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513『古老が語る下町の大水害』 住民の助け合いについて

『下町の大水害』(岡崎征男編、下町タイムス社、平成7年)という本を読んだ。
 折しも南太平洋のトンガ沖での海底火山の爆発(1月15日)の余波での津波襲来とかで、沖縄から岩手にかけての海岸で緊張状態が続いている。東京湾は騒ぎになっていないが、わが江東区あたりでは、それよりも大雨による出水の方が深刻なリスクだ。墨田川と荒川に囲まれており、少し長雨になれば増水、浸水する。区役所前にポールが立っていて、「○○年の洪水ではここまで水に浸かった」といくつもの印がついているが、すべてはるかに頭の上。平屋、二階は完全水没の高さである。
 明治43(1910)年の水害は特に被害が大きく、あたり一面が水没。しばらくの間、人々の移動手段は小舟であった。本の表紙でもうかがうことができる。ここまで大きくはなくても、床上浸水は毎年の恒例であったようで、区域によっては「1年に三度、四度水がある。…(水が出るたび)畳も障子もみんな新調しては入れて」ということだったようだ。「火事と喧嘩は江戸の華」といって年中行事の代表のように言われるが、東京の下町の場合はこれに「水害」を加える必要がありそうだ。
 この本(平成7年刊行)は、そうした中でも被害が大きかった明治43年の大水害の体験者への聞き取りをまとめている。水害の根本対策として荒川改修の大土木工事が行われたが、その関連での記録整理としてまとめられたようだ。そのおかげで近年は住宅地がすっぽり水没する被害は起きていない。国防・治安と並び、基礎インフラ整備の財源を投入できるのは国家のみ。日頃出費を抑え、こうした分野で遺漏がないよう適切な財政運営を期待するのみだ。

 この本の中で注目したのは、こうした災害時の被災者対策がどのようなものであったかだ。今は避難所設置や緊急物資提供、被災住宅の修繕や応急仮住居の提供などを自治体が実施し、その費用を国家が補填する仕組みになっている。明治の昔はどうだったのか。体験者の断片的な記憶ではあるが、本の中から拾い出してみよう。
 台東区在住(水害は江東区特有ではなく、下町に共通事象だった)の黒田林三郎さん(明治40年生まれ)の記憶は次のとおり(同書35頁以下)。「あの頃は、町内なんて単位はなかったね。自分のことは自分の家で整備するんです。救護活動なんてものもない、あるがままですよ。…汚い泥水に浸かったって言うくらいのことでね。仮に戸板流されたって、取りにいきゃいいんだから。誰も物盗ったりしないし、乱暴者もいないし、世間が穏やかだったってことでしょう。水が引くのを待ってて、後は汚くなったの雑巾がけして拭いたって程度でしょうね。「ここまで来たよ」なんて言いながら。お役所が、そういうことに出てくるなんて事なかったですよ、そもそもあの頃の役所ってのは働いてないんだもの」。
 足立区在住の永田平吉さん(明治37年生まれ)の記憶(29頁以下)では、「下町の方で困ってても高台の連中は、知らんぷりで我関せずといった風だよ。それに比べると下町はみんな協力して助け合ってたもんだ。時には野次馬なんか出たけど、最後はみんな協力してくれたっけ。昔は人情あふれてたね。困った人間見たら誰だってほっとけなくなる」。
 台東区在住の江波戸盛淳さん(明治37年生まれ)は(46頁以下)、「見渡す限り水浸しで…2週間くらい引かなかった。…こっちの親戚や知人を頼ったりして避難してました。特に炊き出しをしてたとかの記憶はありませんが、取り立てて、助けろと言わなくっても、今と違って隣合って生きてましたから…お互いに支え合って生きていたんです。そういう時代ですよ」。
 江東区在住の大川銀作さん(明治39年生まれ)によると(75頁以下)、「下町ってぇのはね、はっきり言って割合に貧乏人が多かったからね、水害に備えて貯えやなんかってのは出来なかったんだろ、水害の間、収入は無い。…けど、その分、ナンでも助け合うって気持ちがウンとあったんだね」。 
 編者である岡崎征男さんの認識も載っていた(80頁以下)。「これをまとめる仕事をしながら、私は知らぬ間に、阪神・淡路大震災の事後のさまざまを重ね合わせて見ていたのである(注:この本の編集は東日本大震災前)。…肩を寄せ合って生きている下町の人々は、やさしくて逞しいなと感じる。だが、なぜか行政の事後の対応に対する強烈な不満は語られていいない。時代相というものがあるんだろうか」。

 以下はボクの感想。編集時点は明治43年の被災から85年を経ている。語り手がまだ子どものときの出来ごとであるということは割り引かなければならないのかもしれない。それはあるが、“地域福祉”とか“地域包括ケア”などの美辞麗句を聞くたびに、その前提となる地域の人間関係を構築する算段は果たしてできているのか考えてしまう。人間関係は行政の通達1枚でどうのこうのとなるものではない。机上のカラ計算になっていないか大いに心配になる。

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