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手放した先には何があるのだろうか

この2ヶ月間、私は多くを手放した。自分の意思で手放したものもあるし、意図せず私の元からなくなったものもある。

Macbook Proが突如壊れた。
大好きな沖縄の家を退去した。
約4年付き合った大切な彼と別れた。
ひとつの仕事をやめた。
日本から離れた。
ひったくりにあい、携帯・財布・眼鏡を失った。
そして先日、祖父が亡くなった。

7月末からたった2ヶ月間で多くのものを手離した。モノもヒトも場所もいろんな思い出が詰まったものがなくなってしまった。これほど一気に手放したことは人生で初めてで、戸惑いも切なさも抱えながら過ごしている。ゆっくり少しずつ手放せたらよかったけど、そう上手くはいかないものだ。

この2ヶ月間はめずらしくよく泣いた。彼と別れるのが辛くて泣いたし、祖父の痩せきった顔を見て泣いた。この歳にもなって、これほど泣きたくないのだけど、環境や変化がそうさせる。次から次へと私の元から離れていき、感情が落ち着かない日々。厄年かと思うぐらい様々なことが降りかかってくるし、いつまで続くのだろうと不安になる。ひとりで何とかできるのだけど、たまに誰かに寄りかかりたくなる。

目を向けるものを変える

失ったものに目を向けてもどうしようもない。そう思ってからは、「今、あるもの」を考えるようになった。多くを失った気がしたけれど、それ以上に多くのものをすでに持っていたことに気づく。それが今の支えであり、喜びである。

大切に思える家族がいて、心配してくれる友人がいて、サポートしてくれる仕事仲間がいる。どこでも行けるフットワークの軽さと、自分がやるべき仕事がある。燃やせる「命」があり、自分の人生の「選択肢」もある。

充分じゃないか。目に見えないけれど私には大切にしたいものがあるし、大切にしてきた過去も大切な人もいる。当たり前だと思っていた日々に大切なものはたくさん散りばめられていて、私は見過ごしていたのかもしれない。「足るを知る」という言葉があるように、自分に足りないものに目を向けるのではなく、自分が今持っているものに目を向けることが大事だったみたい。これに気づいてからは少しずつ私にパワーと慈愛がふつふつと湧いてきているのも分かる。それはまだ大きなものでもないし、力強いものとは決して言えないけど、もう悲しみや切なさだけじゃない。残ったものこそ今の自分に必要なものだし、逆に大切なもの以外は手放してもいいんだ思えるようになってきた。

手放したあとの強さ

私は多くのものを長い間持ち続けていたのかもしれない。大切なものも、そうでないものも、両手いっぱいに抱えて増え続ける一方で手放すことはしなかった。溢れかえったものの中から大切なものを見つけるのは難しい。だから、大切なものが埋もれず、ちゃんと目を向けられる量を保つことが大事なんだと思う。手放すことに勇気は必要だけど、失ってばかりじゃない。そこから自分の大切なものを知り、自分の「足るを知る」ことができると少しずつ前を向ける気がする。そして「本当に大切なこと」を大切にできる自分になることが私にとっての強さだと思う。




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