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492 だれのものでもない土地が720万ヘクタール 北海道よりも大きい

土地を持たないみなさん朗報ですよ。だれのものかわからない土地が、面積を合計すると九州本島よりも広く(2016年)、やがて北海道よりも大きくなる(2040年)のですって。この馬鹿な状況を変えることができれば、そして無主の土地が利用されるようになれば、国民みんなの利益になること疑いなし。そう思うでしょう。
法的には無主ではなく、だれかの所有地であるのだが、登記簿においても現実においても、権利を主張する者がいない。荒れ放題で何の経済果実も生み出さず、市町村には固定資産税収入が入らない。国土が狭いことを嘆いている政府のお役人や政治家は、少しは考えたらどうか。ということでわが総合社会政策研究所による素案。
考えの骨格は、国民全体の利益になり、かつ公費(租税)を投入するようなバラマキをしないこと。
なぜ無主の土地が生じるか。最大要因は土地のコマ切れ相続。子どもたちへの均分相続を土地にまで適用する結果、代ごとに細分化され、利用不適地になっていく。市街地では住宅地として売れない。山野などでも細分の結果、権利集約が困難で大規模開発に適さない。開発や再利用には所有権の整理が不可欠になってくのだ、いわゆる地上げが必要になる所以である。
そこで国や自治体(都道府県・市町村)が果たすべき役割だ。すべての土地の評価をきっちり行い、固定資産税を例外なく徴収する。周辺近傍の利用されている土地では、経済価値に基づく適正評価がされている。一帯の地価の均衡の観点から、無利用の土地への固定資産税評価については、利用地の評価を下回ってはならないことを法律で規定する。むしろ土地所有権を有効活用していないペナルティとして3割ほど高くするのがよいだろう。とにかく無主、無利用の土地への固定死産税をガバッと上げること。
次に3年間固定資産税が納められていない土地は、問答無用で国が無償収容することを定化。地主は「固定資産税を支払うのが当然」の原則は明治に導入され、もはや定着しており、「そんな仕組みはおかしい」と公然と異議を出す者はいない。召し上げられるのが嫌なら、登記を確実にして税を納めれば済む話。土地収用に対する補償などまったく不要。
所有権者が明確になれば土地買収交渉は容易になる。開発しようという民間事業者が現われるから、相手の素性を確認の上、政府は評価額で払い下げ、税外収入を得ることになり、財政再建につながる。
10年ほど経ても買い手がつかない土地は、希望する都道府県に無償貸与し、上記の開発業者への売却交渉権を付与することを可能にする。そして売れた場合、売却収入の半額を当該都道府県に与えるのだ。元手はかかっていないから、都道府県にとっても財源になるありがたい話。
売れるまでの期間中に固定資産税納付義務を負うのは国や都道府県である。都道府県に無償貸出期間中は、政府が固定資産税相当額を都道府県に交付する。仕組み的には、地方交付税の内訳を変更することで対応する。無主の土地の開発に熱心な都道府県への地方交付税は増え、そうでない都道府県への地方交付税の配分が減る。地方交付税不交付団体である東京都などは関係なし。
市町村にとっては固定資産税の徴収漏れや滞納がなくなり、しかも開発で全体的に地価が上がれば、地域振興にもなって願ったり、かなったり。なお、国は都道府県から新たに入ることになる固定資産税収入についても、地方交付税の総額を変えず、内訳の変更をすることで対応する。結果的に、無主の土地が多く開発メリットが少ないとされてきた市町村の固定資産税収入が増える分、地価が高い市町村への地方交付税が減る。均衡発展に寄与することになるわけだ。
以上の要約。無主の土地が有効活用されることになり、国、都道府県、市町村すべてが潤う。
では損する者はだれか。これまで固定資産税を納付していなかった潜在地主である。名乗り出れば固定資産税を徴求され、隠れたままでは土地を国に取り上げられる。それでいいはずだが、民主主国らしく優しい手を講じる。
公益のために私財を寄付した人には国から紺綬(こんじゅ)褒章が授与される。500万円以上で、金額が上がると木杯の副賞がつくなど、胸を張れる度合いが高まる。親が残してくれたが利用価値がない土地は“不”動産と思う者にとっては、親への感謝を思い起こす契機になろう。わが子の先行きを案じて死んでいった親も安心、褒章の名誉を得る子孫も幸福。


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