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666杉下右京『相棒』での倫理感覚

人気テレビドラマ『相棒』の新シリーズが始まった。杉下右京さんの名推理は変わらないようだが、1回目で腑に落ちないのが登場人物たちの意識。視聴した人たちの感想はどうだっただろう。
某国(ドラマではサルウィンの架空名だがミャンマーを想起させた)での軍事政権打倒に貢献したグループが訪日し、歓迎パーティーが開催される。なぜか右京さんが招待される。彼が出歩けば事件に出くわすのがこのドラマのお約束だから、なにが起きるかと視聴者は引き付けられていく。
パーティーの主役は民主化運動を率いたヒロイン、若く美しいアイシャという人物。その彼女の身の上に降りかかる殺害の危機。アイシャがもっとも信頼する仲間を含む6人が、彼女の殺害を試みるのだ。裏切りでも、憎しみでも、復讐でもない。彼らは携帯電話に送られてきた差出人不明のメールで、アイシャ殺害を要求されているのだ。
彼らの配偶者、親兄弟などの近しい家族が、たまたま後続の飛行機で日本に向かっている途上にある。「この航空機が羽田への着陸態勢に入る前にアイシャを殺害せよ。さもなければ航空機を空中で爆破、墜落させる」
 この脅迫を6人が別々に受けている。これがポイント。6人はそれぞれ自分だけが脅迫を受けていると考えている。そしてそれぞれが、「自分がアイシャを殺害することで、自分の家族および同乗の人たちの命を救うことになる」正しい行動であると考えるのだ。アイシャたちの民主化運動を支援していた日本外務省の高官すら、電気コードでアイシャの首を絞める。その場はアイシャが逃げだし未遂に終わる。彼女は部屋にこもるが、前室にはこの6人が陣取り、殺害機会をうかがっている。「だれかがアイシャを殺せば、航空機は無事に羽田に着陸させてもらえる」と。
 
 これには気分が悪くなった。「エンターテインメントのドラマにケチつけるのはどうか、右京さんの推理の冴えを楽しめばいいのよ」と言われたが、あえてこのときの気分を書いておこう。
「アイシャを殺せば航空機爆破をやめる」。脅迫メールの匿名送り主はそう言っている。
だが、それは被脅迫者がアイシャを殺害する理由にはならないはずだ。彼女が6人に対して何をしたというのか。脅迫に従って無関係の第三者を殺害するのがなぜ正当化されるのか。6人にその点での逡巡がないように見えるのが恐ろしい。そしてそれが視聴者の考えに沿っているだろうと、このドラマの脚本家や放映したテレビ局が信じているようであることに、底知れない不安を感じたのだ。
「人を殺してはならない」。これは人としての基本モラル。家族を誘拐して、釈放条件として隣人を殺せと脅されてそのとおりにすることに、6人のなかで本気で反対する者が一人もいない設定なのが怖い。
アイシャはサルウィン国では新政権の立役者で同国のシンブル的英雄。その死を願う者がいるとすれば、政治的陰謀が真っ先に考えられる。そして民主主義者らしい6人にとっては政治的盟友なのだ。にもかかわらず陰謀者の意のままに彼女を殺害しようとする。その第一着手者が、日本政府(外務省)の高官だった。現実の日本外交官にこんな人間はいないはずだ。近日中に官房長官あたりから、猛烈な批判がドラマ関係者になされるのではないかと思う。

『相棒』は国民的な人気ドラマ。今回の展開を外国政府筋が見て、「テロには屈しない」の対応を日本政府と共同するのは無理と思われたら、外交上の大問題ではないか。ドラマ作成者の意図を知る由もないが…。

 さらに不思議なのは、航空機爆破の予告の裏が取れていないこと。にもかかわらず匿名の脅迫メールを信じてしまうナイーブさ。いたずらメールであるとはツユとも考えない。この点は右京さんが解き明かすのだが、犯人はメールを送っただけでハナから爆弾を積み込んでいない公算が高い。それでもあえてアイシャを殺すのか。
仮に爆発物が仕掛けられていたとしよう。匿名脅迫者の要求は「アイシャを殺害しなければ航空機を爆破する」。裏を返せば「アイシャを殺せば爆破を中止する」。殺害が先なのだから、アイシャ殺害が実現しても、爆破が中止される保証はない。犯人は素性が割れていないのだし、脅迫や爆破を計画する卑怯者が約束を守るはずと期待するのがどうかしている。事後の追及から逃れる上でも、生存者を残さない方が好都合と脅迫者は考えるはずだ。
 
 結末はアイシャの「自殺」で終わる。遺書で「自分が死ねば航空機爆破を防げるから」というのだが、ほんとうに自殺であったとすれば、6人もの身近な人が脅迫に負けて自分を殺害しようとすることを知ったことでの周囲の人間に対する絶望感が原因だろう。

6人の家族は無事、日本に着いた。事の次第を知ってどう思っただろうか。次回以降の展開でそれに触れることになるのかどうか。

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