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664地球最後の日をだれと過ごす

ビデオ映画を見た。題名は『グリーンランド―地球最後の2日間』。
巨大彗星が地球に衝突する。6500万年前に恐竜を絶滅させたときよりも大きい。何も知れされていない市民は肉眼ではっきり見えるほうき星見物でお祭り騒ぎ。その背景で大統領直属の「ノアの箱舟」計画が進んでいる。
それに選抜された家族が主人公。多分、夫が高層ビルの建築技術者であることが選抜理由だろうが、映画では明かされない。妻と一人息子の3人家族にシェルターでの生き残りが保証されているのだが、グリーンランドのシェルターに向かうための軍の空港で問題が発生する。息子が若年性糖尿病であることを告げていなかった。そしてシェルター基準では病人は拒絶されることになっていた。しかも予備の薬がリュックの中にない。夫は薬を探しに戻り、妻は息子のシェルター入りを懇願するがうまくいかない。そんなこんなで別れ別れになる。
 
一方、シェルター選抜に漏れた人々は、自暴自棄で銃をぶっ放す者、選抜者の証明腕輪を奪い取ろうと殺し合う者などで、秩序はガタガタ。この家族も混乱で生き別れたり、息子が誘拐されたり、そしてまた出会ったりを繰り返すが、シェルターの扉が閉じられる時間は刻々と迫る。
 
 妻の父親が一人暮らす田舎町で、ようやく家族は再開する。シェルター行きの最終便に乗るのは無秩序状態の地域を長距離突破するしかない。さてここで選択肢。
 間に合ったとして無条件でシェルターに入れてもらえるのは夫のみ。というのは、
①  妻は証明用の腕輪を奪われている。
②  病気持ちの息子は入れてもらえるか不明。
③  父親はもともと選抜されていない。
 
 夫婦がどういう結論を出したか。
 ボクは老父を含めた4人で人類最後の日を粛々と迎えるのではないかと予想した。息子はこの祖父と好き合っており、祖父は仮に家族だから特別にシェルター入りが許可されるとしても、死んだ妻との思い出の地を離れたくないと言っていることだし。でもこれは日本人的な発想らしい。映画では検討事項にもならない。
 
 夫婦は息子だけでも生き延びさせる道を選ぶ。シェルターまでたどり着いて守備兵と談判し、息子が受け入れられなければ、自分たちと引き換えに息子だけのシェルター入りを求めるのだろう。その決意を聞いた老父は義理の息子に狩猟用のライフル銃を渡す。「これで暴漢からお前の家族を守れ」と。映画にはその先の老父は出てこない。彼の死は当然というわけだ。そして息子(小学校低学年?)も異議を唱えない。
 
 プーチンの「核使用使用は脅しではない」宣言で、人類絶滅も想定外では済まない方向になってきた。ほんとうの危機の際、われわれはどう行動すべきなのだろう。通常の避難では、子どもと年寄りを先に避難させる。でも国家や人類の生き残りがかかっている場合に、誰を生き延びさせるのか。
 合理的に考えれば高齢者はまず除外。敬老は社会の存続が前提であり、社会の危難では老い先短い者は生存チャンスを遠慮すべきだろう。
 成人と子どもではどうか。子どもを優先との考えもあろうが、考えものだ。幼い子どもだけでは社会を維持していけない。生存手段もない。
若い世代が生き残っていれば、また子どもを作る機会はある。そうすると生殖年齢にある者を優先させるのが正しいことになる。
では男女ではどうか。生き残る人数にもよるが、あまりに少ないのではどんどん産んで数を増やさなければ、ほんとうに絶滅してしまう。そうすると子どもを生めない男性の分は悪い。ゼロはだめだが、数的比率は1対10でもよさそうだ。
 
危機の際でもモラルを守れとの意見もあるだろうが。
 
危機管理が叫ばれるが、彗星衝突や核戦争への対応をどうするか。「そういうことは起こらないから大丈夫」といったことでいいのか。問題提起している国会議員(国民国家のリーダー)がいるように見えないのが、この国のほんとうの危機なのかもしれない。安保などをめぐっての討論番組での頓珍漢ぶりは視聴者のいら立ちを高める。
 
映画では彗星衝突から9か月後にシェルターが開かれる。彗星で地表を覆った大量ガスが晴れ、太陽が見えるようになった。そして「放射能の恐れがない」ことが生き残った少数の人間が地表に戻る決め手になった。
 
ではプーチンが核戦争を引き起こした場合は? 放射能値が下がるまでシェルターから出られない。でも5年も10年も太陽なしで暮らしたらどういうことになるか。シェルターの扉が永久に開かず、内部で人類は息絶えたということになるかもしれない。
プーチン、習近平、金正恩のトリオに見て、考えを改めてもらいたい映画である。

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