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741外国人出稼ぎの潮流変化 円安を契機に見直しが必要

 外国人介護者が逃げ出した 日本への出稼ぎが円安で価値なしに さてどうする?
 物価高で困るのは皆同じ。日本在住の外国人は円安がこれにかぶさる。アメリカ本社から派遣の駐在員であれば、時期遅れはあっても給料が為替変動分調整される。しかし日本人と同じ給料で働く者、すなわち出稼ぎ労働者は深刻だ。
 出稼ぎの目的は国許への送金。かつて冬の農閑期に東京で建設現場に寝泊まりして働いた東北の農家のおじさんたちを知っているだろう。吉幾三さんの演歌の主要テーマのひとつでもある。「雪が溶ける頃、オドウ(父)がみやげをいっぱい持って夜汽車で帰って来る」というやつだ。母ちゃんへのみやげはもちろん、腹巻きに包んだ給料である。
 東北からの出稼ぎはほとんどいなくなったのではないか。理由は東北の経済か改善し、地域に仕事が生まれたから。家族と離れて出稼ぎしなくてもよくなった。社会的な進歩ただ。
 現代の東京への出稼ぎの主体は外国の若い女性。働く場所は介護と家事代行だという。このうち家事代行とは、お手伝いさんであり、古い言葉では女中。戦前のいわゆる良家には行儀見習いの農家の娘などがいたことが小説などでうかがわれる。でも家事の電化が進んだ今日にもいるとは知らなかった。
 その主力がフィリピンなどの若い女性。国会戦略特区では外国人のこの分野での就労が認められている。伝統的に国内法では認められていないのだ。これはわが国が民主主義国である証。先般サッカーワールドカップが開催されたアラブのカタールでは居住300万人のうち国民は1割で残り9割は外国からの出稼ぎ。永住権などなく、仕事できなくなれば追い出される。社会保障の対象外。それでも寄ってくるのは稼いで国許に送金できるから。
 権利は平等とするのは民主主義とは相入れない。国に住むのは国民であり、国民とは国の危難には命も財産も投げ出して闘う人のこと。つまり出稼ぎはいないのが民主主義国の理想形。
 国民が嫌がる仕事をどうするというバカな質問をするものではない。職業に貴賎はない。3Kだって待遇で対応できる。外科医の処遇は最低賃金と法定したと仮定しよう。医学部など即座に定員割れになる。逆も然り。
 介護に人が集まらないのはひとえに処遇が悪いから。給料だけでなく、社会的地位、権限など他の要素も加えての総合処遇を改善すればよい人が集まる。お手伝いさんも同じこと。需要があるならば日本国民が応募するように仕向ければよいだけのこと。
「外国人の方が親切。日本人職員はツッケンドンで怖い」と老人ホームの高齢者が語るようでは世も末だろう。
 にもかかわらず特別法まで作って外国人出稼ぎを入れようとするのは何故か。ドス黒い利権を感じると言うとだれかへの営業妨害になるのだろうか。
 常々そうした思いでいたところ円安が状況を変えることになった。フィリピンのペソ、ベトナムのドンに対しても円の価値が下がっているから、出稼ぎ車は想定の送金をできなくなっている。中には日本に来るための支度金として借金して就労斡旋事業者に払い込んだ費用の回収すら難しくなっている者がいる。今後、日本は出稼ぎ先として選ばれなくなると焦っている斡旋事業者がいるようだ。
 これは本来の姿に戻る過程と捉えれば歓迎すべきである。介護も家事代行も需要がある限り供給を満たす必要がある合法職業分野。国内で確保する方策を考えるよい機会になる。前向きで考えれば知恵は出る。出なければ自分たちが老後に困るのだから。
 改めて外国人の国内就労の基本がどうなっているか。日本の社会経済を発展させていくには進取の人士が絶えず必要である。それを高度人材というのだが、国内で不足している場合に緊急事態として導入する。明治維新当時は各分野で高級にて召し抱えた。いわゆる「お雇い外国人」。「青年よ、大志を抱け」と新開地の北海道で日本や若者を鼓舞したクラーク博士もその一人。
 鉄道技師もそうであったが、線路を敷く人夫は日本人だった。日本人が上に立ち、出稼ぎ外国人を単純労働者として酷使する発想は、元来民主主義者である日本人のものではない。このことをしっかり継承したい。
 これは研究者も同じであり、介護労働力に関して第一生命経済研究所の主任エコノミスト星野卓也氏は「安価な労働力として外国人に頼り続けては持続可能性がない。省人化に投資し、生産性の向上をはかるべき」としている。

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