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485 コロナ給付金をなぜ支給するのか、支給することが自己目的化していないか

コロナ給付金で揉めている。現金を支給したのでは、将来のための貯蓄に回るだけだから、半分の5万円はクーポン券にすることにしたところ、そのための事務経費が1千億円近く必要だということになった。給付の実務を担う自治体も現金給付の方が楽だからと騒ぎ出している。バラマキ批判に応えようとしたら、事務経費の壮大なムダという新たな火種を作り出した。
あまりにもバカバカしい。冷静になって見直してはどうか。政府の金庫にカネが余っているのではない。新たに借金して財源を作るのだ。ローな帝国を滅ぼした「パンとサーカス」の愚策をわれわれが選んだ民主主義政府がするはずがないと信じたい。もっともいいのは、いっそのこと給付金支給を取りやめにすること。
そもそも今回の給付金の目的は何か。衆院選での集票目的としてある政党が言い出し、バスに乗り遅れるなと各党が追随したのが出発点。国家政策としての合理性、効果分析などされていない。「生活困窮者対策なのか、子育て支援なのか」という基本線さえ、合理的説明がされていない。
コロナ離職での生活困窮者対策ならば、該当者が将来性ある分野での再挑戦を可能にするスキル収得に向けて、希望者に対して勉学とその間の生計費保障に重点給付することだ。技能習得の制度はあるのだから、その実施資金を潤沢に投入することになる。就職はしたものの業界の先行きに不安がある者、さらには親から引き継いだ個人経営会社の業態に疑問を感じている者、だれでもいいではないか。この際、アイデアがあればぶつけてみよう、その実験資金を日本政府は出すよと言えば、格好いいと思わないだろうか。救済、救済というから話が暗くなる。好きなこと、楽しいことを整形に結びつけるにはどうすればいいか。マルクスの労働搾取の時代とは違うという社会モデルに挑戦するという気概を政治家に求めたい。
子育て支援を目的とするのであれば、来年4月の新学期のターゲットを合わせ、入学金、制服、文房具など特別出費を政府が肩代わりする。学校と指定業者からの請求書を提出した親に代わり、今回特別措置として政府(自治体)が、肩代わり支払いをするのだ。指定業者が入金時期遅れについては、概算払いと清算を組み合わせればよい。あるいは子どものやる気を導き出すために、さまざまなジャンルでのコンクールを開催し、優秀賞、努力賞を好きなだけ出せばよい。この場合、開催費や副賞費に公費を充てるだけだから、指摘されているクーポン支給事務費のⅠ千億円の1%で子どもたちにやる気を百倍喚起できるはずだ。子どもには可能性がある。それを伸ばせばいいのだ。そういうふうに親も考えを変える。それが多様性を重んじる社会だと思うなあ。
政策効果が疑わしいバラマキするくらい政府にカネが余っているならば、税の軽減をした方がよい。もちろんこれは政治家への皮肉である。衆院選で消費税軽減などを主張した政党や候補者が、投票を終えたとたん音無しなのはなぜか。選挙向けのリップサービスで済むと高をくくっているのだろう。選挙が終われば公約は守らなくてもよい。拉致被害などはまさにその典型。人権での約束は守らなくてよいが、バラマキの約束は律儀に守る。これが反対であれば政治への信頼は回復する。

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