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544『死という最後の未来』石原慎太郎 と曽野綾子

昭和世代の大作家である曽野綾子さん、石原慎太郎さんの対談。収録されたのは二人が88歳、89歳の時点。それから1年後、2022年2月1日に石原さんは亡くなっている。
主題はずばり“死”について。二人の含蓄のある掛け合いが詰まっている。書中から二人の言葉をランダムに切り出し、順不同で並べてみた。それぞれ二人のどちらが述べたものか。読んだ直後の今は明白に区分けできる。でも、1週間後、1年後はどうだろう。

○老いというものは、そうやってさまざまな決別を促すものなのかもしれないですね。しかし…老いることに耐えなければ、すぐにへなへなと無気力になって、ぼろぼろと老いてしまう。それが怖いんですよ。
○寿命は、聖書の中に「ヘリキアという言葉で出てくるんです。ギリシャ語で意味が三つほどあって、一つは寿命。一つはその職業に適した年齢という意味。もうひとつは背丈です。そのどれをとっても、自分の自由にはならないでしょう。
○老いを受け止めながら、さらに新しい生き甲斐を見出していく。情熱をもって天寿を全うすることが、後からやって来る者たちへの責任でもあろうと、この頃は思うようになりました。
○永遠に命があったら、疲れますよ。死なないということは、最高の罰でもあるのです。
○貪欲に死の実相を探りつくしたい。この気持ちは、幕が下りる、その瞬間まで持ち続けていくことになるでしょうね。
○人生はかけがえのないものとして、あきらめてはいけないという気持ちは、増してきているんです。若い人で何をしてよいか分からないと言って、無気力でいる人たちを見ていると、何を言っているんだ、実にもったいないと思う。
○中学生の頃ですけれど、尊敬する老医師から教えられたことがあります。人の最期にやってはならないことは、点滴、または胃ろうで延命すること、気管を切開すること、酸素吸入の3点だったのです。
○死は義務教育の課程で学ぶべきこと、学校の先生が教えるべきこととして発言しています。…死んだら終わりと思っている人は、ある意味、怖い。お金が欲しいから泥棒をするとか、癪に障るから人殺しをするとか、放火をするとか。…死について学べば、少なくとも、こういう考えには及ばないんですよ。

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二人は著名人であり、国民は著書などを通して、考え方、人生観にはなじみがある。若い世代でも一般教養として心得ているだろう。余計なことかもしれないが、大学共通入試で、「次の八つの発言は石原慎太郎と曽野綾子のどちらの発言である可能性が高いかで分けよ。その上で解答者自身の死に関する見解を400字以内で書け」といった出題をしてはどうか。

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