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220520誤振り込み4千万円の責任はどこにある?

山口県阿武町が誤って4630万円を個人の銀行口座に振り込んでしまった。その顛末でテレビのワイドショーは大盛り上がり。「返すべきか」「返さなくてもよいか」などで、口角泡を飛ばして議論している。そうこうするうちに受給者が逮捕された。マスコミは当人にプライバシー暴きの新局面に入っている。
でも本質は別のところにあるのではないか。ということで、
甲説:間違えて振り込んだ町当局が悪い
乙説:返そうとしない受取人が悪い、に加え、
丙説:交付金制度を作った政治が悪い
 をつけ加えたい。
 丙説を唱える理由である。政治の主体は個々の国民、住民ということになっている。これは民主主義政治の原点。憲法が説く「人類普遍の原理」である。
 政治の主人公である国民、住民はその参加費用として税を納める。その納め方には、①応益原則(受益の大小に応じて税を負担する)、②均等原則(各自一律金額を負担する)、③応能原則(資産や所得の大小に応じて負担する)の3タイプの考えがある。
 どれを採るかは主権者の考えであり、議会が主権者の考えを尊重して法律・条例で決定する。「課税法定主義」であるから、行政の気まぐれで税を左右することは許されない。
 さて今回のコロナ特別給付金である。実施要領によれば「コロナでの行動制約が原因で生活が成り立たなくなった者」に対する福祉措置のように見えるが、実際の運用は住民税非課税世帯に対する一律10万円支給になっている。住民税は地方自治体主権者としての基本的参加費用であり、先の納税原則のうちでは②の均等原則がもっとも適合するはずだ。ただし各世帯の収益は年々変化するから、「今年は儲からなかった」ということもある。そこで住民税を「均等割り」と「所得割り」に分け、収益が低かった年は前者の均等割りだけ納付すればよいことにしている。
 基本はそういうことで均等割りはすべての世帯が納付するのが建前だが、特に収益が上がらなかった世帯では特別に均等割りも免除されることがある。その年に限っては住民税はゼロ負担、つまり一銭も払わなくてよい。
それに加えて今回、コロナ特別給付金が臨時措置として制度化された。その結果、非課税世帯は単なる非課税ではなく、Ⅰ0万円のマイナス課税になったわけだ。住民としての参加費を払うのではなく、逆にもらうことになる。こうした措置は妥当なのか。どう理解すればよいのか。
『ローマ人の物語』を書いた塩野七生さんが述べている。最盛期の古代ローマでは市民権を持つ住民には小麦粉の無償交付を受ける権利を与えられていた。低所得者への限定ではなく、ローマ市民としての普遍的権利であった。市民であればだれもが交付された証書と引き換えに小麦を受け取れる。ただしそれには「受け取り」の意思表示が必要であった。つまり引換事務所に出向いて請求書に署名するのである。生活に困っている市民は受け取って生活を維持したが、そうでない市民は請求をしなかった。
 皆が小麦を受け取れば、その分税金が上がることになる。困窮していない者が受給権を行使しなければ、国庫は小麦購入費を軽減できて減税できる。必要と自主判断する者が受け取るのが、全員にとって合理的であるからだ。
民主主義社会での政治は、主権者である国民、住民による助け合い。
コロナ特別給付金はほんとうに必要だったのか。少なくとも金銭以外の支援措置であるべきではなかったか。また支給方法として形式画一的に口座に振り込むことでよかったのか。
こうしたことを考える必要があるのではないか。それで甲説、乙説に加え、丙説も入れて議論すべきと思うのである。

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