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362民主主義国の情報機関

わが日本国にはスパイ防止法すらない。機密情報は盗まれ放題。これでいいのか。
インテリジェンス関係者は口をそろえて言う。そのとおりだと思う。
中国、ロシアは国家主導で諜報体制を構築している。自国民を信用せず、監視対象とするのだから、方法・技術は徹底している。それを他国民やその政府にも適用する。わが国のマイナカードに盛り込まれる情報など、とっくに筒抜けになっているに違いない。
ロシアすなわちソビエト政府の諜報活動に負けないようにアメリカ政府が巨費を投じて作ったのがCIAである。その鳴り物入りの民主主義国諜報機関は役立っているのか。ティム・ワイナーの『CIA秘録』を遅ればせながら読んだ。著者はニューヨーク・タイムズ記者で、本書はベストセラーだったとか。

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暴かれる内容に驚く。ソ連による原爆実験(1949年)、朝鮮戦争(1950年)、50年代の東欧諸国でのソ連への反発民衆蜂起、ソ連のキューバへのミサイル配備(1962年)、第4次中東戦争(1973年)、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)、イラク・フセインのクウェート侵攻(1990年)、インドの核実験(1998年)のいずれもCIAは不意を突かれ、予測を間違えた。2001年の航空機乗っ取り同時多発テロも同様だ。
ケネディ大統領暗殺は、カストロ首相暗殺計画へのキューバの復習だったというかなり確度が高い証拠があるにもかかわらず、CIAは敢えて調査追及をしなかった。
すべてCIAの無能ぶりを示す。なぜそういうことになったのか。著者の根源的な問いは、自由と民主主義の大義を掲げる側において、欺瞞や暴力、非合法手段を必然とする他国政府転覆を含む工作活動をすることが許されるのかである。
わが日本も国家独立を維持するため、諜報活動に本腰を入れるのだろうが、その際に考えなければならないポイントである。
CIAは巨額のカネをバラまき、敵国大幹部を買収したが、そのほとんどがCIA内等に入り込んだ二重スパイの通報によって、敵国内で処刑されている。ではアメリカも摘発した敵国スパイを処刑できるか。法治国家であるアメリカでは、即決銃殺などはできない。
情報として役立ったのは、金目当てではなく、自由への信奉から自発的に情報提供してきた敵国民であった。これは専制国側では期待できない自由主義側の利点である。
スパイ、監視、謀略は専制体制に不可欠な手段なのだ。これなしでは体制を維持できない。これに対して自由主義・民主主義側の本質は多数国民の支持である。なぜならそれが人類の本能に即した政治体制であるからだ。体制への自信があれば、その本質を踏み外さない諜報体制を築くことだ。専制体制は恐怖で縛りつけているだけ。国民が目覚めれば実はもろいものだ。すべてをどこから発想し、外交政策を進める。日本政治に必要なのはその一点だろう。








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