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豊かじゃなかった経験から豊かさを考える

豊かさとは何か?
これを考えるときに、私の豊かではない過去を無視することはできない。3年前のつらい過去が今の私の豊かさの思考を作っていると思う。

うつ病の経験

会社員4年目、新規フィットネスブランド立ち上げに配属された。
入社当時からあった「日本のストレス社会を軽減したい」という想いを強く抱き、高揚感とやってやるぞという熱い気持ちがあった。

だが、私はそのあと軽い鬱状態になり、1人の上司は鬱病で休職することになった。

原因はいくつかあるが大きくは3つ

①顔を合わせない職場環境

配属されたとき私たちのデスクはなかった。余っている外来用のPCとデスクで離れ離れで仕事をすることになる。これは「ちょっとした共有や相談、雑談」がなくなることを意味していた。ちりも積もれば山となる。「相談ができない不安」や「方向性の微妙なズレ」は全員が気づかないうちに大きくなっていった。
そして遠いデスクは「心の距離」までも離してしまう。互いにどんな人なのか知らないのだ。

最初の環境はとても大事。
話しやすい雰囲気を作る前に、話せる「場」を作らないといけない。
顔を見て互いを知ることの重要性を体験した日々だった。

②心理的安全性がない関係性

プロジェクトチームは5人。わたしは一番下で、1人の上司の元で働いた。
だがその上司とは上手くいかなかった。

決して悪い人ではないし、尊敬できるところも多い。
だが否定されることがほとんどで、社会人で積み上げてきた自信を全てここで失った。この一度失った自信と、上司との信頼関係は結局最後まで取り戻せなかった。

上手くいかなかった理由を考えるとダニエルキムの成功循環モデルに行き着く。

ダニエルキムの成功循環モデルの図

関係の質を高めることから始めると、思考・行動・結果の質が高まっていき、逆に結果の質から求めるようになると、関係の質が悪くなり、思考・行動の質も悪くなるから結果も悪くなるというモデル。
わたしは結果ばかり指摘され続けたし、自分自身も結果だけを追い求めていた。
今思えば上司にも関係性を良くしたいという想いはあったと思うが、上司もわたしもそれが優先事項だとは思っていなかったのだ。

③余白のない労働時間

朝7時から終電まで仕事をした。家に着いたら深夜1時、次の日は朝6時に家を出る。ときには職場で寝泊まりもした。
5人全員がこんな状態だった。そして配属されて2ヶ月たって、もう1人の上司が鬱病になり休職することとなる。

感情を共有する時間はなかった。雑談する時間がなかった。
時間にもわたしたちの心に意識を向ける「余白」はなかった。
心は潤わず、だんだん冷めていき、感情を殺すようになった。
そしてそれがわたしの精神を壊していった。

笑えない。自分を責める。そんな自分が嫌いだった

あるとき、気づいたら笑えないようになっていた。
夜な夜な歩きながら泣いてしまう日々。泣けているときはまだよかった。
スタッフの失敗は自分のせい。
自分の失敗はもちろん自分のせい。
「そんなことない」と自分に言い聞かせようとするけど気持ちがついてこない。

笑っていた自分はどこにいったんだろう?
どうやって日常を楽しんでいたっけ?

日々の食事のおいしさや、太陽の暖かさも感じない。
生活の全てに彩りがなくなり、自然の音はどこかにいった。
五感の機能が失われた感覚だった。

抜け出したいけど「普通」の精神状態じゃなかった。
「普通」に考えることができない。
そう、あのときはマリファナを吸っているかのように「普通」が自分でわからなくなる。だからうつ病は「病気」なんだと思う。

うつ病は1人では直せない

望んでもいないのに、中毒のように長続きしてしまう。
わたしは半年続いた。
そこからも辛いときが続いたけど、新しくきた上司と「職場以外の居場所」のおかげで、少しずつ、少しずつ、回復していった。わたし1人ではきっと悪化はしても回復はしなかったと思う。違う誰かがわたしを助けてくれた。

豊かじゃない過去から学んだこと

この「豊かじゃない人生の経験」から学んだことはあった。

・心理的安全性のある関係性が人生に楽しさと彩りを与えてくれる
・余白のある時間が自分と他者を大事にできる
・仕事で成功しても人生が豊かになるとは限らない

今はあの時の経験を「自分の強み」の1つとして捉えられるようにまでなった。あの時の経験があるから、似た状況の人の気持ちに寄り添えることもあるし、あたたかい人との繋がりを作りたいと思うようにもなった。

今のわたしの豊かさの構成要素はあたたかい人との繋がり × 余白のある時間だと思う。



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