あなたを幸せにすると誓います

悪い予感って言うのは失礼かもしれないけれど、私がそれを肯定的に捉えていないのは本当のことだから仕方ない。それでも彼の誘いを断らなかったのは、その予感は実は自意識過剰な私の思い込みで、私が恐れているようなことは起きないんじゃないかと楽観的に捉えてしまったからだ。でも、楽観的な予想って、大抵裏切られてしまう。

「ずっと前から好きでした。付き合ってください。」

 告白を受けるのは今月で3度目。そして断るのも、これで3度目になる。

「...ごめんね。」

 断るたびにもう、いつ誰に言われたかも覚えていない言葉が頭をよぎる。

「そんだけモテてたら、そりゃ理想も高くなるよね。断る時とか、もう何も感じないでしょ?」

今ではもう不明瞭な声だけれど、その皮肉っぽい突き放すような冷たい響きだけは確かに覚えている。そんなことはないのに。私のたった一言で、目の前の相手がひどく落ち込んで悲しみの底へ落ちていく様子は、何度見ても申し訳無さで死にたくなる。

「だったらオッケーしとけばいいじゃん。」

 でも、そんなことを言われたって、偽りの返事で相手に変な期待を抱かせることより不誠実なこともないんじゃないか。その時私の相談に乗ってくれていた友人は、きっと私が自慢しているように感じて少し嫌味を言っただけなんだろう。でも、私はそれ以来恋愛相談なんて誰にもしないと決めた。

 ぼんやりと回想していると、その沈黙に耐えかねたのか、

「あの、どうしてだめかだけ教えてくれないかな?俺、頑張るからさ。」

 それがもうだめ。頑張ってもらっても困る。

「高木くんがだめって言うより、私付き合うとかちょっと苦手で...別に嫌いなわけじゃないからこのまま友達でいるのだとだめかな?」

「いや、どうしても、俺はなにか君との特別な繋がりが欲しくて...」

「そもそも、付き合うのと友達ってそんなに違うかな?予定が合えばこうして会うこともできるし、いつでも話せるでしょ?体の関係以外にあんまり差はないと思ってるんだけど。」

 自分でもこの質問はちょっと意地悪だと思う。

「...」

「体の関係がほしいってことだったら、それはごめんなさいね。でも友達としてだったら全然オーケーだから。今まで通り仲良くしようね。」

「そういうことじゃないんだけど...」

 付き合うという関係性に明確な定義はない以上、当人がどう捉えているかがすべてだ。このあたりの認識を予め明白にしてもらえないと、相手が何を望んでいるかわからないし、そうである以上、その要求に応えられるかどうかすら判断がつかない。

 友人としての彼は素敵だ。優しいし、おしゃれだし、話も面白い。よく私のことを笑わせてくれる。でも経験上こうなってしまった以上もう彼との今後はないだろう。不思議と「ずっと一緒にいたい」なんてことを言ってくれる人に限って、向こうから自然とフェードアウトしていって、いつの間にか私の人生からログアウトしている。そういう経験をするたびに、人の世の無常を感じて切ない気分になる。

「高木くんは面白いし、一緒にいて楽しいって言うのは本当だからさ!」

 果たしてこんな言葉が気休めになるのだろうか。私なりに精一杯思いやっているつもりなんだ。

 結局その日、なかなか彼は納得行かない様子で、駅の近くの広場のベンチで1時間くらい気まずい時間を過ごした。こうなってしまうと友情という関係の継続は難しい。次に会う時にどんな話をすればいいかわからない。それは彼だってきっと同じことだ。

 こういう状況になることを事前に察知して避ける能力がほしい。今日はわかりやすかったはずなのにあの楽観視が災いをなした。でも今思えばはっきりしていた。誕生日にわざわざ私だけを食事に誘うなんて、なかなか考えられない話だ。それでも私以外に友達いないのかな?だとしたら断ったら可愛そうだな。プレゼントくらいは持って行ってあげようかな、なんて呑気に考えて、結果的に彼を悲しませたのだから、私の善意は空回りしてしまった。

 家に帰りついてベッドに倒れ込むと、自然と涙が溢れてきた。なぜかはわからない。でもとにかく悲しい。携帯を見ると彼からのLINEが数件。恐ろしくて見たくもなかったが、返信しないともっとひどいことになる。

 なんで私ごときに彼はこんなに思い悩んでいるんだろう。私に向けられる肯定的な言葉も、全部ありきたりなお世辞にしか見えない。可愛いとか、一緒にいて楽しいとか、優しいとか、ずっと一緒にいたいとか。本当にそう思っているなら、今取るべき最適な選択がなにかわかるはずだ。それがわからないと言うことは、結局彼は私のことを何もわからないで、きっとなにかの勘違いで好きになっただけだ。本当の私を知らないから、平気でそういうことが言えるんだ。これ以上関係が深くなれば、きっと彼には私の醜い部分ばかりを見せることになる。それを否定されるのが怖い。だから一定の距離は絶対に保っておきたい。  どっちにしろ彼とは大して長く関わってきたわけでもない。二人きりであったのはせいぜい3回か4回くらい。これはよくあるパターンだから、3回目のデートで告白しろ、なんて教科書にでも書いてあるのか疑いたくなる。いろんな話をしたけれど、彼のことはよく知らない。ただ、前向きな性格だとは思う。そして、その前向きなところが苦手だ。私が悩んでいる時はよく励ましてくれるけれど、その言葉の一つ一つが、いちいち悪い意味で胸に刺さる。

「前向きに考えなよ。」

「生きてたらいいことあるよ。」

「考えすぎなんじゃない?」

「そういうネガティブ思考、直した方がいいよ。」

 きっと彼は善意から、心の底からそう思ってそういうことを言っている。しかし、だからこそタチが悪い。この手の考え方には根本的に相容れないものがある。彼のような前向きな人間は、考え方や感情というものを極めて簡単な方法で変えられると考えているらしい。私だってできれば全部を前向きに捉えたいし、未来は明るくて幸せなんだと思いこんで生きたい。しかし、現実の悩みとして、それができないという問題がまず大前提にあるのだ。「マイナス思考をやめろ。」と言ってくるすべての前向きな人間に、そっくりそのまま「プラス思考をやめろ。」と要求してみたい。できないことに気付くはずだ。考えるという行動は、積極的にしたくしてしているわけでもなんでもなく、やりたくもないのに意識に反して自動的に起こる現象なのだ。「考えすぎるな」という要求は「考えすぎろ」という要求と同じくらい難しいことなのだ。そこに思考が至っていない彼らは、きっと彼らの言う通り大して何も考えずに生きていて、それ故私とは違って幸福なのだろうが、好きだと言うからには私のこの特性までもを愛してくれなければ困る。

 しかし、どこがだめなの?と聞かれて前向きなとこだよ、なんて面と向かって答えるほど私も馬鹿ではない。前向きななのはいいことであって、決してだめなところではない。私の為に後ろ向きになれとは言い難いし、それがそもそも不可能なことは私自身がその経験から痛いほどよくわかっているのだ。そういうわけだから、彼とは友人以上の関係にはなり得ないし、仮に友人としてであっても、一定以上の距離を保っていなければ、多分私はいずれ彼と関わるのを苦痛に感じるようになる。ただ、私は自分の発言には誠実でありたいと思うから、もし彼から会いたいという風な申し出があればそれは断らないつもりだし、その点は信用してほしい。信用してほしいのだが、なぜだか彼は、私と永遠の別れを経験したかのように思い悩んでしまった。永遠の別れであるなら、その思い悩んでいる姿をなぜ私が知っているというのだ。

 結局彼とはその後、何度かあったが以前のように楽しく話すことはできなくなっていたし、数ヶ月後には、もう全く連絡も寄越さなくなった。こんな経験、一度だってしたくもないのに、何度もするものだから精神がすり減る。私を絶対幸せにするって言ってくれたのは、嘘だったみたいだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?