504コロナとインフルエンザの違いは何ですか
コロナとインフルエンザは似たようなものだ。すくなくともそうなりつつある。
流行り始めは重症化率、致死率は高く、大いに警戒しなければならなかったが、広まるほどに変異を繰り返し、感染力が高まるに比例して毒性は弱まっている。
そうであれば対策もインフルエンザと同じでいいのではないか。つまり軽視はしないが、過剰反応して社会活動を麻痺させることも避ける。それがいわゆるウイルスとの共存である。
そう考えるとコロナへの対応も考え直す時期に来ている。
感染症への社会としての共存対応は一つである。それをインフルエンザの例で見てみよう。
感染しないに越したことはないから防御措置を講じるが、社会活動に支障が出るような大げさなことをしない。この点、マスク着用、手洗い・うがいの励行は有効だ。そしてこれこそが協調性、連帯性の高い日本社会の得意とするところ。罰則を伴う外出規制、都市封鎖などの強硬措置を講ずる前に、国民の自発的協働によって爆発的まん延を遅らせることができる。(そうした法律制定を不要と言うのではない。準備するに越したことはないが、発動する必要性は他国に比べて低いはずと言いたいのだ。)
ワクチンの事前接種という方法もある。ただしインフルエンザウイルスは絶えず変異しているから、ピタッと当たるとは限らない。そのこともあり接種は各人の判断事項。費用も基本的に各自が持つ。ワクチン接種者が多いと感染の広がりを遅くする効果はあり、また感染を防げなくても接種者が重症化することを避ける効果はあるのではないか。それゆえ接種費用の一部を自治体が財政力と相談して補助することは自治事項である。
それよりも重要なことは、感染したが症状が軽易ですぐに恢復した者である。一度感染すると免疫ができる。その効果は持続し、同一ウイルスには再度感染しない。つまり日常接触する者すべてが感染済みであれば、そのコミュニティではウイルスは絶滅しているから、未感染者には安全地帯である。
次は感染した者への社会的対応をどうするか。この点でもわが国には他国にない有利点がある。それ世界に冠たると日本政府が誇る国民皆保険。インフルエンザで高熱を発するなどの病人は、健康保険で治療を受けることができる。患者は他人にうつす前に診療所に駆け込むことができるのだ。
これをまとめよう。インフルエンザでは公費は基本的に必要とされない。マスク・うがい・手洗いは各自の行動であるし、ワクチン接種は自費、症状が出ての健康保険での治療の財源は健康保険料。
これに対しコロナでは、ワクチンは全額公費、治療費も基本的に公費。つまり税金というわけだ。しなしながら正確にはその税は実際には徴収されていない。赤字公債という将来世代へのつけ回しになっている。これこそが現代日本社会の問題なのだ。孫や子に資産を残すのではなく、借金を押し付けている。
コロナは今後も存在し続けるだろう。ワクチンや治療費用の公費負担を継続すれば、赤字公債の発行も続くことになるではないか。そのうち第二第三のコロナが発生する。そしてまた公費負担が拡大し、赤字公債のさらなる発行になるではないか。その行き着く先は…??
感染症を大別すると二つだろう。一つはまったく正体不明で片端から感染者が重症化して死亡するもの。人類滅亡を避けるには、一帯を強制遮断し、予防殺戮も考えなければならない事態になるものだ。映画では登場するが、さいわいなことにこれまでのところ現実には登場していない。もし現実化すれば、まさに政治判断が問われる。
二つはこれまでに経験した感染症。当初は危険性が騒がれるが、次第に弱毒化してインフルエンザのようにありふれた病気になっている。そうしたものへの対応に、国費を散ずるのは国力疲弊の元である。国民の連帯心や社会連帯の健康保険という日常体制で対応することが肝要であろう。
そうしなければ、ほんとうの国難に対応する余力がなくなってしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?