天使と暮らして3

もやもや病

「ガンバリンコ」と言いながら、
自分を奮い立たせている。
頑張り屋という自覚は、
娘のプライドに不可欠なのだ。

発病前は自信家で頑固、親や兄妹にも
本心を打ち明けない性格だった。

2012年春、32歳、
もやもや病で脳内出血。
東京のアパートの自室で意識不明で
倒れているのを発見された。

出血から治療開始まで、まる一日が過ぎ、
すでに手遅れの状態だった。

前日の食べ物を吐いて誤嚥したのか、
重度な肺炎を併発、生死の境を
さまよう状態が数週間続いた。

毎日、看護師が来て、瞳孔反応を調べ、
「かすかに反応があります」と。
熱は40度、脈は120前後が続く。

気管切開、たんの吸引、
鼻からチューブで栄養補給。
意識不明が続く。

2ケ月が過ぎ、熱も少し下がった。
脳圧が高まるのを防ぐため頭骨を
外して冷凍していたのを、
元に戻す処置も無事に済んだ。

リハビリも意識不明のままで行っていた。

看護疲れで、妻の方が先に倒れるのでは
ないかという恐れが切迫する。

3ケ月で転院を迫られた。
とにかく、郷里に連れて帰らないことには、
どうしようもない。

移送の方法を探した。
飛行機はまず駄目。
気圧変化が脳に与える影響。

高速道を使い介護車両で帰省も考えた。
12時間以上かかり、
途中で水分補給ができないという問題。
東京から山口までの費用の見積もりは、
付き添いの看護師代も含めて70万円くらい。

いろいろと考え、新幹線以外にはないと
思った。JRと交渉。
何回か説明に行って承諾を得る。

やっと、
意識不明のまま、看護師付きで帰省できた。
到着した駅のプラットホームに、
救急隊の担架が待っていた。
私も妻もほっとした。
3ケ月ぶりに妻は自宅に帰れた。

つづく


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