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490 森友訴訟“認諾終結”を考えたのはだれか

証人尋問を間近に控えた時点での突然の認諾。学校法人「森友学園」をめぐる財務省の決済文書改竄問題で自殺した近畿財務局の元職員、赤木さんの妻が国に損害賠償を求めた訴訟での突然の幕引き。原告の妻は「負けたような気持ちだ。真実を知りたいと訴えてきたが、こんな形で終わってしまい、悔しくて仕方がない。おカネを払えば済む問題ではない」と語っている。国民の気持ちを代弁していると受け止めた。
 今の今まで決済文書の全貌を隠してきたのは財務省側。「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではなく、決済文書の改竄という行為が介在している事案の性質などにかんがみた」と言っているが、決済文書の改竄がよくないと思うなら、なぜ争ってきたのか。国有財産の売り払いは国家機密に関するなどのもっともな理由があるのだろうと思っていた国民は開いた口がふさがらない。だれが改竄に関与したかなど、本来は国益とは無関係。当人たちを処罰するか、事情を斟酌して免責するかの矮小な問題だ。
「お上がすることを下々の国民に知らせるなどもってのほか」という江戸時代的な発想で霞が関が動いている(少なくとも財務省理財局では)としたら民主主義国家の根幹事項。だからこそ国民が重大関心を持っているのだ。岸田総理は「森友問題について真摯に説明責任を果たすよう指示した」と国会で答弁したとのことだが、この文書には秘密にすべき事情はないと内閣が判断していることになる。ならば訴訟とは無関係に全国民に公開すればよい。言うこととすることは別というのは、民主主義にもっとも反することなのだから。自らの耳で聞いた国会議員で、この言行不一致に危機感を感じない議員は、すべて辞任しなければならない。
 民主主義の政府運営においても公開できない事項はある。国防などその最たるものだ。森友学園での一連の財務省の決定が、そうした秘密にすべき事項なのか否かが問題なのだ。文書内容を明かすとどのような国益が失われるのか。その判断があるから、あくまでも公開しないということだったはずだ。ならばそれで押し通すべきではないか。証人といえども法律に触れることをベラベラしゃべれば、自分が罪に問われる。それで国益やプライバシーが守られている。証人尋問を怖れたということは、秘匿すべき正当な理由がないことを国側が白状したことになる。それが岸田総理の答弁に表れている。にもかかわらずわが政府の官僚組織が、国益や法益に該当しない何か別のものを守ろうとしている。そう諸外国に受け取られることほど、国益を害するものはない。
 森友学園に国有地を格安で払い下げることにしたのは政治家がらみであったからというのは、民主主義の観点では実は大した問題ではない。そうした口利きはいやと言うほど転がっている。現にその隣の土地では、野党側の国会議員が同様の口利きをしたともささやかれている。個々の官僚が政治の圧力にさらされているのは、国民だれもが知っている。公然のことをいまさら隠してどうするのか。
身を賭して主張すべき責務を主張して政治の無理を思いとどまらせる。抵抗の甲斐なく干され、あるいは失職する。それが官僚である。よもや忖度で出世するような人種が霞が関にいるはずがない。これが官僚に対する国民の信頼の基盤なのだ。それを自ら崩そうとしている。財務省の矢野事務次官は財政再建に関して真理を述べた。では民主主義に関してはどうなのか。今回の認諾に関する決済に矢野事務次官はどう関わっていたのか。

写真は小名木川に架かるクローバー橋。運河が交わる箇所で四つの角をつなぐ。上から見ると「X」の形なのだが、名前はクローバー橋。どうしてだろう? このあたりの運河の水面は閘門により、2メートルほど低くなっている。江東ゼロメートル地帯の象徴。




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