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中山道『美江寺宿』の今 宿場の街並みはほとんど残っていませんでした。

江戸と京都を結んだ五街道の一つ中山道の美濃16宿、その西から四番目の「赤坂宿」を過ぎて東の東京(江戸)方面に向かうと、木曽三川が立ちはだかることになります。その最初の川が「揖斐川」で、赤坂宿から呂久の渡しで揖斐川(呂久川)を越えて東に向かうことになります。呂久の渡しを越えたところに「美江寺宿」があります。

美江寺宿への道すがら

小簾紅園
呂久の渡し跡

赤坂宿から美江寺宿に向かい、呂久の渡しの手前(揖斐川の西側)に瀟洒な「小簾紅園」という名の公園があります。仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が徳川第14代将軍家茂公に嫁ぐため中山道を御降嫁された折りにここを通りかかられ、色麗しく紅葉している楓を玉簾の中からご覧になり、
おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ
と御感慨をお詠みになったそうです。この歴史的地の公園として昭和4年に完成した公園だそうです。モミジの木は沢山ありましたが、春に訪れましたので、紅葉の姿は見ることができませんでした。小簾紅園を過ぎて、呂久の渡し跡へ向かうのですが、今は整備された堤防の向こうに緑に包まれた河川敷が広がっているだけです。

普通の街並みにぽつり

どこにでもある街並み
旧家がポツリと

美江寺宿は、今は何の変哲もない、田舎の街並みがあるだけです。そんな通りにポツリと立派な旧家がありました。特に何の案内もありませんでしたから、文化財ではないようでした。昔は商いをしていたお宅ではないかと思われます。幅がそれほど広くない道路に面していましたから、正面からの写真を撮りきれない広がりのあるお宅でした。ネットで調べたところ、造り酒屋の布屋だそうです。

宿場跡の色々

美江寺宿本陣跡
復元された高札場
美江神社
左の上下は史跡にまつわる看板

以前は宿場町であったことを忍ばせるものはほとんどないのですが、それと分からせるものは色々とありました。美江寺宿本陣があった史跡を示す石塔がありました。敷地の大きい普通の民家です。また、境内に美江寺観音堂がある美江神社には高札場が復元されていました。かつての宿場の風情は、風景としてはほとんど残っていませんでしたが、点在する史跡や道標などが当時を忍ばせてくれました。

高札場は、江戸時代、幕府や領主が決めた法度はっと掟書おきてがきなどを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げた場所のことです。


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