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638長寿社会の相続ルール

わが国には相続税がある。日本人は当然と考えているが、諸外国には相続税がない国も多い。これはどちらが正しいのか。家制度とか家督制度が社会の基本であるとするならば、世代交代のたびに財産が減っていくのは社会基盤を危うくするから、相続税はない方が望ましいだろう。
しかし戦後のわが国は家制度などを否定した。子は成人すると親の庇護を離れて経済的にも独り立ちすることが求められる。憲法にも明確に記述されている。すなわち「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(26条1項)や「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」(27条1項)。
意味するところは明瞭だろう。親の役割は子を自活できる成人に育てあげること。そして巣立った後の親子は自存し、依存の関係にならない。
したがって親が財産を残した場合であっても、自活年齢の子が無条件に受け取ることは、不労所得を容認することであるから望ましくない。社会公益のために国家が引き取る。これが相続税の基本であろう。
これを徹底すれば、資産格差問題などはほぼ解決できる。一代で十億円単位の資産を形成しても、しょせんは使いきれない。使い切れずに亡くなった時点で、国庫に納まるならば、批判する人は少なく、賞賛する人が多くなるであろう。

では相続税は100%であるべきか。もちろん例外が必要だ。まだ子が育ちあがっていない場合である。死亡した者が子の養育に回そうと予定していた金額は残すべきである。50歳で父親が死亡すれば、子は未成年であろうからよほどの大資産を残していない限り、非課税でよいだろう。
半面、100歳の父親が亡くなった時点では息子も既に年金生活といった場合に、財産継承を認める必要性は乏しい。相続税で国に収納すればよい。
ただし、孫がいてその子が未成年の場合には、子が未成年である場合と同視してもいいだろう。100歳の父親が生存中に資産を使い切らないのは、子孫の健全生育への希望があるからと考えられるからだ。孫も成人していて、ひ孫が未成年という場合も同様だ。基準年齢(例えば30歳)までの年数に200万円を乗じるなど、仕組みは簡素なのがよい。対象の子孫が多いほど非課税総額は大きくなるから、長寿者に福音だ。
これは資産を築いた人の意思にも沿うことになる。なぜがむしゃらに働いて稼ぐのか。一にも二にも子孫の繁栄を考えるからである。そこでの対象は基本的に自活年齢以前の未成年者ということになる。思わぬ長生きをしたために、子どもは独立しているが、孫に恵まれなかった者は、相続すべき対象者がいない扱いになる。少子化克服という政策に合致する。
相続税非課税の二つは、資産が実質共有である場合だ。例えば親子共同で農業をやっていたとか、町工場を経営していたといった場合である。相続税の対象にするのがそもそも間違っている事例である。
子孫はいないが相続税は払いたくない者はどうするか。生前でかつ意思能力があるうち(重度認知症になる前)に地元自治体などに寄付する道がある。日本社会の一員との意識があればそういう結論になるはずだ。

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