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786異次元の少子化対策ではなく、「増子化」に舵を切ると総理が言えばよい

岸田総理は3人の子がいるらしい。他の閣僚はどうなのだろう。国会議員は?
マスコミが著名人の子ども数ランキングを発表してはどうか。無論プライバシーがあるから質問に応じる者だけでかまわない。総理は「実はもう2人欲しかったが、○○の理由で断念した」とインタビューで答えればよい。○○への対策を求める声が高まれば、異次元と言わなくても民主主義のルールに従って政策は進む。
 
サッカーの長友選手の家庭に4年目の子どもができたとのニュースを聞く。めでたい。余計なおせっかいだけれど、もう一人5人になればフットサルのテーマができる。総理が子どもを増やせとシャカリキになっている折り、時宜を得たニュースた。

ところで「少子化対策」の政策名に違和感。名は体を表す。
政治目標は明確でなければあるべきだ。どういう社会にしたいのか。「少子化対策」では、子どもを減らしたいのかとも受け取られる。
年間出生数か80万人を割り込み、いよいよ後がなくなってきた。子どもが増えなければ五世代後には日本国が機能しなくなっているかもしれない。そういう危機感なのであれば、簡潔に「増子化対策」と言おう。

語感からして、「増える」は「減る」よりイメージがよろしい。前向きで元気が出る。そうすればアイデアも活発になる。そして現実的、効率的になる。
町内会長あるいはマンション、団地の自治会長であるとしよう。市役所から「増子化対策をやってほしい」と要請されれば、ポスター貼りにとどまらず、もっと何か効果的な方法がないかと思いを巡らすことになろう。
 
ここで算数問題。ある夫婦が三人の子を産むのと、新たに三組の男女を結婚させてそれぞれ一人っ子を産ませるのとで、子どもの総数は同じ。
 
ボクの田舎だけの風習だったのかどうかは知らないが、新しく橋が架かると、三世代夫を先頭に渡り初めをした。じいちゃん・ばあちゃん、とうちゃん・かあちゃん、それに若夫婦。これだけそろう家族は珍しかった。一家にとって、長生き家族であることを誇りに思える瞬間だ。参集者は自分たちも親を大切にしておけばよかったと考え直すきっかけになる。そういう教育効果もあったに違いない。当時のわが国の平均寿命は50年そこそこ。欧米よりはるかに短かった。
 
増子化も同じ。ビジュアルであればメッセージ性が高まる。渡り染めの儀式でもなんでも良い。子どもがたくさんいる家庭に名誉を与えることだ。先頭を歩くのは町内でもっとも兄弟姉妹が多い家族とする。町内で1年内に生まれた新生児のうち、兄か姉が何人いるかで勝者を決める。その新生児を乗せた乳母車を真ん中に兄弟姉妹、親、祖父母親戚一同の晴れ舞台だ。費用はかからず、多子を評価しているとの地域の意思を表明できる。
 
中学のクラスに5人だったか6人だったかの姉妹がいて、そのことで教師からもからかわれていた。
物陰で泣いているのを慰めたら、「姉ちゃんも妹をいなければいいのに。私、子どもはぜったい一人だけにするわ」。返す言葉がなかった。
本音は違っていたと思う。でも姉ちゃんと妹がいて楽しいとは言いにくい社会状況だった。兄弟姉妹が多いことはからかいの対象だったのだ。その背景には、「子どもは二人を標準」とする当時の政府方針があったと思う。それが教師の言動にも現れる。今でもその推測は間違っていないと思う。

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