480 市民権取得者は国家に殉ずる宣誓をする―アメリカの場合

アメリカのテレビドラマを見ていたら、次の一コマがあった。
「私は明日からアメリカ市民よ。宣誓式にはみんなも参加してよね」
 同僚職員は笑顔で返事する。「当然だよ。その後はパブで乾杯だ」
 彼女は市民権取得の申請を受理されて以来、アメリカの憲法典などの勉強を夜遅くまでしていた。言葉の壁もあり、難しい箇所については、仕事の合間の休憩時間に居合わせた人に質問する。憲法制定は二百数十年も前、言葉遣いは古いし、そうでなくても法律用語は堅苦しい。文法も正確性を重んじたせいか、難解だ。
 勉強の甲斐が実り、彼女は筆記試験に合格する。そして晴れの宣誓式になったわけだ。同時に市民権を付与された10名ほどが、その会場に集まっていた。付き添いの同僚も参加して後ろで見守っている。日本式でいえば、子どもの学校の参観日のような情景だ。
 司会の声で全員が起立する。そして音頭を取る人がいて、市民権取得者はその声をなぞる。日本式でいえば、葬儀や法要の場で僧侶が唱える経に続いて、参列者が合唱する姿に似ている。経と同様かなり長い。宣誓の中では、「いったん国に緩急があった場合、命を懸けて国土を防衛する…」といった言葉が続く。
 宣誓式が終わると、だれかれなく抱き合い、アメリカ市民になれたことを祝いあう。
 
 他の国ではどうなのか。特にわが国はどうか。中国論評で著名な石平さんが、「帰化の際に、国家や国民への忠誠も問われないので驚いた」とどこかに書いていた記憶があるが、実のところはどうなのか。法務省なり、外務省なりの見解はどうか。

 日本を敵視し、国民を誘拐(拉致)し、ミサイルの照準を合わせているのが北朝鮮。国際社会からも総スカンを食っている。その専制独裁者である金正恩に心服した教育をするのが朝鮮人学校。その学校に補助金を出している都道府県が北海道から福岡県まで11あるという。これは日本という国家を考える素材になる。

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