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631受難死亡した10人の歴代総理 遭難の時系列

2022年の7月8日は「総理受難の日」として記憶されるだろう。政治家は数多いるが、日本国民の実質リーダーは内閣総理大臣である。アメリカやフランスの大統領に相当する。総理が欠ければ内閣は存続できない。新しい総理大臣が選任され、新たに内閣が組織されるが、トップが変わるのだから、政策も路線変更になる。その変更角度が大きければ、国際社会におけるわが国の立ち位置も変わってしまう。
それだけに暴漢やテロに襲われないように完璧な警護が必要とされる。その一方、民主主義国の政治家は国民との対話によって民意を掴み、また国民を説得、鼓舞することで国家を率いていくから、奥の院に隠れて政治をするわけにはいかない。ここが難しいところ。
現在の内閣総理大臣は岸田文雄さん。形式的には101代目の総理だが、一人で複数回勤める人もいるので、実数では64人目とされる。そのうち暗殺などで非業の死を遂げた人は何人いるのだろうか。事件等の発生日時を時系列で整理してみた。現職中に限らず、現職中の言動が原因で退任後に降りかかったと思われる災難も含めた。(敬称略)

①    伊藤博文。憲政上一人目の内閣総理大臣。退任後の1909年10月26日、満洲のハルビン駅頭で射殺。在職期間は初代1885- 1888年、5代1892- 1896年、7代1898年、10代1900- 1901年。 
②    原敬。10人目の内閣総理大臣。現職中の1921年11月4日。東京駅で刺殺。
在職期間は19代1918‐1921年。
③    浜口雄幸。17人目の内閣総理大臣。現職中の1930年11月14日、東京駅で狙撃。一命を取り留めたが傷口からの感染で翌年8月26日死亡。在職期間は27代1929‐1931年。
④    犬養毅。18人目の内閣総理大臣。現職中の1932年5月15日(5.15事件)。首相官邸襲撃で射殺。在職期間は29代1931‐32年。
⑤    高橋是清。原敬総理暗殺後に一時総理就任のため歴代にはカウントされない、ここでは特別に含めた。退任後の1936年の2月26日(2.26事件)。クーデター未遂事件で射殺。在職期間1932年。
⑥    斎藤実。1936年。19人目の内閣総理大臣。退任後の1936年の2月26日。クーデター未遂事件で射殺。在職期間30代1932-- 1934年。
⑦    近衛文麿。23人目の内閣総理大臣。1945年12月15日。首相退任後であったが、GHQから巣鴨拘置所への出頭を命じられ、12月15日服毒自殺。在職期間34代1937-1939年、38代1941-1942年、39代1941年。
⑧    広田弘毅。21人目の内閣総理大臣。退任後の1948年12月23日。極東国際軍事裁判の判決により絞首。在職期間1936- 1937年。
⑨    東条英機。27人目の内閣総理大臣。退任後の1948年12月23日。極東国際軍事裁判の判決により絞首。在籍期間1941- 1944年。
⑩    安倍晋三。57人目の内閣総理大臣。退任後の2020年7月8日。参院選遊説中奈良市内で射殺。在職期間90代2006-2007年、96代2012-2014年、97代2014-2017年、98代2017-2020年。

厳密に定義したわけはないが、ボクの整理では、歴代総理64人(高橋是清を含めると65人)のうち10人が非業の死に分類された。これをどう評価するか。安部さんは「この国をしっかり次世代に引き継ぐ」ことに命を懸けていた。ボクたちはどう行動すべきなのだろうか。
改めて非業の死を遂げた歴代総理の冥福を祈る。

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