選挙演説での土下座は市民を愚弄してると感じてしまった。

今日は成田市長選挙の演説中に見られた土下座について書きたいと思います。

選挙戦最終日、小泉一成候補者を応援する小高夕佳議員が最後のお願いと称し、演説中に土下座を披露しました。
必死のお願いで、支持者からは拍手があがり、熱意が伝わったとの好意的な意見もSNSで見られました。

土下座の光景を見て、私は醜悪な行為に感じてしまいました。

私も営業経験があるため、仕事で土下座したこともありますし、物事を円滑に進めたりそれが効果的に働くのであれば土下座という行為そのものを否定するわけではありません。
事実、今回の土下座は支援者にとっては一定の効果はあったのだと思います。

ただ、土下座という行為には、何の付加価値もありません。
土下座をされたところで、ビジネスにおいて提供される商品やサービスが良くなるわけでもないですし、選挙においては、良い政治をするための証左になり得ません。
「覚悟を示す」とか「やる気を見せる」といった類の精神論は、例えばビジネスでKPI達成するために「どうやって」ではなく「がんばります」の一点張りしてるようなもので、「いやいや土下座とかどうでもいいから、論理的に説明してよ」とツッコミたくなってしまいます。

良い政治をするために一切意味をなさない、何の付加価値もない土下座をなぜするのか。それは、土下座という行為をする者が「その行為を見ることによって投票行動が変わる可能性がある」と思っているからです。市民が、そう思われてるからです。

政策や実績、まちづくりのビジョン、いくらでもアピールするものがありながら、そんなことよりも、精神的なアピールの方が効果がある。私たちは、そう思われているのです。こうして考えると、私は、市民を愚弄しているようにすら感じてしまうのです。

まあ、前述のように、好意的に受け止めている市民もたくさんいらっしゃるようで、そんな状況に頭を抱えつつも、自分がひねくれてるだけなのかもしれないですね(笑)

「土下座なんて意味をなさない行動なんてしないで、政策で勝負したら?」と論理的な声が高まり、そんなナンセンスな行為が将来なくなればいいのに思うのでした。

追記

補足しておくと(まあ日本語伝わらないと思うけど)、小泉陣営や土下座した市議をディスるわけではなく、必死に頑張って戦い抜いたことには素直に敬意を表しています。ただ、この行為自体にグロテスクさを感じてしまった、という完全に個人的な主観です。悪しからず。

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