すべての人は対等

自分の頭で考えるとはどういうことか。

16歳のある夜、布団の中で思いをめぐらせていると、
この世の人は、各人、ひとり残らず、
自分がこうしたい、こうした方がいいと思い、行動している。

ある人は、それが正しいと思うから、
また、ある人は、それが役に立つと思うから、
別の人は、そうするのが得になるから、
そうしないとやっていけないから、
色々な理由をつけて、行動を選びます。
奴隷では、そんな選択もきびしいが。

人が何かを行うときは、理由があります。
充分に考えてやる人もいれば、
直感的に動く人もいる。
習慣になり無意識的行動もある。
こうせざるを得ないと自分を正当化することもある。

諦めるにしろ、ジャンプするにしろ、
人は色々と考え動きます。

行動内容は全く違うが、
いろいろと考えることは同じです。

場合によれば、
人を殺さざるをえないこともある。

犯罪者と被害者の関係も、同様でしょう。
どちらも、いろいろと考える。
その意味では対等です。

各人のあり方は、
生い立ちや環境、また当人の特性や個性で決まります。
その場での最適の選択、
一番楽そうな道、
あるいは、唯一の残された出口。
それが各人が生きる道です。

考え方にはいろいろあります。
幼稚なものから、広く深い思考まで。

しかし、各人が生きている場や特性が全く異なるので、
優劣や善悪などの序列付けは不可能です。

すべての人は対等なのです。
これが16の夜、私が考えたこと。

つづく

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