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524関取衆はコロナに弱い? いいえ、感染機会は平等です

土曜日の朝の喫茶店で耳に挟んだ会話。夫婦らしい男女が持参の新聞を読んでいる。
甲:コロナの新規感染が昨日の4日には9万5000人を超えたと報道されているわ。私たちも気をつけなくちゃ。3回目のワクチン接種がまちどおしいわ。
乙:こちらの記事をみなさいよ。先日2月4日に日本相撲協会がいっせいPCR検査を実施したとある。これによると横綱の照ノ富士や大関貴景勝など関取12人がコロナ陽性判明とある。先月31日に新大関御嶽海など6人の関取が感染しており、併せて20人。
甲:上位層に感染者が多いみたいね。どうしてかしら。体質が原因?それとも節制が足りないのかな? 
乙:そういうことではなくて、感染率に注目しよう。関取衆は総勢70人ほどだから、感染率は28%にもなる。
甲:昨日の全国での感染発見者は約10万人だった。国民1.2億人に占める比率では0.08%。関取衆の28%と国民の0.08%では350倍の落差がある。これが問題だと言いたいわけね。
乙:一般国民に無料でCR検査サービスをしているけれど、受検者をどう捉えるかだ。「危ないな」の自覚がある人が主に受けているのか、それとも「危ないな」と思う人は陽性判明で受けるバッシングを怖れて受検を避けているのか。
甲:私は前者だと思うけれど…。
乙:オレは後者だと思うな。政府の専門家委員会の分析はどうなのだろうね。
甲:国民の本当の感染率が、公表よりも何十倍も高いとすれば、実はそこら中で感染者が歩き回っていることになる。即座に戒厳令だか都市封鎖が必要になる。しかしわが国の憲法上の制約で、そうした立法はできないのではないかと、コロナ初期以来の堂々巡りの議論に戻るわけね。
乙:それもあるが…。当座の問題としては、いわゆる新型コロナ感染者の発生防止という対策を今後も継続すべきかどうかということだと思うぜ。
甲:どういうこと?
乙:コロナ死亡者が昨日100人を超えたとマスコミが騒ぎ立てているが、WHOの方針とかで、死亡した者がコロナ陽性であればすべてコロナ死亡者としてカウントされる。末期がん患者とか老衰で死の淵にある人が感染したらコロナ死亡者にカウントされる。
甲:2年間でのコロナ死亡累計は1万9000人とされている。年間死亡総数の150万人に比べればコロナ死因は微々たるものだけれど、精査すればほんとうのコロナ死亡者は志村けんさんなど数えるほどしないないということ?
乙:オミクロンが主流になってから、コロナを怖れる理由はますます下がっている。現実的に考えよう。関取が3分の1も感染するようでは、相撲という競技はコロナ対策上危険極まりない。よって「相撲を当面、全面禁止し、関取衆にはコロナ休業給付金の支給対象とする」。こういうお触れを出したら、国民はどう反応するだろうか。
甲:大騒ぎになるわよ。コロナごときで国技を休廃止に追いやってよいのかと。
乙:そうだよね。では、国民生活に不可欠とは言えない赤ちょうちんの一杯飲み屋はどうか。営業自粛の対象にされている。でもデモや騒擾にはなっていない。
甲:政府が営業補償金をふんだんにバラまいているもの。老境に入り閉店しようかと考えていたお店の主人の話だけど、「思わぬ退職年金を政府がくれることになり、看板だけは下ろさないことにした」のですって。おカネもらって怒る人はいないわ。
乙:「政府がウイルスを制御することがほんとうにできるのか」。これがコロナで問われている本質問題だ。
甲:人民を管理できるのだから、ウイルスも管理できる。そう考える政府はゼロ・コロナを標榜する。中国がその代表ね。共産党への権力集中を正当化するためには、共産党に不可能があってはならない。コロナ抑え込みができなければ、人民統制力に疑問が生じる。
乙:民主主義国はその反対は行動原理であるべきだ。感染症で死ぬか、経済が冷え込んで貧しくなるか。その折り合いをどうするかで民心の中庸を探る。ゼロ・コロナでもフル・コロナでもない。それがウイズ・コロナ政策だ。
甲:いずれにしても国技の相撲は大事にしなきゃ。コロナ恢復の関取衆に国会で意見開陳してもらうのはどうかしら。「オラたちはこう考えるぞ」と。
甲乙:モーニングサービス食べ終わったし、帰ろうか。

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