見出し画像

644 国民審査での“多数”とは 憲法79条について

最高裁判事の国民審査の方法について疑問を持つ人は少なくないと思う。憲法の規定は「投票者の多数が罷免を可とするときは罷免される」となっている(79条3項)。
 投票用紙に裁判官の氏名が書いてあり、罷免すべきと判断する人の欄に「×」印をつける。これまでのところ「×」は多くて1割前後ではなかろうか。
 制度の運用では「×」印が5割を超えないときは、罷免を可とする者が「多数ではない」ので信任されたとされてきた。その憲法解釈でよいのだろうか。日本語の読み方として誤っていないか。「×」印をつけた有権者の多数はそう考えているのではないかと思う。

あらためて「多数」とはどういうことか。母数の過半数でなければ「多数」と言えないのか。
国語辞典で「多数」を引くと、①人や物の数が多いこと。少数の反対。例として「負傷者は“多数”にのぼる"。②他方よりも人数が多いこと。“多数”意見。

国民審査で「×」印をつけた有権者が、投票数のうち2割であったとしよう。この場合、その際医高裁判事は罷免されるべきかどうか。
上記、国語辞典の①の意味に照らした場合、例えば1,000人の乗客が乗った電車が脱線し、そのうち200人が負傷すれば、ニュースでは「多数の負傷者が出た」と報道するだろう。乗客の過半数ではないけれど、1,000人のうちの200人は十分に大きな数と言えるからだ。そこで国民審査で投票数1000万のうち、200万人が「×」印をつけたときに、これを「多数」とするか否かの判断になる。憲法では単に「多数」としているだけだから、例えば2割以上とする考えは十分に成り立つと考えられる。
ここで「×」印をつけない人は、「○」つまり信認の意思表示であるとみなし、国語辞典の②の意味で、信任が不信任を上回るとの説明があるだろう。しかし、それは強引すぎる解釈である。信任と不信任のどちらが多いかを判断したいのであれば、投票用紙に「○」印欄をつければ済む。ただし憲法条項の書きぶりからすれば、その方法はふさわしくないと言えそうだ。なぜ「○」印をつけさせないのか。思うに、普段個別の最高裁判事の考えは紹介されないし、多くの国民はしらない。そこで「×」か「○」かの選択を迫ると、よく分からないままに「×」をつける者が多くなって、良識的な国民の意図しない結果になってしまう恐れがあるからだろう。そこで確信をもって「×」印をつけた者の比率を問うことにしたのだろう。そこで裁判官罷免についての必要“多数”を国民の判断として合意する必要がある。つまり2割以上とするか、5割以上とするかといったことである。

これに関して格好の実務例がある。生命保険相互会社の「総代」選挙である。会社から候補者名簿が送られてきて、不同意とする者の欄に「×」印をつけて返送する仕組みになっている。ある生命保険会社の例では、「不同意すなわち「×」印の返信数が社員総数の1割に満たない候補者は同意を受けたしたものとみなす」となっている。言い換えれば、不信任が1割もある者については、指名の差し替えをするとしているのである。
生命保険会社の総代選任方法は、国民審査においても参考になると思われる。その裁判官が下した判決について賛同できない有権者が過半数でない限り罷免できないというのでは、よほど性格あるいは思想的に異常な者でない限り、再任されるということであり、民主主義とは相容れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?