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538矢野論文大論争 ほんとうに必要な議論をだれもしていない

日本財政は大丈夫なの? 国防の銃弾を補充するにもカネが必要なのだ。これが国民の声だと思う。ところが永田町では、敢えて財政危機を論じないのが大人の対応とされているかのようだ。国民と為政者との間の意識の差は日本海溝よりも深い。
財務省の矢野康治事務次官の論文「財務次官、モノ申す このままでは国家財政は破綻する」(『文藝春秋』2021年11月号)については、第439回「財務次官を支持する」で触れたから、内容は繰り返さない。同誌の売上げが大きく伸びたそうだから、国民の財政への懸念の大きさが知れよう。
同誌は翌12月号で「「矢野論文」大論争」という企画をしている。二匹目のドジョウ狙いだろうが、内容的にはイマイチだったと思う。掲載論文の一つはアメリカ・イェール大学の浜田宏一先生による。20年前に上司(内閣府経済社会総合研究所長)だった。いわゆるリフレ派の中心人物の一人で、おっしゃっていることはその当時と変わっていない。
ご説は、矢野論文を自分の経済理論にそぐわない俗説であるとして切り捨てる。経済理論は吐いて捨てるほどあり、浜田先生の主張が必ずしも定説ではない。その前提で浜田説をたどる。先生は、矢野論文の誤りを次の諸点であるとする。
第一 矢野論文は「日本財政をどの先進国よりも深刻」とするが、日本政府には実物資産があるので、世界最悪ではない」。
第二 政府財政は家計とは異なり、赤字運営で借金がかさんでも破綻するとは限らない。これを理論化するのがMMT(現代貨幣理論)である。
そして政府の赤字財政を支持する根拠として、①国債の利子率より国家の経済成長率が高ければ、借金は重荷にならない。②低金利のときは借金したほうが国家財政としても得策、③需要不足のときは政府が作り出すのが効果的を挙げる。

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浜田論文の検証だ。まず①について。国債利子率は今のところ非常に低い。では経済成長率はどうか。これにわが国に限ってはさらに低くてゼロである。つまり経済成長率は国債利子率に届かない。よって①は満たされていない。では、今後はどうか。国債利子率は世界的に高まる。見通し明るくないと言わざるを得ないだろう。なぜ日本だけ経済が成長しないのか。多くの人が指摘するように、政府による至れり尽くせりのバラマキにより、国民や企業に自立の精神がなくなっていることが大きい。逆説的だが、そうしたバラマキをやめれば、そう工夫が始まり、諸外国並みの経済成長は始まる。財政赤字が経済成長に棹差してきているのだ。
②低金利のときは借金したほうが得か。借りる必要があれば、金利が低いに越したことはない。しかし資金需要もないのに借金するのは意味がない。そこで③政府による需要創設、いわゆるケインズの登場になる。ケインズ理論で重要なのは、需要の波及効果である。10兆円の購買力提供が瞬く間に50兆円に膨らんで市場経済が活発に動くようになって、企業や市民の懐が膨らみ、それが税収増として政府に還流して国債返済資金になるというのがケインズ理論。借りたままがよいなどとは言っていない。
そこでここ30年の赤字国債を使った需要創出はどうだったか。10兆円をバラまいても、100兆円をバラまいでも、それで終わり、需要拡大の波及効果はほとんど検証されていない。「コロナでの給付金が貯蓄になっただけ」という矢野次官の説明のとおりなのだ。
国民も企業も食べていかなければならない。政府の過剰なバラマキは、この意欲を阻害している。政策を反転させることが、求められる対策である。バラマキの赤字財政政策でうまく行かなかったのだから、方法を変える。岸田流の臨機応変を示すべきときだ。重要なのは方向性だ。
政府財政の赤字と黒字のどちらがいいか。他の事情がすべて同じであれば、黒字がいいに決まっている。政府は赤字でなければならないというドグマに、政治家がなぜ染まっているのか、それが不思議である。借金するには、その返済計画が確実なものでなければならない。浜田論文の第一と第二は、今はまだ破産していないと言っているだけだ。これが証明するのはその事実だけ。今より借金が増えたらどうなるかについては、何も答えていない。GDPの10倍は大丈夫だとするが、気合以上のものではない。借金限度を決めるのは、借主ではなく、貸し手の国債投資家である。理論的に前もって宣言できるわけがない。実際に国際クラッシュが起きた時が、借金の限度なのだ。そうなってはならないから国民は赤字財政に危機を感じている。
論点をすり替えるための言葉遊びではなく、国債残高を減らすには何から手をつけるべきかという現実に即した議論が必要である。

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