見出し画像

京都 東山大文字山の歴史と今


京都滞在中に、東山大文字山に登ってきました。
なぜ、この山に足を踏み入れたかというと、滞在先からこの山が見えたから。気づいたら自転車で30分ほど東に、この山に向かって走っていた。


書いたこと

  • 東山大文字山について

  • 五山送り火について

  • 山の管理者について





東山大文字山を登る


大文字山を登る。
すると、地元の中学生やご老人の団体、外国人と、老若男女問わず多くの人とすれ違う。
背中にザックを背負ってる人もいれば、中には手ぶらの人もいる。
(老若男女、いろんな人が登っている⇨短時間で登れてしまう。お手頃な山。)

この山は標高472m。麓から約300mの高度、片道にして約1.8kmの距離(銀閣寺裏手スタートの場合)。なので、1時間足らずで辿り着くことができ、比較的手軽に登ることができるので軽装の人が多いのだろう。



あえてこの山に登る理由は何だろう。そう考えながら、歩を進めていく私は、絶景スポットに辿り着き、一瞬で理解することができた。

そこでは、京の都を一望することができるのだ。
京都が山に囲まれていることがよくわかる!顔に当たる風が気持ちいい!反対側に見えるのは嵐山、保津峡だ!眼下に広がる緑地帯は京都御所!目に入るもの全てに、一つ一つに歓喜の祭り。そう頭の中で。

こんなにも開けていて、かつ高度感があり、1時間で登れる山は日本中で滅多にみられないのでは?標高は500mもないのに圧巻の景色。近くに住んでいる人たちが羨ましくさえ思う。






そもそも東山大文字山って??


京都のお盆の行事として知られる、五山送り火。
東山大文字山は、この送り火が行われる山の一つである。
京都四大行事の一つとのこと。
  

松明を持った行列が街から山へ向かい、午後8時に火床へ着火。五山がそれぞれの形で炎を上げる。
先祖の霊が無事に帰ることができるように、あの世へ通ずる暗い道を照らす行事のようだ。

”夏の夜空を彩る「京都五山送り火」は、お盆の精霊を送る伝統行事です。東山に大の字が浮かび上がり、続いて、松ケ崎に妙・法、西賀茂に船形、大北山に左大文字、そして、嵯峨に鳥居形が点ります。これら5つの送り火はすべて京都市登録無形民俗文化財です。(点火時間は各山とも約30分間。気象条件によっては点火時刻を変更する場合もあります)”

 引用 https://ja.kyoto.travel/event/major/okuribi/

そして、明治時代までには、五山のみならず他にも十山以上もあったともいう。
しかし、守る人がいなくなり続かなくなり現在の五山に至る。



行事は誰がやっているの?山の管理は?


5〜60人から成る、大文字保存会という組織。
世襲制でやっているのだそう。親から子へ。平安時代、室町時代から始まったともされている。なので、今、請け負っている一家がこの行事を取り持つ。

保存会の方々は、盆の時期に京の空を照らすのみではなく、1年を通し山の保全も担う。なぜなら、松明を持つ大勢の人たちが安全に山を登れるように、大文字山の保全を行う必要があるからだ。風雨によって浸食を受けた登山道のメンテナンスや、あちこちに伸びていく草木を刈ること、虫などによる松の立ち枯れの予防など、山の保全を行うにはたくさんの課題がある。京の一大行事は1日だが、その1日のために1年間の準備をしているのだ。


登山が大好きな私は思った。
山に登るということは、そうした保全を行う人たちがいることを忘れてならない。そして感謝しながら山を楽しもう!


この大文字山の開けた場所で京都一帯を見渡すことができること、絶景を望み幸福感を得ることができるのは、保存会の方々が1年中、何百年もの間も管理しているからでもあるのだ。

そして、何よりも、500年以上も前からも継がれてきた伝統の行事を担う、この山を知ること、登ることができて嬉しい。今は色んなものがとって変わってきていると思うが、変わらないものを、昔生きた人と同じ行為をすることができること。私はそんなことに何か歓びを覚えてしまう。


登山道の浸食は、風雨だけでなく、私たちヒトの足も少なからず影響しているのではないか。全く影響していないとは言えない。私が気になることは、保存会などの山の管理にあたっている人たちが、一般登山者に対してどのような思いを抱いているのか、ということ。そして、今どんな課題を持っていて、どのように解決しようと取り組んでいるのか。

宿題。
これでまた、京都に来る理由ができた!


#日本の山岳信仰 #山岳科学 #登山道管理 #山の管理 #東山大文字  #京都を一望できる場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?