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最近気になったツイート

今回は少し真面目な話をしようと思う。

先日、見かけたツイートである。
私がフォローしている方にこんな質問をしている方がいた。

『口座売買が犯罪だということに納得がいかない(質問者は口座売買が犯罪だということを知らなかったらしい)。無知で犯してしまった犯罪は罰せられるべきではなく、何度も繰り返して罪を犯す人間のみを罰するべきである。ひいては、“口座売買は犯罪である”ということを、もっと警察は周知させるべきであって、警察は犯罪の予防にも努めるべきである。すべては警察の怠慢である。』

このツイートに対し、リプや引用では、「口座売買が犯罪なんて常識だ」「知識を有していない質問者が悪い」という至極当然の意見が連なっていた。

私は、この質問を見て、“犯罪”がどんなものなのかを知らないとこういう意見が出てくるのか、と思った。

そして、これは質問者を責めるべきではないと思った。

この意見に対して、考えた点は2つある。

・“犯罪”だと認識せずに犯した罪はどう罪を償わせるべきなのか。
・犯罪の予防に努めるのは本当に警察の仕事なのか。

まず、1つ目に関して。
刑法学や刑罰論的な論点は一旦置いておく。

実務では、当然のことながら、“犯罪”だと知らずに犯罪行為をした場合も罰せられる(いわゆる“違法性の錯誤”)。

しかし、前述の質問者のように、「なぜ自分が咎められなければならないのか」という感想を抱くのも分かる。

この点に関して、私は、「犯罪行為そのもの」を悔いるのではなく、「自らの無知ゆえに他人に迷惑をかけてしまった」ことに対して反省する必要があるのだと思う。

この国に住んでいる以上、「人を殺してはいけない」ということは、わざわざ学ぶ必要もなく誰もが知っていることである。
そのため、人を殺めた人間は、「罪なき人を殺してしまった」という事実と向き合い、贖罪すべきである。
しかし、「人を殺すことは犯罪行為である」ということを知らずに人を殺めてしまった場合、「人を殺すことが犯罪だと知らなかった過去の自分」と向き合い、贖罪していかなければならない。

これはどんな犯罪であっても言えることなのだと思う。

無知で罪を犯してしまうような人間には、「自らが無知であるがゆえに、他人を傷つけてしまった・迷惑をかけてしまった」、ということは簡単に受け入れられないことなのではないか。

そして、2つ目について。

「警察は未然に犯罪を防ぐ努力をもっとするべきだ」という質問者の意見には、正直一理あると感じた。

しかしながら、警察の本来の存在意義は「治安維持」であって、犯罪者を発生させないことではない。(もちろん、治安維持の中に犯罪の防止は含まれるが。)

犯罪行為を行ってはいけない、というのは当然のことで、そのために法律が存在している。

犯罪の発生を防止する活動には、犯罪者予備軍に呼びかけるのではなく、街の風紀を乱さないようにすることや、被害者を生まないようにすることが想定される。

では、「知識のない人間に犯罪行為を教える」のは誰の役目なのだろうか。

特段法律を勉強しなくても、普通は、ニュースや新聞を見たり、学校の社会科の授業で簡単に学ぶなど、生きていくなかで身に付くのだろう。

しかし、そんな我々の当たり前である生活が当たり前ではなかった人間も少なからずいる。(私を含めて、リプや引用で意見を述べていた人たちは“普通に”生きてきた類の人間であると思う。)

そんな“当たり前”や“普通”や“常識”を身に付けられなかった人に対して、それらを提供するのが、学校や行政の役割なのだと思う。


これから行政の仕事をしていく私にとって、色々考えさせられるツイートであった。

具体的に、この質問者に対してどうするべきなのかということは簡単には答えが出ないが、きっとこんな世界でこんな価値観で生きている人間は少なくないのだと思う。

行政や教育に携わる人間は、常に様々な視点を持ち、それぞれが異なった世界で生活をしているということを忘れてはならないのだと思う。

自分が今まで生きてきた世界を当たり前だと思わずにこれから仕事をしなければならない。

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