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赤穂浪士のお墓に遺骸は埋まっているか

高輪の泉岳寺に行った。コロナも明けたことだし、役所時代の仲間と一杯やろう。盃を傾ける前に社会見学の一つもしておこうということで参拝した次第。

泉岳寺と言えば赤穂浪士47人のお墓。境内に打ち取った吉良の首を洗った井戸があり、その奥に義士たちの墓所がある。線香の束を買い手向けて回る。平日だったが、どの墓石にもたくさんの線香だ。”乃木坂46”などと違い、お供えの線香の数には人気や知名度の差が見られない。同行者中の詳しい人が○○はこういう役割、××の活躍は云々と解説してくれるが、数が多いから一度や二度では覚えられない。

それよりもボクの関心は、この墓石の下に遺骸が埋まっているのかどうか。
写真で見るように墓石は隙間なく林立している。火葬後の焼骨ならば問題ないが、土葬であれば棺桶を寝かせるスペースはない。当時は座棺で縦長だったから納まったのだろうか。
若い僧に聞いてみた。すると意外なことが判明。
「棺桶を用いず、直接土中に埋めたのです」
切腹後の遺骸が泉岳寺に運ばれてきた。一同による墓所が定められると、順次穴を掘り、二体ずつ並んで座らせた。切り離された頭部は膝の上で抱えさせた。そしてそのまま土を盛ったのだという。直接埋葬だ。
説明を聞いた際には、胡坐をかかせたのだろうと思ったのだが、切腹は正座でするはず。死後の硬直もあるだろうし、正座姿で葬ったのだろうか。もっとていねいに聞けばよかった。

ともあれいわゆる供養塔ではなく、遺体がおさまっている正真正銘のお墓と墓地であることが分かった。もちろん300年も経過した今では完全に土に戻っているだろうが。

墓石を数えてみた。48個ある。数が合わない。討ち入り前に自害した萱野重美(=三平)加えられているとのことだ。なるほど。この人物の墓石の下には遺骸はない。また内蔵助の密命を受け、後世に義挙の意義を伝えるために凱旋行進中に隊列を離れたとされる寺坂信行(=吉右衛門)もまたこの墓石の下には眠っていない。さらに間光風(=新六)は切腹仲間ではあったが、遺骸を義兄が引き取り、都築本願寺に埋葬した。
つまり48の墓石Jのうち、3つは遺骸なしの詣り墓(=供養塔)ということになる。写真ともどもウキペディアのおかげ。

忠臣蔵での雑学をもう一つ。ボクはプライムビデオで見た『決算中心蔵』を紹介した。剣術、槍述に覚えがある番方だけでは戦争はできない。経費を賄う裏方がいなければ戦闘開始前の腹拵え一つできないのだ。彼らの資金繰りで討ち入りの装束、装備、糧食を整えることができたというのが映画の主題。その裏方も作戦に参加した。戦闘では活躍しなかったようだが、切腹して後世に名を残す栄誉を得た。




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