悔いがあるだろうか

質問「このまま年老いて しんでいくことに悔いは無いですか?

私の回答は下記。

リクエストなのでお答えします。
76年生きています。もう充分という感じです。
この世がもう少しリアルであればいいのですが、
人として生まれたから仕方ないでしょう。

意識が創る世界です。
人であるという限界が分かり、観念するしかありません。
簡単に言えば、言葉や概念(数を含む)という道具を使うしか認識できない人の脳の限界です。

悔いは全くないでしょう。
死と生の違い、それさえも、それほどの違いがないと感じます。

詳しくは私のブログで、たびたび書いているテーマです。
(回答ここまで)

生と死の違い、
最近の私は、この違いを感じなくなっている。

何度も書いているが、人は死を体験できない。
人にとって死はないと同じ。
誕生前がないのと同様。

生は、ほんの気まぐれなプレゼントのようなもの。
あるともないとも云える。

トランプさんを思うと、彼はそんなこと、考えもしないでしょう。
この世のリアルさに、どっぷり浸かり、一片の疑いもないでしょう。

お金や出世や名誉、大統領という権力。
そのリアルさに全身全霊、捧げています。
すばらしいことです。

まさか、大統領とホームレス、
どこに違いがある、なんて想像もしないでしょう。

若くして亡くなる人もいます。
未来と可能性が開けていたのにと、嘆く人もいます。

私は未来や可能性はマボロシと思います。
そんなものはない。

しかし、人だから、あると思うのが普通です。
死別は悲しいと思うのでしょう。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?