリードする佐々木さん。大人たちのいい時間だった。

私は、ワンドリンクに選んだ赤ワイン一杯で酔っぱらったみたいに、火照ったまま話を聴き続けた。江國さんにサインをいただくとき、来週も会いにきます、と伝えたら「えっ本当?」と言ってくださった。あなたの小説が夢のようです。美しい鉱物に触れさせてもらえたようなきもちで、うれしくて小説を2冊買って帰った。『イエスの幼子時代』、『逃れる者と留まる者(ナポリの物語3)』

8月23日(金)
昨日、会社を出るときに女の顔をしていたけれど、デートだったのか、と聞かれて、ふふふ、と思った。口紅を折ってしまったので、帰り際、ヒカリエに駆け込んだ。

8月24日(土)
起き抜けに、「まま?」「はあい?」という甘い繰り返しをしてから、身支度をする。ピラティス。インストラクターの先生に「髪、さわやかになったね」と言われて、ちょっとうれしい。20分ほど散歩しがてら、神保町のディゾンで小説を読む(片岡義男さん『窓の外を見てください』)。

木曜日のトークイベントの影響もあって、片岡さんが選ぶ、固有名詞の「らしさ」が気になる。石鹸、「接近」する鉄火巻き、きび団子。片岡さんの小説、地の文ではすべてを省略せずに書きながら、会話文には色気のある余白が存在する(会話文に著しい)。片岡さん自身も小説も一筋縄ではいかない面白さがある。

「妊娠させないで、という意味。今日は私が買ったけれど、一ダースはすぐになくなるわ。だからこの次はあなたが買うのよ」
(3章 笑ってはいるけれど p.130)
「どうしようもないわね、と自分のことを評した目の前の女性を、そう言われてあらためて見ると、自分が記憶しているよりずっときれいではないか、ということに、主人公の青年は心から驚いているのです」
(3章 笑ってはいるけれど p.133)
「定食として、たいそういい。もっといいのは、食べているあいだに、昨夜のことが帳消しになることだ。小骨に気をつけてくれ、と男が魚について彼女に言う。そこですでに、昨夜は帳消しになっている」
(6章 発想して組み立てる p.226)

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