富と宇宙の願い

豊かな人生
豊かさとはなんだろうか。
「心豊かに生きる」みたいな言葉の使い方があるけれど、この物質世界に生きる限り心だけで留めてしまっては不十分で、心において実現したものがなにかあるならば、それは現実のものとして形あらしめることが大事なのだと思います。

やがてくる自らの人生の価値が量られるとき、
如何に思い、如何に言葉とし、如何に行いとし、如何に具現化したかまでが問われます。
「如何に具現化したか」とは何かというと如何なる価値の創出を成し得たかということです。
それは単に金銭的価値によって量られるものではなく、霊的な価値によってその優劣を量られます。
霊的な価値とは創造性です。創造性は他に伝播して他者の心の中で育つ豊かさの種となります。
その種を良く育てることができる人は良き思いを芽生えさせ、良き言葉を放ち、良き行いを施し、良き現実を実らせることができるでしょう。
そしてその実りに触れた他者は新たな創造性の種を心に宿して価値を創出していくことができるのです。
あなたが心豊かに生き、価値ある人生を育みたいのであるならば、その心に宿すものを良く選ばなくてはなりません。自らの心に伝播させているものが如何なるものであるかをよくよく観察せねばなりません。
故に良き心、良き思い、良き言葉、良き行いを実践している人を探し出し、その人が実らせているものを積極的に自らに取り入れてください。
自らの心に良き種を蒔くことからはじめ、その種を良く育ててください。
今世界には良き種まきが必要とされています。
良き影響力が必要とされています。
その種が誰の心に宿って、大きく実を結んで次の種となっていくかは分からないでしょう。
あるいは全く成長することなく終わることもあるかもしれません。
しかしながら、種は蒔かれることなくして種以上のものになることはありえません。
だからこそあなたもこの世界において何らかの形をあらしめる義務があるのです。


創造性とか、具現化とか、難しいことのように感じられるかもしれないけれど、じつは誰にでもでき、誰もがしていることで、「新しい体験の創出」ということがあります。
一日の中において誰かと同じ時間を過ごして何らかの会話をする。というようなことだけでも自他ともに新しい体験であり、一つの具現化がなされていると言えるでしょう。
その些細な関わり合いの中に如何なる体験を実らせることができるか、ということが問われるところなのだと思うのです。
しかもそれは日常的なことであり、日々一日一日において試され、量られていると言っても過言ではないでしょう。
ごくごく平凡で代わり映えのないように感じられる毎日があることによって、私達は自らの心に宿し育んできたものを生み出すことができているのです。
しかもそれは自分一人によって生み出すものではなく、他者との関わり合いにおいて生み出している共創体験なのです。
あなたは如何なる共創体験をこの世界に産み落としてきたでしょうか。
この一日において
一週間において
一ヶ月において
一年において
人生において
他者と自分との間に生み出してきたものは如何なるものであったでしょうか。
その体験を心に映し出したときに輝かしく映っているでしょうか。
あるいはくすんでいたり、曇って影が指したように感じられるでしょうか。
その心の輝きこそが人間にとっての本当の資産であり、心の陰りは負債であると言えましょう。
金銭を如何に所有したかということが富の一面を表すことはあれど、決して富の本質ではないのです。
金銭とは、本当の意味において所有できるものではなく、いつかは消えてなくなるものです。
本当の意味において所有できるものは心の中に日々宿されている体験です。
これは消えてなくなるものではなく、他の誰にも奪うことのできない不可侵の財産であります。
その財産を陰りあるくすんだ負債として宿し続けるか、あるいは輝かしい黄金の資産として宿し続けるのかは心の持ち主である自らに任されているところであります。
自らの心が自らのものであって他の人のものではない以上、自らの責任であって他の人の責任ではないのです。
自らの自由意志によって日々の体験に意味づけをなした結果として、輝きや陰りというものがそこに塗りこまれているのです。
さすれば一つの体験に対して感じられる陰りというものを他の人のせいにして放置することを止め、自らの自由意志を再び働かせて違った意味づけをなすことはできないかを試していただきたいのです。
そこに陰りから輝きへ、負債から資産へと転じ、人生の豊かさを磨きだしていくチャンスが現れてくることに気づくことができるでしょう。
自分自身が今までマイナスのイメージを焼き付けて価値がないと思いこんでいた過去の体験を一転学びの材料として探求するとき、実はそれこそが豊かな人生の材料であったことにも気づくことができるでしょう。
その学びは決して偶然的に現れているものではなく、あなたにとって必要がある学びだからこそ目の前に現れ生み出された「実り」なのです。
それは早熟の実りであり、口に苦く飲み込み難いものに感じられることでしょう。
その苦さがなぜ現れているか、その原因は自らの考え方の中にある偏った価値判断にあります。
その偏りに気づいて、正して、中道に入ることで必要な学習を終えることが来たとき、果実は完熟の時をようやく迎え、苦味は甘味へと変わることができるのです。
そこにはもはや陰りあるくすんだ景色はなく、黄金色に輝いて見える一つの体験記が見て取れるでしょう。
それはあなたとあなたに関わる他者の新しい体験を輝かし豊かにする非常に強い原動力となります。
磨くことによって過去の体験は大きな力となります。
あなたの中に磨かれることを待っている体験はどれほどあるでしょうか。


心の中をよくよく観察し、自由意志を働かせることで日々を輝かせていくことは可能です。
自由は常にあなたの手のひらの上にあるものですが、掴まない限り使うことはできません。
この世界には怒りや恐怖心や過ぎた欲望が渦巻いていて、それらはあなた心を支配しようとしています。
しかしながらあなたが自由意思を掴み続けることができたならば、そうしたネガティブで波動の重い感情によって心を支配されることはありません。
自らの心を自らのものとし、自ら支配することです。
他人や環境による支配を許してはなりません。
消費者の立場に甘んじることを止め、創造者となることです。
時間を消費することをもって体験とせず、時間を創造し、体験を創造する意識を明確に持つことであなたは手のひらの上の自由を掴み、感情をも支配することができるでしょう。
物理的な貧富に惑わされることなく、日々の体験によって心を豊かに育み、真に豊かな人生を実現してください。
それは即ち他の人の素晴らしい体験を共創する手助けともなる、素晴らしい目的となるでしょう。
したがって迷うことなく貪欲に求めてください。
自らの人生を豊かにすることは即ち社会貢献なのですから、どうか積極的であってください。
それが世界の望みであり、宇宙の期待でもあります。
広大な宇宙の片隅で瞬く小さな光であったとしても、その美しさが無数に集まることで偉大なる芸術空間が成り立っているのです。
宇宙すべてを照らすような大きな光は期待されていないのです。
あなたの日々の輝きはこの広大な宇宙の芸術の一部として参加することを期待されています。
どうか一人でも多くの人があなたとともにこの芸術に参加することを期待してください。
それは宇宙の素晴らしい記憶として永遠の輝きとなることでしょう。

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