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論文レビュー #2 林徹「差異への対処: フォレットとバーナードの比較」を読んで

友人からの紹介で、林徹「差異への対処: フォレットとバーナードの比較」(経営学史学会編『現代資本主義のゆくえと経営』経営学史学会年報 第31輯、2024年5月、pp.103-114)を読んだ。私なりのコメントを記しておきたい。なお、私はバーナードの著書『経営者の役割』は読んだことがあるが、フォレットの著書は読んだことがないので、学説史として内容に踏み込んだコメントではなく、この論文の記述内容に限定してコメントしたい。

論文の内容

この論文が掲載されている雑誌からわかるように、この論文は学説史を扱っている。フォレットとバーナードという20世紀初頭の著名な研究者の学説を取り上げている。したがって、学説史に興味のない人にはささらない論文かもしれない。ただ、差異への対処に焦点を合わせているので、多様性を内包しながら一定の方向性を与える方法に興味を持っている人には参考になる内容である。抽象度が高いので、適用の容易な処方箋というわけではなく、自ら考える際の指針になり得る内容であろう。

さて、その内容であるが、何らかの集団の参加者に価値観や意見、行動パターンなど違い(差異)がある際にどのように対処すれば良いかという「対処法」について、歴史的に先行したフォレットの主張と後続したバーナードの主張の対比である。

フォレットは差異の解消方法として支配(domination),妥協(compromise),統合(integration)の三つを提唱し、支配と妥協は参加者のいずれかが不満を抱き、統合は当事者皆が満足を得るとしている。ただし、統合を行うためには「非凡な能力」が必要との指摘がなされており、容易ではない。本論文では、フォレットが提唱した差異の望ましい解消方法=統合=をバーナードがどのように受け止めて、どのような解消方法を提示したかを取り上げている。以下が主たる内容である。

  1. 「非凡な能力」や「種々の高度な能力」を追求せずに、当事者が不満足に陥らない処方箋として、バーナードの「誘因の方法」と「説得の方法」を取り上げる。

  2. ハーツバーグの二要因理論を媒介として、「誘因の方法」と「説得の方法」に関するバーナードの矛盾点を明らかにしつつ、「誘因の方法」と「説得の方法」による差異の解消を明らかにする

  3. フォレットの差異への対処法にバーナードの説得の方法を対比させ、バーナードが言う「道徳準則の創造」がフォレットの「種々の高度な能力」を必要とする「統合」に相当することを明らかにする

内容についてのコメント

フォレットとバーナードを対比して論ずる部分や「種々の高度な能力」を必要としない差異への対処として「誘因の方法」と「説得の方法」を取り上げている内容については理解でき、面白い指摘だと思う。「誘因の方法」と「説得の方法」が当事者に不満を持たせない「支配」や「妥協」の可能性を示唆している。

しかし、紙幅の制限がある中でバーナードの主張とハーツバーグの二要因理論を対比させることについては理解できなかった。この対比を通じての論考は、フォレットとバーナードの対比と直接関連しない上に、フォレットが対処として挙げている「支配」や「妥協」を不満を持たせないで実施できる可能性の示唆(筆者はそのように考えていないかもしれないが)をわかりにくくしている。ハーツバーグとバーナードの対比ではなく、差異への対処としての「誘因の方法」と「説得の方法」の位置づけを明確にする論考・分析をより丁寧にわかりやすく展開してほしかった。

ハーツバーグの衛生要因ー動機付け要因の分類基準は不満足を感じさせる可能性のある要因と満足を感じさせる可能性のある要因というものである。他方、バーナードの誘因の方法に関する特殊的/一般的は当事者の固有性と一般性に対応する分類基準である。それを単純に対応させることには無理があるように思われる。この対比に費やした全9ページ中1.5ページが本論文の筆者の主張を補強しているとは思えない。むしろ、わかりにくくしていると感じた。

また、「誘因の方法」と「説得の方法」の組み合わせが結論的な表(下記)に組み込まれていればと感じた。最後にこの表が掲載されているために、「フォレットの差異への対処はバーナードの説得の方法に対応する」というような、筆者の主張とは異なる解釈を促すように思えるので、残念である。

論文中の結論的な表

論文としてのコメント

論文の節構成と内容の展開がうまくかみ合っていないので、読み進めて行きにくい構造となっていた。読者の理解を助ける節や項の構造化をしてもらいたいと感じた。

内容へのコメントでも述べたが、紙幅に対して内容を詰め込みすぎているため理解を困難にしている。学会誌という掲載雑誌の性格上、専門家しか読まないという前提はあるかもしれない。しかし、学説や学説史に興味を持っているが、学説や学説史に造形のない読者に対して、「読者はバーナードやフォレットの主張をかなり知っている」という前提を置くべきではないだろう。せっかくの面白い論考が、ほんの一握りのフォレット及びバーナード専門家にしか理解されないのであれば、本当に残念である。

最初に述べたように、私は学説史の専門家ではないし、フォレットの主著を読んだことはないので、このレビューコメントは的外れかもしれない。その点はご容赦願いたい。

2024年5月28日

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